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このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAECV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・その②翔平の部屋で三人で先生に呼ばれるのを待った。それぞれが気を使い今日こんな面白いことがあったよ~とかたいして面白くもない話に異様に反応しゲラゲラ笑ったりした・・どうにかこの場の重い空気を変えようと。しばらくすると看護師さんが呼びにきた。部屋に入ると教授、主治医、看護師さんが待っていた私たちが席に着くとすぐに再発です・・・と
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...⑤誰も何も言わないけれど翔平...大丈夫なんだろうか...。不安で何度も家族に連絡し、お父さんも弟もそして、おっちゃん(もう一人のお父さんと慕っていた)も、仕事の前に来てくれる事になっている。暗くて、不気味な夜がようやく明けてやっと朝がきた。もうすぐみんな来てくれるよ!翔平に声をかけるとうっすらと目を開けたように見えた。それからま
春のEBウイルス量の結果が30万。この夏のウイルス量は300万でした。残念ながら元通りになってしまいました主治医曰く、30も300も大差ないから気落ちしない方がいい。とのことですが、やっぱりちょっとショックです。どこかでこのまま寛解しないかな。て思ってたから見方を変えれば、あれだけ日焼けをしたのに悪化してないという満足な結果ではあります
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月21日相変わらす熱が下がりません。血液検査の結果が午後には分かるとの事だったので、夕方に病院に行く予定にしていた。が・・・・リリーン『今からすぐ病院に来てください!』『えーっ、何事ー』翔平を連れて急ぎ病院へ病院に着くとすぐに診察室へ通された。先生が先日の血液検査の結果表をじーっと見ながら首を傾げる。『最初の検査結果も数字が悪かったけど、もしかしたら何かの間
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...①怖い恐ろしいスピードで息子の容態が悪くなる昨日まで出来てた事が次々と出来なくなってしまった。寝返り...出来ない口腔清潔...出来ない衣服の着脱...出来ない食事摂取...蓋を開けたり箸を持たせる一部介助全身状態悪化傾向で、倦怠感も増強しているように見える。実際にビリルビンの数字上昇で黄疸も酷くなっている。じっと翔平の顔を見て
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...③昨日一人で主治医の先生と話した移植のこと...今日は家族みんなで先生と話すことに。談話室に入ると教授も同席していた。それだけで益々不安が高まった。「昨日お母様からお尋ねがあった移植の件ですが・・・やはり、今の翔平君には難しいと思います。」頭が真っ白になった・・。自分から言い出したことなのにはっきり言い渡されるとやはりショックでした
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月2日昨日は、救急車で運ばれ、痛~い検査を受けまさかの抗がん剤での治療を始める・・・と、とても慌ただしい1日でした。今日は、翔平も少し落ち着きを取り戻しお店のオーナーさんに『やっと治療が始まりました。心配かけてすみません。今の自分は、転んで血が出たら止まらずに死んでしまうし、風邪引いただけでも重症化して死んじゃうらしいです長い期間のお休みとなっ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。久し振りの更新です。急に実家の母が入院しましてそのお世話でバタバタしておりました幸い体調も回復し、先日無事に退院することが出来ましたまた、ぼちぼちブログ更新していきますのでどうぞ宜しくお願いします。H29年2月6~8日翔平の味覚がなくなりました・・・・。抗がん剤とかの副作用だと思いますが前回までとは比べものにならないくらいです何を食べても味がしない・・そ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月28日退院後初めての外来治療です年末なんで病院自体は休診・・・なんですが翔平は抗がん剤治療を受けないといけないので時間外受付から入院してた血液内科の病棟へGo三日前までお世話になってた病室もうすでに懐かしい感じお帰り~って看護師さんから言われやめてよ~帰ってきたわけじゃないしぃと笑顔で会話例のごとく何本も採血され(それでなくても血
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月9日ナースステーション前の観察室から四人部屋へ移動したとの連絡。これって、良くなってきたってことー『翔平、ちゃーんと皆さんにご挨拶しないとダメよ~』なーんて、26にもなった息子にLINE(いくつになっても・・・ってゆーでしょ)すると『みんな、じいちゃん・ばあちゃんで、カーテンをシャーって閉めてて静か~。後で顔見たときに挨拶しとくね』そうよね
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...④しばらくすると翔平の覚醒状態も少し落着きはじめた。が、ホッとしたのも束の間今度は呼吸が肩呼吸になってきた。急いでナースコールを押すモニターが装着された。この時はまだ名前を呼ぶと目をあけて、「う...ん。」と答え手を握ると力は弱いが握り返してくれていたそれから二時間程すると末梢チアノーゼが見られるようになり呼吸も苦しそうにな
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月20日...②もしもし・・・電話は主治医の先生からでした。いつになく暗く重たい声に何かを察してか私は話を聞く前から震えが止まらず泣きそうになりました。お母さん、お仕事中にすみません。夕方病院に来られる事は承知していますがその前にお伝えしたい事がありまして...翔平さん、とてもよく治療頑張ってくれています。私たちも早く元気になって欲しいと思って
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その①翔平君の担当をします・・と緩和ケアチームの方々が病室にやって来た。えっ!翔平そんなに悪いの?!私の勝手な認識で申し訳ありませんが『緩和』って聞くと末期の癌患者さんが心穏やかに最期を・・というイメージがありました。※気分を害した方がいらしたらごめんなさい。あくまでも、私個人の今までの考えでした※担当医はもちろん看護師さん・栄養
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月6日ぐ~たら過ごしたお正月も終わり今日は3回目の外来日前回までは病院休みの日の治療だったんで入院病棟で抗がん剤受けてましたが今日は一般外来にて初めてなんで順序が受付の機械の前にはすでに長蛇の列田舎もんなんで初受付機にあたふた(笑)なんとか受付番号をとり次は、血液検査ここでも長期戦の予感・・・あれっ、あれあれっあの検査技師の方はぁT
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月14日抗がん剤とステロイドでの治療の副作用ですが翔平の場合は口内炎倦怠感止まることを知らない食欲不眠気分の高揚からの~落ち込み・・・・などなど・・・。病院のご飯はぁってことで、私が作った肉じゃがなんぞを、それはそれは美味しそうに食べてくれてました。病気の症状の中に肝機能障害と内臓の腫れがありました。肝臓や膵臓そして、脾
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月31日・・その①一睡も出来ずに一夜が明けたふと携帯を見ると、翔平からの返信があった母さん、昨日はごめんね自分でも状況を呑み込めなくて何て返したらいいかわからなかったから・・父さん、母さん心配かけてごめんそして、ありがとう、感謝してます。いつもそうだった自分のことより人のこと・・。優しい息子なんです(親バカですみません)すぐさま翔平の元へ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月21日...③これまで大変な難病を患っているとは到底思えない位元気に振る舞っていた翔平でしたが今回、カテーテル挿入をしてガクっと気力体力が落ちた気がした。少しでも、頑張ってる翔平の力になりたい!と今日から病院へ泊まり込みを決めた。先生や看護師さんたちから「翔平くん、良かったね~」と言われ「俺、子どもじゃねぇし(^^;」と反論!私は側
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。この前の日曜日CAEBV患者会に参加して来ました。私は息子が亡くなった後に患者会の存在を知りました。病気の発覚から亡くなるまでの時間があまりにも早かった為また、聞いたこともない稀な病気だった為息子を奪った憎い病気の事をちゃんと知りたくて、情報を求めてネットをあさりました。亡くなってしまえば病院との繋がりも無くなりましたしね...誰か教えて~...との思いで。で
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月1日・・その①造血幹細胞移植までの流れや予定を聞くため主人と病院へ。いつもと違うのは・・・主人の兄が私たちのことを心配して今の精神状態での車の運転は危ないからと病院まで送ってくれたこと。もちろん、一番心配してるのは翔平のこと。翔平は義兄の事をおっちゃんと呼んでます。なのでこれからはおっちゃんで再発してからますます翔平の白血球・血小板は減少し
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。夢を見ました今日は闘病記はちょっとお休みして翔平の事を少しだけ・・・小学校の頃から翔平の夢は美容師でした。高校の進路指導の先生から大学への進学を勧められもしましたがキッパリお断り厳しい事で名の知れた専門学校へ往復四時間の通学を無遅刻無欠席の皆勤賞で頑張りました(我が息子ながらすばらしい)無事に国家試験も合格し希望していた名古屋の美容室に就職が決
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月22日とりあえず近所では大きな病院に入院したことでホッと一安心していた。昨日の今日・・・だし、入院の準備や手続きもあり、私は仕事を休み翔平に付き添った。翔平といえば・・『熱があるだけなのに何で入院ー』と、熱で赤い顔してブツブツ言ってるまだ自分の置かれている状況に焦りなどない。無理もないよね。午後からドクターの説明を受けた。とにかく血液検査の数字が悪いウイル
このブロクは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月22日...②日に日に...というより数時間単位で翔平の体力はもちろん気力も失われていく感じがしてならない。それは看護師さんがガーゼの付け替えに来たときでした。首のカテーテルのところから血がにじみ出てるのを目にした私は動揺してしまい、思わず血が出てる!!!と大声を出してしまいました。それを聞いた翔平は急にガタガタと震えだし看護
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月4日今日もステロイドと抗がん剤の点滴やってます。今朝は6時頃から『お茶とヤクルト持ってきて』『釣りの本買ってきて』等々・・・凄まじくLINEが入ってくる早ぇ~な、眠っ(と、いいながらも、翔平からのLINEを待ちわびてる母なのだー)点滴のお陰で熱も少~し下がって元気が出てきたみたい良かった待ってましたシャワーの許可もおりてニヤニヤ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月22日...⑤先生との話が終った後私の顔は泣きはらして真っ赤...このまま病室に戻る訳にはいかずしばらく病棟の隅の椅子に座り気持ちを落ち着かせていた。そんな私に気づいた看護師さんたちが入れ替り立ち替わりそっと横に座って背中をさすってくれ一緒に泣いてくれた。悔しいね、悔しいね、、、そう言葉を押し殺しながら。しばらくしてようやく翔平の元に戻る
このブロクは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。2月末に無事に翔平の三回忌法要が終わりました。たくさんの友達が会いに来てくれて翔平の思い出話で久しぶりに明るい声が響き渡りました。いつまでも翔平の事だけはずっと忘れないでいて...私の勝手だとはわかってますが切に願ってやみません。H29年2月22日...③依然と翔平の調子は良くない。ひとつひとつの動作も本当にキツそうでそんな中移植が近づいている
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。最近ブログ再開してちょっと私寄りの内容になっていましたが今日からまた翔平の事を綴ります。H29年2月20日...①移植に向けて着々と心の準備をやっていた。翔平も...私たち家族も...。病院からは『同種造血幹細胞移植を受けられる患者さんとご家族へ』という冊子を貰った。移植の流れや、移植後の免疫反応、準備するもの、等が書いてあった。何度も何度も目を通した。
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。私がいつも読ませて頂いてるブロガーさんからの情報で知りました。ずっと翔平の書類には原因不明と記されてました。その文字を見るたびにぶつけようのない怒りこれからどうなってしまうのかという恐怖を感じてました。息子が亡くなって二年が過ぎやっとまた一歩前進。とても嬉しいニュースなんですが私の心のどこかになんでもっと早くわからなかったの!なんで今頃なの!と、
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月15日昨日から20分程度のリハビリをやっている。足を曲げたり伸ばしたり病棟内を散歩したり母さ~んサロンパスくれーへっ?もう筋肉痛ですかい?そういえば、昨日めでたくドナーに決定したお父さん翔平からドナーが父さんで良かったと言われうるうるしてました。お父さんは25日から移植の準備に入ります。その日はお父さんの誕生日これも何かの縁でしょうか最
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・・その③やっとの思いで家にたどり着いた。家には何も知らない弟がいる・・・。どうやって話をきりだそうかと、考えていたが私たちの様子があからさまに悪かったらしくなんかあったと?と心配して聞いてきた。私は先ほど病院で聞いてきた話をした移植のこと生存率のことドナーのことすると日頃は無口でそんなに感情を表に出すことのない弟が兄ちゃん
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日朝一番に翔平に会いに病院へ急いだ今日は少しでも良くなってるだろうか?速足で病室へ・・・そして、目の前の光景に愕然とする。高熱のせいでベットの上でぶるぶると震えていた。『母さん・・さ・む・い・・。』慌てて看護師さんを呼ぶと、電気毛布を用意してくれた。どうして翔平がこんなめに合わなきゃならないのか・・・悲しくて・・・悲しくてしばらくすると震えも収まってきた。