ブログ記事284件
皆さま、こんにちはこんな子と外回りしたいですね〜‼️外回りするような仕事じゃないけど〜🤣どうも‼️上級者ですもっくる新城ツーリングから帰ってきてから、謎の体の怠さと腹痛に悩まされていました年甲斐もなく❓ꉂ🤣𐤔カブで長距離をやったツケでしょうか⁉️しばらくはカブでの長距離は控えようと思いますまたヤル気でいるんか⁉️ꉂ🤣𐤔現在は体調もほぼ回復してきましたコメントへの返信が滞っております。申し訳ありません。少しずつ返信して参りますので、しばらくお待ちください🙇♂️皆さまご心配
[下関要塞/大正期]数珠山演習砲台②観測所・指揮所など起工・竣工、運用など明確な資料に乏しい竣工:大正4年10月27日?備砲:[北]28センチ榴弾砲×4門、[南]24センチ加農砲×4門(終戦時は28センチ榴弾砲×4門、7.5センチ野砲×1門が残っていたようだ)出典:国土地理院1947/10/04(昭22)USAR515-26、より抜粋・加工出典:国土地理院1975/01/07(昭50)CKU7424C147、より抜粋・加工[北]28センチ榴弾砲×4門
八戸要塞(通称):小峠トーチカ出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)八戸市の旧南郷村。国道340号線(登り街道)は是川地区と天狗沢地区の間を通る。陸軍は是川も天狗沢を重要な防御陣地として考えていたようで、コンクリート製トーチカや掩体などが多
[下関要塞/昭和期]大島砲台①砲座着工:昭和10年5月1日竣工:昭和11年11月20日備砲:45式改造固定15センチ加農砲×4門設置:標高148m/150.63m任務:蓋井島砲台・白島砲台・小呂島砲台と連携し、玄界灘と響灘における敵船舶の坑道妨害、我が海上航路を掩護するに在り(←現代本邦築城史より)事実上の廃止:昭和20年2月連絡網:海底ケーブルで蓋井島砲台経由で下関要塞司令部、海底ケーブルで壱岐要塞小呂島砲台と直通。福岡県宗像市神湊湊から北西6.5キロ沖合、筑前
少し長い名前ですが『戦災建造物東大和市指定文化財旧日立航空機株式会社変電所』をご存じですか?東大和南公園の北側に、突然ぎょっとなる様相で、銃弾跡をそのままに戦時中からタイムスリップしたような建物があります。東大和のプールのすぐ南側です。この公園は元々、軍用機のエンジンを製造する大きな軍需工場がありました。太平洋戦争末期に、軍需工場が集中していた多摩地域は、数多くの空襲を受けました。この工場でも昭和20(1945)年の2月17日、4月19日、4月24日に受けた3回の攻撃で、工場の
2024年2月千葉県松戸市に残る戦争遺構を見てきました場所は「聖徳大学」の辺りですJR松戸駅と聖徳大学の間の階段を上ります階段左壁と一体化した「陸軍用地」下の小さいのは「松戸市」階段右にも「陸軍用地」背後に写っているのが「陸軍工兵学校の倉庫」です(軽油庫ともされています)倉庫正面扉が4枚右2枚はコンクリートで塞がれています左端から一番手前の扉を拡大リベットが確認出来ます航空機みたい?右端からここで軽油を出し入れしていたのでしょうか?階段歩いてる途中に突然「ボヤッ
浦上駅脇にある、観覧車があるショッピングモール「ココウォーク」から東側の坂道を少し登った所にある墓地内に「原爆犠牲者之慰霊塔(浦上町)」が建立されております。所在地:長崎市緑町5建立年月日:昭和29年8月14日管理者:長崎郷土振興会まずは碑文をご紹介致します。(裏面)昭和二十年八月九日原子爆弾による四○○余名の犠牲並びに戦争犠牲者の霊よ安らかに眠れ浦上町(正面)涙痕之碑昭和五十年八月九日被爆三十回忌長崎郷土振興会之建(納骨堂)昭和五十一年五月竣工
しばらく中断しておりました「大東亜戦争ダークツーリズム長崎県編」を今回より再開したい思います。長崎県内の戦争遺跡探検は何度も行っておりまして、今回からご紹介するものは、2015年9月にシルバーウィークという五連休がございまして、その休みを利用して訪れた時のものからご紹介致します。今回ご紹介する所はあの世界遺産「軍艦島」のある長崎市南部に向かう途中の長崎市伊王島町地区というにある伊王島という島でして、ここにかつて陸軍部隊が置かれていましたので、その痕跡を探しました。そもそもこの島
最近の調査の中心である、戦時下において各市町村の在郷軍人会によって作られた射撃場について、今後の調査の参考ともするために図書館において机上調査を行いました。下記にそのリストを記述していきます。また、今後さらなる調査によって判明したものや実地調査を行った場合には追記します。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈川越市なし?(川越市史に岩殿山(東松山市)において訓練を行っている国防婦人会の写真が掲載)所沢市三ケ島(現早稲田大学所沢キャンパス付近、所沢市史に記載)飯能市(旧吾野村域を含む)
[沖縄戦]沖縄方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)①沖縄県豊見城市字豊見城236当地へは何回か訪問しているので、撮影時期が異なる写真が入り交じっています矢印の順に進む信号室内部はコンクリートの柱的なものがオブジェっぽくあるが、これは戦後につくられたもの。往時は素掘りで杭木(支保工)で支えられていた。戦後、何者かが司令壕内の杭木(支保工)を持ち出している。反対側の出入口からみる*メイン通路奥は北出口へ、手前は南出口へ南出口は現在、出口として使われてい