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南城(なんじょう)市知念字知名(ちねんあざちな)に標高約149メートルの須久名山と呼ばれる高台があります。現在は守礼カントリークラブの中にありますが、その駐車場の端に須久名御嶽という拝所があります。守礼カントリークラブへ至る道をひたすら上り続けた先にある駐車場の角に須久名御嶽が設置されています。この場所で標高は約88メートルです。ニービ(砂岩)の石碑とコンクリート製の拝所です。石碑にはこの様な銘で御嶽の名前が書いてあります。石碑の後ろは『底那嶽神』と銘がある石碑もあります。これは『底
那覇市若狭(わかさ)の若狭海浜公園内に細長い岩がある場所があります。元々この岩は海に突き出ていた岩でした。岩は標高約20メートルで岬の様になっていて、下部は波の浸食を受けてえぐれておりその形がユーチ(斧)に似ていたのでユーチヌサチと呼ばれていました。後にユーチが『雪』と当て字使われて『雪の崎』と呼ばれるようになりました。また雪崎山(せっきざん)とも呼ばれていたとの事ですが、当て字が先なのかは判明していません。遊歩道の側に入口があります。現在の高さは僅か2~3メートルで入口を上がるとす
数あるブログの中から私たち夫婦のブログをご覧頂きありがとうございます今日は3年前に初めて訪れたやぶちじまでの話私たちが乗っている車の横をガイドらしい神人たちが通り、こちらと目が合い一瞬の出来事でしたが、お互いが気づいた変な空気感私は下の子がまだ小さかったので車で待機かなり行きたかったけど、行かせてもらえなかった夫と夫のお母さん、夫の次男の弟が拝所へ入った瞬間どこから出てきた?さっき目が合った二人がきてまずは自分達のことを話され、この地にいる白龍神のこと星座にも星々の神様がい
やってきましたよ。熊野那智大社です。朝7時すぎに到着です。駐車場は、まだガラ空きです。まずは、那智の滝ですね。見えますね、いいですね。那智の滝に一番近い、この横の駐車場は、8時半からでした、まだ閉まってます。「那智大瀧」の石参道をすすみます。階段を降りていきます。階段がとても滑ります、気をつけてね。ゆっくりとすべる階段を降りていきます。二人とも登山靴(モンベル製)が役にたちました。到着です。本日2番乗りの様です、
中城(なかぐすく)村伊集(いじゅ)集落に伊集世持殿と呼ばれる拝所があります。地元ではユージドゥンと呼ばれています。この辺りはモーエーと呼ばれた場所で集落後方の高台に位置します。琉球國由来記に『與儀之殿』と記されています。右側の石柱には旧書体で世持殿と書かれており、その石柱はここにあったとされる建物の柱として使われていたと伝わります。内部は3基の香炉があります。稲ニ祭に拝されており、旧暦5月と6月のウマチーの行事が行われています。左側にも小さな拝所がありました。正面の拝所の右側に穴の空い
中城(なかぐすく)村を通る国道329号から泊(とまり)集落へ入ってすぐの左側の道を進んで行くと軽自動車1台が通れる様な細い道があります。上って最初の道を左へ曲がります。小道を左に入ると琉球石灰岩の巨岩に挟まれるように階段が見えてきます。この先にあるのが泊大屋です。泊大屋の窓ガラスには、老築化が激しいので落下物に気を付けるよう貼り紙がありました。内部は6つに区切られています。これは右側から見た仏壇です。一番右側には丸鏡と白い仏花瓶がありました。その左側にある仏花瓶は茶色でした。この色の仏花
南城(なんじょう)市玉城字當山(たまぐすくあざとうやま)の集落内に上江州之殿と呼ばれる拝所があります。小道を上がって右手の階段を進むと小さな広場にコンクリート製の拝所が見えてきます。右の石碑には『上江州殿』と銘があり、左の石碑に『火神』の銘があります。色水晶の様な石がありました。香水でもかけてあるのか不思議な匂いがしました。広場の奥には井戸跡もあります。その側に小さな道があります。道を進むと左手に大きな岩があって石製香炉がありました。古墓の様な印象もあります。更に進むと上江州神屋(
与那原(よなばる)町字与那原の路地の一角にちょっと変わった拝所があります。与原区公民館の横を南向けに進みます。因みに与原区公民館には『久葉堂(くふぁどぅ)』という名前の似た拝所がありますが、こちらは聞得大君(きこえおおきみ)に関係する拝所で、久場塘とは関係ありません。程なくして右手に袋小路になっている先にコンクリート製の拝所が見える駐車場があります。これが久場塘です。別名をウガンガマーとも言うそうです。久場塘は駐車場の一角にガードレールで囲ってあります。拝所の壁に『南風原村宮城区拜所
本部(もとぶ)町字谷茶にある谷茶公園内に谷茶海神宮と呼ばれる拝所があります。『谷茶』と呼ばれる地名は恩納(おんな)村にもありますが、どちらの谷茶も海に面する漁村という共通点があります。海神宮は階段を登った先にあります。この小さな丘陵は陸地から約200メートル離れた海中にあって大干瀬(ウフシ)と呼ばれていたみたいです。昭和8年頃に埋め立てによって現在の地形になりました。頂上はとても狭い広場になっています。拝所の横に2つの石碑があります。『海神宮之碑』と銘されているとは思いますが『伸』に
私たち夫婦のブログをご覧頂きありがとうございます今日は沖縄で言う神人(かみんちゅ)との体験記です沖縄では、特には夫の周りではかな?霊感やスピリチュアルは小さい頃から身近にあるものです沖縄には琉球王朝時代より、先祖の声を聞いてくれるユタと呼ばれている方々がいます昔は、ご先祖さまの供養や思いを代弁しながら仏ごとをされていたそうです↑霊視やお祓いなども今現在は、夫の家庭でもユタの方にお願いしての仏ごとはされてないみたいですが、何か大事な事があれば今でもユタの方に聞いてからお墓の中を整
南城(なんじょう)市の佐敷字津波古(さしきあざつはこ)集落に津波古児童公園があります。その公園の一番上に土帝君と呼ばれる拝所があります。土帝君は『とぅーてぃんくん』や『てぃーてぃんくん』と発音されますがこれは造語で沖縄独自の呼び方です。沖縄の各地にあって翁の姿をした人形が収められていたりします。旧暦2月2日に祭祀が行われます。階段を上がると左手にテッポウユリの群生があっていい匂いがしました。後で調べたら津波古児童公園は多くの植栽をしているそうです。サーターギーマ(天人花)も植えてあって、8月
本島南部の南城(なんじょう)市に新開(しんかい)水路と呼ばれる小さな河川があります。この水路の左側は南城市佐敷字新里(さしきあざしんざと)集落で、右側は佐敷字新開集落となっています。水路が両集落の境界線となっていますが、新開集落がある地域は1960年代半ばまで海となっていました。現在の馬天港から南側にかけて埋め立てが始まり、1974年には今の陸地となりました。新開水路の両岸はマングローブで覆われています。この左側に位置する新里側にかつて海だった場所を背後にして東ぬ竜宮が鎮座しています。こ
豊見城(とみぐすく)市字饒波(あざのは)集落に長い坂道があります。その坂道の途中に饒波集落を鎮守するシーサー(石獅子)があります。この先を曲がって右手に見えてきます。道を進むと右手に大きな木が生えている場所に小さな広場があります。そこはバス停になっていて、その名も『饒波シーサー前』というバス停です(笑)。2体のシーサーが鎮座しているのが見えます。中森の殿という拝所も兼ねているらしいです。ここのシーサーは1体が石製でもう1体が陶製です。シーサーが2体並んでいるのをミートゥシーサーと呼ば
北中城(きたなかぐすく)村島袋(しまぶく)集落の高台の一角に九年堂の御嶽と呼ばれる拝所があります。一帯は住宅街になっていますが、九年堂の御嶽は入り組んだ路地の行き止まりにあります。狭い道を進んで行くとこの看板が見えてきます。この先を進みます。突き当りまで行くと住宅があり、住宅の右手前に小さな庭の様な広場があります。そこの奥に行くと拝所がひっそりと見えてきます。この拝所が九年堂の御嶽です。石灰岩の一枚岩を組み合わせて作られています。屋根には宝珠が乗せられています。北中城村のサイトでは
読谷(よみたん)村字瀬名波(あざせなは)集落の中央付近に瀬名波御拝所(シナハウガンジュ)と呼ばれるノロ殿内(どぅんち)があります。ノロとは村の祭祀を司った神職にあった神女の事で瀬名波にいたノロは崎原ノロと呼ばれていました。殿内とは家柄や邸宅跡だったりします。瀬名波御拝所は石積みで囲われています。瀬名波集落は読谷村の中でも古い集落の一つで、集落内には拝所が多くあります。ここは行事や祭祀で大きな役割を持つ場所として大切にされています。中にはヌルアンジャー、ヌルガミ、ヌール神が祀られていま
糸満(いとまん)市伊敷(いしき)集落の西外れにハブンカターと呼ばれる拝所があります。拝所の云われは不明となっているらしいですが、かつては集落で季節の節目に拝していたとの事です。右手の林になっている場所から歩道を行くとすぐです。歩道から見ると隣接する壁にわざわざ『拝所』と書いてあるので分かり易いです(笑)。これがハブンカターとなります。割れた小さな岩の前にコンクリート製の香炉が設置されています。奥の壁際には円形状の石がありました。井戸跡なのかも知れません。正面から見ると岩が割れているの
浦添(うらそえ)市前田(まえだ)集落の住宅地に前田権現と呼ばれる拝所があります。権現とは簡単にいうと仏が何等かに姿を変えた神体を指したりしますが、沖縄では霊石や洞窟を聖域として信仰します。住宅地から更に細い坂道の路地に前田権現があります。この辺りは上シジ毛(いーしじもー)や権現山(ぐんじんやま)と呼ばれた聖域となっていました。前田権現の下に土管を乗せた井戸跡と拝所があります。この井戸は前田権現に水を献上する際に使用されたという事です。内部には石積みが見られます。水は涸れていました。井
これは沖縄県のあちらこちらの曲がり角やT字路にある石敢當と呼ばれる物です。魔除けの一種で道端に置かれたり家の壁に埋め込まれたりしています。マジムン(悪霊)は直線に動いて壁をすり抜けて家に入って来るとされているので、曲がり角や突き当りにはこうして魔除けを置いておきます。その由来は中国に居た武将の名前ですけどあるとか色々あるのですが、たまに『泰山石敢當(たいざんいしがんとう)』と書かれた石敢當もあります。これは中国の泰山の頂上にあるそうですが、その泰山石敢當と思われる『山石敢當』という名前の石
八重瀬(やえせ)町具志頭字安里(ぐしかみあざあさと)集落の端に座嘉武井公園があります。公園と名は付いてますが、内部は座嘉武井と呼ばれる湧水があるのみです。大きな掘り込み地に池の様な水溜があります。手前と奥に水路があって両方から中央に水が流れていました。柵の奥には拝所が設置されていたので、ここがメインの湧水部と思われます。かつて座嘉武井の周りには座嘉比(ざかび)村がありました。座嘉比村が移動した後に、隣接する安里村が現在の場所に移動してきて座嘉武井は両村の貴重な水源となりました。この
糸満(いとまん)市喜屋武(きゃん)集落の喜屋武コミュニティーセンター横に喜屋武公園があります。現在の喜屋武コミュニティーセンターがある場所はヘーランメーと呼ばれた広場で集落の中心地でもありました。公園内は数多くの拝所があります。その中に面白い伝承のある拝所があります。これがその拝所です。この拝所を奥間之殿と呼びます。琉球國由来記にも記載されています。コンクリート製ので小さな拝所で、側に集落の門中(もんちゅう、父系一族の集団)名の銘があるコンクリートの石碑があります。現在は大幸地(うーご
那覇市宇栄原(うえばる)1丁目の住宅街の高台に大嶺御嶽という場所があります。『大嶺』とは集落名で、現在の大嶺集落は集落全てが那覇空港となっています。その為に大嶺集落は地名として存在していますが住民は他の地域へ分散しています。ここにある拝所は移動してきた物です。中に入ると歩道があって右手に神屋があります。神屋の多くは敷地の右側にあります。神屋の横にはサバニ(漁船)を模したベンチが設置してあります。かつての大嶺集落は半農半漁の集落でした。今でも地バーリーという地上で船を漕ぐ仕草をする他地域
宜野湾(ぎのわん)市野嵩(のだけ)2丁目の端にビンジリ拝所と呼ばれる拝所ががあります。拝所のある場所は普天間飛行場という米軍基地のフェンス沿いにある駐車場にあります。国道330号から小道を進んで右に曲がる小道を更に進みます。その道を進むと駐車場があります。駐車場はフェンスで囲まれています。ビンジリ拝所は駐車場に入ってすぐ左側にあります。これがビンジリ拝所です。石板を組み合わせた様な小さな拝所で、石製香炉が置かれています。拝所の前にはウル(珊瑚)を砕いた様な砂利が広がっています。拝
那覇市松川(まつがわ)の住宅街の奥に、殿之毛と呼ばれる松川集落の聖地とされる場所があります。松川集落は首里に近く水に恵まれた地域でもあり歴史的にも古い場所です。古くは茶湯崎(ちゃゆざき)村とも呼ばれた地域でしたが、いくつかの名称変更があって今の松川となりました。一帯は首里の下方に位置する為に坂下(さかした)と呼ばれていて、現在も一部の施設には坂下の名称が使われています。路地を奥に進むと前之井(めーぬかー)と呼ばれる掘り込み井戸があります。ここは人々の生活を支えた水源でした。今でも水量は豊
『』八重瀬(やえせ)町字志多伯(あざしたはく)集落の高台に神座之嶽と呼ばれる拝所があります。集落内の高台に向かう急坂を上がって行きます。古い集落は斜面に展開する形があります。いくつかパターンがありますが、ここは聖地→集落→水源という古い形態が残っています。坂を上がると左手に石畳の様な参道があります。そこを進んで行きます。程なく進むと案内板のある広場があって、その左下奥にも広場があります。奥に鎮座している大きな岩が神座之嶽となります。コンクリート製の石碑と香炉が設置されています。神座
南城(なんじょう)市玉城字玉城(たまぐすくあざたまぐすく)に古くから伝わるとされている聖泉があります。道の奥に見える丘陵は玉城グスクです。グスクへ向かう道の途中に海側の方向に小さな坂道があります。そこを下りて行きます。坂道は途中からコンクリートの急坂に変わります。暫く下りて行くと右手に墓がある場所に着きます。その墓の正面にユナカヌユーヌウッカーの史標があります。中は薄暗い藪になっていますが何となくの道ができています。上に行ける様にブロックで石段状の道があります。上に進むと大きな樹が
安須森御嶽:沖縄県国頭郡国頭村辺戸アシムイとは沖縄本島の最北端、辺戸岬の近くにある安須森御嶽のことで、琉球創世神話に登場する至高の聖地である。琉球国の正史「中山世鑑」(1650年)の「琉球開闢之事」には、阿摩美久が天帝に命じられて九つの島をつくることが記されている。「嚢昔天城ニ阿摩美久ト云神御坐シケリ天帝是ヲ召レ宣ヒケルハ此下ニ神ノ可住霊處有リ去レドモ未タ島ト不成事コソクヤシケレ爾降りて島ヲ可作トソ下知シ給ケル阿摩美久畏レ降リテ見ルニ霊地トハ見ヘケレトモ東海ノ浪ハ西海ニ打越シ
浦添(うらそえ)市仲間(なかま)にある浦添中学校の裏道を進んで行くと緩い坂道があります。坂道を少し進むと樹がこんもりと生えている場所があります。そこが仲間樋川となります。史標には『仲間の拝所群』とあります。仲間樋川は仲間集落の拝所の1つとされています。浦添市では最大の樋川となります。道の上から見た様子。水量はやや少ない印象ですが、水源はなんとか保っているようです。降りて行くと竣工記念碑があります。昭和10年4月に改修した際に建てられた物です。思っていたより水量が無かったですが、戦
昨日北海道霊視を終えた、先生・一徳さん・妹と昨日四国参りから帰って来た夫と娘と私の六人で、先月娘の霊視中に出ました前世に関係した『藤原道長』のお墓へ行ってきました。調べると、宇治市木幡駅付近と言う事で1号陵~37号陵あり、そのうちの32号か33号が藤原道長のお墓という事でした。行って見ると住宅街にあり、お墓は飛び飛びの所にありました。宇治陵33号宇治陵32号木幡の地は、藤原道長や頼道など代々藤原氏の埋葬地でした。木幡山野には古塚が重なりあい荒れるがままになっていたそうで、
皆さん、おはよぉーございま〜すぱぱいやの初美ママでーっす臨時休業中の昨日はパワースポット巡りに南部までGOーーー奥武島の竜宮神様でレインボー🌈がキレイに写ってましたっ❗もぅ社長レインボーマンやーーーん‼️この岩が奥武島の竜宮神(リュウグシン)様〜〜〜奥武島は拝所がいっぱいあって神の島とも言われてるらしく22番の竜宮神は奥武島の奇岩のパワースポット❣️❣️竜宮神は奥武島の奇岩パワースポット!探検気分で行ってみよう空には龍みたいな雲も現る❣️はいっ❣️これっ❗
沖縄県南城市にある世界文化遺産琉球開びゃく伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地斎場御嶽(せーふぁうたき)久しぶりに行ってきたー🚗³₃いつも県外からの知り合いを「連れてってー」言われたときに案内してたけど、世はコロナだし…なかなか沖縄に来る方も減ったので、行くことなくなってたなぁ(´ᐞ`)この間から沖縄は、梅雨入りしてて本日も残念な天気…☔まぁ、そのおかげで全く人がいない♪♪静かだし、ゆっくりまわれる(^^♪1⃣大庫理(うふぐーい)入口の御門口(うじ