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百里ヶ原航空基地起工:昭和11年(1936年)竣工:昭和14年12月1日、海軍百里ヶ原航空隊開設(筑波海軍航空隊百里ヶ原分遣隊より独立)滑走路:1,600mx1,300m(芝)掩体:中型有蓋10、中型無蓋3、小型無蓋142主任務:教育昭和18年12月頃:機上練習機を削減して、艦爆・艦攻・陸攻の慣熟訓練教程を追加昭和19年6月:太平洋上哨戒任務を追加昭和19年10月1日、第721海軍航空隊(桜花訓練隊)が開隊。昭和19年11月7日、721空、神ノ池飛行場に転出。昭和2
[第一国分航空基地]発電施設鹿児島県霧島市国分福島昭和17年:農地を収用して着工昭和18年:出水海軍航空隊の分遣隊、移駐昭和19年8月15日:国分海軍航空隊開隊(昭和20年3月1日解隊、観音寺に移駐)昭和20年3月頃:特攻機の発進基地になる(記録では3月18日〜4月17日まで)滑走路:1,500m×50m(コンクリート敷)、飛行区域:1,350m×1,000m(芝)第一国分航空基地(第一国分飛行場)発電施設説明書きなど、なし。住
2018年11月24日の横須賀散策レポの続き。「猿島」の続き。猿島(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12437122985.html管理事務所棟内、これから参加する「猿島史跡見学ツアー」の受付には、見学ルートが掲示されていて…。「ガイドと一緒に島の裏側まで約45分」「普段入れないレンガ積み要塞の中を見学できるツアーです」とありますね。普段閉鎖されているレンガ積み要塞の中にも入れるのか~これは、楽しみだ♪
八戸要塞(通称):島守地区①監視哨?(トーチカ)出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)八戸市の旧南郷村島守地区、県道138号線「鷹の巣展望台」の一帯には、塹壕とトーチカ、火薬庫などが現存している。とはいえ、この138号線の道路工事と開墾など
八戸要塞(通称):是川地区③観測所出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)*観測所(兼指揮所?)是川地区の標高が一番高い(150メートルくらい)ところにある。是川地区と天狗沢地区にそれぞれ15K砲台が設置されている。山の所有者様によれ
[下関要塞/昭和期]吉見穹窖砲台山口県下関市吉見の吉見港から北北西に約2.5キロの山麓。ここに吉見穹窖砲台(洞窟砲台)が構築された。戦況が著しく悪化、本土決戦が現実的になった昭和20年2月以降、下関要塞守備隊は再配備計画に基づき、砲の新設・移設作業にとりかかった。具体的には角島砲台に配備されていたラ式15センチ加農砲4門のうち、2門が「対上陸戦」に備えて山口県本土の杖坂山(→吉見)、残る2門が玄海島(→大休庵)に移設。昭和20年2月下旬のキ号演習(砲台移設)当初、垂水峠ではなく
八戸要塞(通称):是川地区②待避壕?出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)*待避壕?①同じものが島守地区にもあり、ここと同じく至近距離に防御陣地がある。考えられる用途としては待避壕、一時的利用の砲具入れなどの倉庫など多目的壕と思われ
続きですまがったとこで美味しいモーニングを食べて今治北ICからバビュ〜ンと大三島ICへ降りてやって来たのは盛港しまなみ海道に来た時前を通りながら行きたいと思うけどフェリーの時間に渡って廻るのも時間がかかるので諦めていたのですが朝イチ大久野島へのフェリーに乗れば行けると踏んで前日の最終便で来たのはこの為です車は乗り入れ出来ないので駐車場に停めて置きますこの時点で何処に行くのかは相方さんにはまだ言ってない🤣🤣9時5分発迄時間があったので相方さんにウサギの餌買っていかないと言ったらキ
[沖縄戦]沖縄方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)①沖縄県豊見城市字豊見城236※後日、加筆・修正いたします旧海軍司令部壕事務所の説明昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月
Temuで買ったもの(3)バッテリーカットオフターミナルこんな単純な装置よっぽどなことがないと負けはないやろamazonだと1000円弱ていうかチョット待てなんやこの到着時間は?N-VAN買ってからminiの出番があまりなくてバッテリー上がっちゃうから導入充電もしとこ大勝利、3勝0敗それはさておき続きです鶴御埼灯台周辺にいろいろスポットがある。灯台を目指す順路に従って砲台跡地。マップ通りいくつかある。歩道を登って
2018年11月24日の横須賀散策レポの続き。「猿島」の続き。猿島(その2)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12447322660.html「猿島史跡見学ツアー」で、更に奥に進むと、右手にレンガ積みの遺構が見えて来て…。「猿島要塞」という由緒書き。猿島の要塞は、東京湾口の守りを固めることで目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。すべての施設が岸壁を掘り込んで造られているので、島の外からは全く見えない構造とな
【沖ノ島戦争遺構群】千葉県房総半島の戦争遺跡続いては沖ノ島。上記写真、館山航空基地の周辺も含めて取材をさせて頂きました。元々は四方が海に囲まれた無人島だった沖ノ島ですが、関東大震災の際の地盤隆起と隣接した同じく無人島の鷹ノ島(現,鷹ノ島公園)が、航空基地建設の為、本土に取り込まれたことによる周辺の海流の変化等、幾つかの要因が重なり現在の様に陸繋島(地続き)になったそうです。※陸繋島(りくけいとう)以前は島だった陸地の事。館山航空基地が完成した昭和5年以降、沖ノ