ブログ記事746件
たくさん文章を書いたり様々な人の文章を読んでいると感じること。それは文章内容以外に、文体にもその人の人となりは現れるということ。なんなら最近、内容よりも文体の方が個性は現れやすいのではないかとすら感じています。よくよく考えてみればそれが味わいになるから何を今更って感じかもしれません。文章内容を人は考えるわけだけれど同じ内容でも書く人が違うと文体が異なる。レイアウト、論理の流れ、具体例、感情まで指定して文の内容をほぼ完全に一致させたとしても言葉遣いや言葉の雰囲気は異なる。
こちらのブログを開始当初から「ですます調」で書いていたのですが、次回から文体を変えようと思います。実は、私は別媒体で19歳から細々とブログを書いておりました。そっちのブログは「~だ・である調」で文章を綴っていたのですが、その方が書くスピードと頭の思考回路のバランスが丁度良いみたいなのです。「書き癖」というヤツなのでしょうか。…地味に読みづらくなったら申し訳ありません。以上、どうでも良いご報告でした。
高校の頃によく読んだ遠藤周作の随筆から、さらに思い出をたどれば…………私がこの人の文章はカッコいいなぁ……ってはじめて思って文章を読んだのは高校2年生の時で、その文章は小説家のものではなかった。歌手の加藤登紀子の文章だった。私がテレビの中の人で「この人、東大なのか……」ってはじめて見た人はやっぱり加藤登紀子だと思うが、別に加藤登紀子が東大を出ていることと文章のカッコ良さはまったく無関係である。(笑)加藤登紀子の随筆をはじめて読んだ時、高校生だった私の頭に
【ヤッホー知恵袋】Q:文体を揃える、って、どういうことですか?(名無しさん)「だ・である」調と言われる常体か、「です・ます」調と言われる敬体か、どっちかで統一する、というこでしょ?学校で習わなかったっけ。(みきてぃ)「文体」には、名無しさんのおっしゃることや、それ以外にも、文章のリズムやトーンなどのスタイルを含むこともあるようです。(私は普段、リズムやトーンのことは「文調」と言っていました)私、ライターをしているのですが、「文体はどっちにしますか」