ブログ記事792件
那覇市鏡水(かがみず)の那覇空港からすぐ近くに小高い丘があります。ここは通称、崎原グスクと呼ばれていますが詳しい調査がされていない為にここに何があったかは不明です。丘のある場所は国土交通省の那覇航空交通管制部の敷地となっていました。今年の10月1日に神戸管制部が新設されて那覇空港の管制を行う為に那覇航空交通管制部は廃止となりました。念の為に奥の自衛隊施設の警備員に聞いたところ丘の拝所の見学なら可能との事でした。ここは先原崎(さちばるざき)と呼ばれた場所で、1816年に琉球に来航したイギリ
浦添城跡のすぐ近くにある浦添グスクようどれ館この仲間地区に沢山の史跡があるのでご紹介しますね〜さっそく、ようどれ館の駐車場にこんな物があります浦添市西海岸の石切場跡(字港川)牧港から港川には12〜13万年前に有孔虫の小さな殻が集まってできたマチナト石灰岩が分布しています。別名粟石(あわいし)と呼ばれ、ほかには八重瀬町港川、うるま市伊計島のみでみられる貴重な岩石です。石切場跡は、この石灰岩を屋敷囲いの石垣や家畜小屋の柱などの建築石材として切り出した跡です。かつて浦添にあった
沖縄県南城市にある世界文化遺産琉球開びゃく伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地斎場御嶽(せーふぁうたき)久しぶりに行ってきたー🚗³₃いつも県外からの知り合いを「連れてってー」言われたときに案内してたけど、世はコロナだし…なかなか沖縄に来る方も減ったので、行くことなくなってたなぁ(´ᐞ`)この間から沖縄は、梅雨入りしてて本日も残念な天気…☔まぁ、そのおかげで全く人がいない♪♪静かだし、ゆっくりまわれる(^^♪1⃣大庫理(うふぐーい)入口の御門口(うじ
与那原(よなばる)町字板良敷(あざいたらしき)の集落の一角に車1台分の細い路地に挟まれた小さな広場があります。そこはクラン庭と呼ばれた場所で、王府への上納穀類を一時保管した場所とされています。画像では電柱の後方となります。クラン庭の内部です。あまり広い場所ではありませんが、ここに茅葺きの建物があったと伝わります。奥に拝所があります。この日は草刈りが行われていました。この拝所は元々あった物ではなく、琉球王府が解体された際にいつの間にか拝所化したようです。現在は南向きになっていますが、戦
宜野湾(ぎのわん)市大山(おおやま)にターム(田芋)畑と住宅街の境目があります。はごろも小学校の脇に小さな道があります。画像では右手がターム畑で左手が小学校です。壁際の道を進んで行くと右側に樹の生えてる場所があります。樹の手前から右手に曲がる道があってそこに入ります。奥に行くと琉球石灰岩の小さな岩がある小さな広場があります。これがタコグヮークェーの拝所になります。岩の手前に拝所があります。岩の背後にも香炉らしき物がありました。現在の小学校がある辺りは昭和40年頃から埋め立てで陸地と
八重瀬(やえせ)町伊覇にコンクリートタンクの目立つ丘陵地があります。以前はこの位置のが辺りは原野と畑が広がる場所でしたが、区画整理で丘陵を囲む様に道路が敷設されています。丘陵地の下に行くと伊覇村の拝所があります。拝所の後方にある階段から丘陵の上に進みます。程なくすると上に到着します。階段から左側に向かうと小さな広場が見えてきます。そこに伊覇のシーサーが鎮座しています。顔は幅があって何だかオランウータンにも似ている感じ(^^)。いくらか風化もありますが形状は良好です。正月のハチウクシー
浦添(うらそえ)市西原(にしはら)の住宅街にある高台の一角に『ふーとやー』と呼ばれる拝所があります。住宅街の路地を高台に向かって進みます。暫く歩くと突き当たりの左側に大きな鳥居が見えてきます。鳥居の下に木が植えてあってその台に『ふーとやー』と平仮名で書いてあります。敷地の奥の角にふーとやーがあります。劣化してコンクリートが所々剥がれ落ちています。中には神体とされている石が置かれてあります。拝所横の突き当たりからは遠く読谷(よみたん)村まで見渡せる景色の良い場所です。ふーとやーは学問
一体何度訪れたことか。南城市の斎場御嶽。観光、ということが苦手な自分だが明らかに観光客として斎場御嶽に訪れている。そりゃそうだろ、拝所として訪れてはいない。ただひたすらその場に浸るのだ。その空気の中にいるだけで良い。ふと思う。ここにさえいれば病は治るのではないかと。もちろん今患ってはいないがもし不治の病に侵されたならひたすらこの場に居座って深呼吸をすれば何とかなるような。以前はまるで聖水のようにサングーイの中で滴り落ちる水滴を待ち、ダイレクトに口中に受け止め
南城(なんじょう)市佐敷字津波古(さしきあざつはこ)に天人森と外間殿の拝所があります。坂道の途中に案内板と広場があって広場から左奥に進むと天人森へ、右奥へ進むと外間殿へと行けます。左奥の天人森から進みます。道を進むと畑に突き当たります。その畑の左側から更に奥へ進みます。奥へ行くと小さな広場になっていて、その先の岩が拝所となっています。この拝所が天人森になります。別名に唐人森(とーんちゅむい)とも呼ばれているそうです。ここは天人(あまんちゅ)が天から降り立った場所とされています。旧上津波
中城(なかぐすく)村伊集(いじゅ)集落に伊集世持殿と呼ばれる拝所があります。地元ではユージドゥンと呼ばれています。この辺りはモーエーと呼ばれた場所で集落後方の高台に位置します。琉球國由来記に『與儀之殿』と記されています。右側の石柱には旧書体で世持殿と書かれており、その石柱はここにあったとされる建物の柱として使われていたと伝わります。内部は3基の香炉があります。稲ニ祭に拝されており、旧暦5月と6月のウマチーの行事が行われています。左側にも小さな拝所がありました。正面の拝所の右側に穴の空い
私たち夫婦のブログをご覧頂きありがとうございます今日は沖縄で言う神人(かみんちゅ)との体験記です沖縄では、特には夫の周りではかな?霊感やスピリチュアルは小さい頃から身近にあるものです沖縄には琉球王朝時代より、先祖の声を聞いてくれるユタと呼ばれている方々がいます昔は、ご先祖さまの供養や思いを代弁しながら仏ごとをされていたそうです↑霊視やお祓いなども今現在は、夫の家庭でもユタの方にお願いしての仏ごとはされてないみたいですが、何か大事な事があれば今でもユタの方に聞いてからお墓の中を整
南城(なんじょう)市の佐敷字津波古(さしきあざつはこ)集落に津波古児童公園があります。その公園の一番上に土帝君と呼ばれる拝所があります。土帝君は『とぅーてぃんくん』や『てぃーてぃんくん』と発音されますがこれは造語で沖縄独自の呼び方です。沖縄の各地にあって翁の姿をした人形が収められていたりします。旧暦2月2日に祭祀が行われます。階段を上がると左手にテッポウユリの群生があっていい匂いがしました。後で調べたら津波古児童公園は多くの植栽をしているそうです。サーターギーマ(天人花)も植えてあって、8月
中城(なかぐすく)村を通る国道329号から泊(とまり)集落へ入ってすぐの左側の道を進んで行くと軽自動車1台が通れる様な細い道があります。上って最初の道を左へ曲がります。小道を左に入ると琉球石灰岩の巨岩に挟まれるように階段が見えてきます。この先にあるのが泊大屋です。泊大屋の窓ガラスには、老築化が激しいので落下物に気を付けるよう貼り紙がありました。内部は6つに区切られています。これは右側から見た仏壇です。一番右側には丸鏡と白い仏花瓶がありました。その左側にある仏花瓶は茶色でした。この色の仏花
糸満(いとまん)市伊敷(いしき)集落の西外れにハブンカターと呼ばれる拝所があります。拝所の云われは不明となっているらしいですが、かつては集落で季節の節目に拝していたとの事です。右手の林になっている場所から歩道を行くとすぐです。歩道から見ると隣接する壁にわざわざ『拝所』と書いてあるので分かり易いです(笑)。これがハブンカターとなります。割れた小さな岩の前にコンクリート製の香炉が設置されています。奥の壁際には円形状の石がありました。井戸跡なのかも知れません。正面から見ると岩が割れているの
これは沖縄県のあちらこちらの曲がり角やT字路にある石敢當と呼ばれる物です。魔除けの一種で道端に置かれたり家の壁に埋め込まれたりしています。マジムン(悪霊)は直線に動いて壁をすり抜けて家に入って来るとされているので、曲がり角や突き当りにはこうして魔除けを置いておきます。その由来は中国に居た武将の名前ですけどあるとか色々あるのですが、たまに『泰山石敢當(たいざんいしがんとう)』と書かれた石敢當もあります。これは中国の泰山の頂上にあるそうですが、その泰山石敢當と思われる『山石敢當』という名前の石
南城(なんじょう)市玉城字當山(たまぐすくあざとうやま)の集落内に上江州之殿と呼ばれる拝所があります。小道を上がって右手の階段を進むと小さな広場にコンクリート製の拝所が見えてきます。右の石碑には『上江州殿』と銘があり、左の石碑に『火神』の銘があります。色水晶の様な石がありました。香水でもかけてあるのか不思議な匂いがしました。広場の奥には井戸跡もあります。その側に小さな道があります。道を進むと左手に大きな岩があって石製香炉がありました。古墓の様な印象もあります。更に進むと上江州神屋(
南城(なんじょう)市知念字知名(ちねんあざちな)に標高約149メートルの須久名山と呼ばれる高台があります。現在は守礼カントリークラブの中にありますが、その駐車場の端に須久名御嶽という拝所があります。守礼カントリークラブへ至る道をひたすら上り続けた先にある駐車場の角に須久名御嶽が設置されています。この場所で標高は約88メートルです。ニービ(砂岩)の石碑とコンクリート製の拝所です。石碑にはこの様な銘で御嶽の名前が書いてあります。石碑の後ろは『底那嶽神』と銘がある石碑もあります。これは『底
本部(もとぶ)町字谷茶にある谷茶公園内に谷茶海神宮と呼ばれる拝所があります。『谷茶』と呼ばれる地名は恩納(おんな)村にもありますが、どちらの谷茶も海に面する漁村という共通点があります。海神宮は階段を登った先にあります。この小さな丘陵は陸地から約200メートル離れた海中にあって大干瀬(ウフシ)と呼ばれていたみたいです。昭和8年頃に埋め立てによって現在の地形になりました。頂上はとても狭い広場になっています。拝所の横に2つの石碑があります。『海神宮之碑』と銘されているとは思いますが『伸』に
浦添(うらそえ)市前田(まえだ)集落の住宅地に前田権現と呼ばれる拝所があります。権現とは簡単にいうと仏が何等かに姿を変えた神体を指したりしますが、沖縄では霊石や洞窟を聖域として信仰します。住宅地から更に細い坂道の路地に前田権現があります。この辺りは上シジ毛(いーしじもー)や権現山(ぐんじんやま)と呼ばれた聖域となっていました。前田権現の下に土管を乗せた井戸跡と拝所があります。この井戸は前田権現に水を献上する際に使用されたという事です。内部には石積みが見られます。水は涸れていました。井
宜野湾(ぎのわん)市野嵩(のだけ)2丁目の端にビンジリ拝所と呼ばれる拝所ががあります。拝所のある場所は普天間飛行場という米軍基地のフェンス沿いにある駐車場にあります。国道330号から小道を進んで右に曲がる小道を更に進みます。その道を進むと駐車場があります。駐車場はフェンスで囲まれています。ビンジリ拝所は駐車場に入ってすぐ左側にあります。これがビンジリ拝所です。石板を組み合わせた様な小さな拝所で、石製香炉が置かれています。拝所の前にはウル(珊瑚)を砕いた様な砂利が広がっています。拝
豊見城(とみぐすく)市字饒波(あざのは)集落に長い坂道があります。その坂道の途中に饒波集落を鎮守するシーサー(石獅子)があります。この先を曲がって右手に見えてきます。道を進むと右手に大きな木が生えている場所に小さな広場があります。そこはバス停になっていて、その名も『饒波シーサー前』というバス停です(笑)。2体のシーサーが鎮座しているのが見えます。中森の殿という拝所も兼ねているらしいです。ここのシーサーは1体が石製でもう1体が陶製です。シーサーが2体並んでいるのをミートゥシーサーと呼ば
那覇市松川(まつがわ)の住宅街の奥に、殿之毛と呼ばれる松川集落の聖地とされる場所があります。松川集落は首里に近く水に恵まれた地域でもあり歴史的にも古い場所です。古くは茶湯崎(ちゃゆざき)村とも呼ばれた地域でしたが、いくつかの名称変更があって今の松川となりました。一帯は首里の下方に位置する為に坂下(さかした)と呼ばれていて、現在も一部の施設には坂下の名称が使われています。路地を奥に進むと前之井(めーぬかー)と呼ばれる掘り込み井戸があります。ここは人々の生活を支えた水源でした。今でも水量は豊
本島南部の南城(なんじょう)市に新開(しんかい)水路と呼ばれる小さな河川があります。この水路の左側は南城市佐敷字新里(さしきあざしんざと)集落で、右側は佐敷字新開集落となっています。水路が両集落の境界線となっていますが、新開集落がある地域は1960年代半ばまで海となっていました。現在の馬天港から南側にかけて埋め立てが始まり、1974年には今の陸地となりました。新開水路の両岸はマングローブで覆われています。この左側に位置する新里側にかつて海だった場所を背後にして東ぬ竜宮が鎮座しています。こ
私たち夫婦のブログをご覧頂きありがとうございますたくさんの閲覧といいね!やフォローをして頂きありがとうございます本日よりInstagramを始めました19年間の不思議な体験と、神社にご挨拶巡りしながら夫婦や周りのご縁で今こうして見えない世界に神様がいらっしゃる事を知りました私たちは神社や拝所もですが日常にも出会う精霊(蛇や河童などの妖怪?)たちとも身近に感じ生活しています夫が、神様から教えていただいたこと土地神様=神社や拝所などを守られている神様の存在龍神=高次元(私たちが3次元
blogをご訪問くださりありがとうございます(*^^*)沖縄にある沖宮(おきのぐう)✨2度の遷宮を経て現在の場所にあります✨沖宮の神様が鎮座する場所は…✨いつも水の豊かな場所なのだそうです✨元々宮のあった場所にもご縁あり行かせていただきました✨そして…✨今の沖宮の敷地内には黄金の森(くがにむい)という丘?があり…(≧▽≦)そこには、大地から天に柱が立っている…祈りの場と…✨全ての人の歴史や未来を記した巻物を持っていると言われている✨御天長老(うてぃんちょうろう)と対話できる