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このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAECV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・その②翔平の部屋で三人で先生に呼ばれるのを待った。それぞれが気を使い今日こんな面白いことがあったよ~とかたいして面白くもない話に異様に反応しゲラゲラ笑ったりした・・どうにかこの場の重い空気を変えようと。しばらくすると看護師さんが呼びにきた。部屋に入ると教授、主治医、看護師さんが待っていた私たちが席に着くとすぐに再発です・・・と
翔平が旅立ってから翔平が働いていた美容室のオーナー様がお店のブログにこんなメッセージをくれました突然のご報告失礼致します。11月より病気療養の為入院しておりました弊社スタイリストの翔平が、去る2月24日、闘病の末永眠致しました。病床ですらも美容の勉強をし「退院したらこのスタイルを切れるようになりたい」と髪型のデッサンをし、僕に「こんなスタイルの切り方を教えて下さい」と連絡してくるような熱心さを持っていました。「退院したら美味いもん食べに連れてってやるから、俺たちは現場を頑張るから、翔
平成29年2月24日10時32分永眠先生からそう告げられてもやっぱり信じられない...。ゆっくり翔平君とお別れしていいですよ...そう言って、しばらく私達家族だけの時間を作ってくれた。3ヶ月前に、こんな結末が待っていると...誰が思ったでしょう。体調の変化にもっと早く気付いてあげてたら...と、後悔ばかりが頭を駆け巡るごめんね、翔平辛かったね、翔平そしてよく頑張ったね、翔平主治医の先生はもちろんこれまで翔平に携わってくれて
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...④翔平くんの頑張ってる姿見て欲しいですよね...。主治医の先生の口からそんな言葉が漏れた。先生:翔平くんが一番会いたい人に会いに来てもらいましょう!私:でも、ここは無菌病棟家族以外は入室禁止でしょう?先生:病棟スタッフには私からお願いしますので大丈夫!他の患者さんに迷
平成29年3月9日あれから二週間...医大へ支払と書類の手続きに行く。翔平が旅立ってから初めての病院車を走らせると今まで何度も通った事を思い出し泣けてきた、と同時に心臓が破裂するほどバクバクする苦しい...苦しくてたまらなかった。実は、手続きとは別にどうしても先生に聞きたい事があって「今日会えませんか?」とメールすると「是非病棟来てください。待ってます」とのお返事をいただけた。急いで手続きを終わらせ、お世話になった血液内科の病棟へ。さっそく先生に質問をぶつけた翔平が最
みなさん、コロナウイルス疲れが出ていませんか?今まで経験したことのない状況に、私も四苦八苦しています。そして...「ウイルス」という言葉が連呼される度に「EBウイルス」が頭をよぎり暗~くなってます。何はともあれ1日も早いコロナウイルスの終息を願います。みんなで頑張って乗り切りましょう!一周忌を過ぎたころ翔平と同じ病気で息子さんを亡くされた方のブログで「カルテ開示」の事を知りました。初めての入院短い闘病期間聞いた事のない病名百万人にひとり時間が経つにつれ入院中は一体ど
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日・・の続き③注)12月1日はいろーんな事がありすぎて一度に書ききれず何回かに分けてのご報告になります。あしからずようやく病名がわかり早速治療開始先生の説明を二人で聞いたすると想像さえしなかった単語が。。。抗がん剤はてうちの息子は癌じゃありませんけどぉちょっと長くなりますが・・・慢性活動性EB
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日・・の続き②血液内科の病棟につくと早速先生や看護師さんたち大勢が翔平のベッドを取り囲み、検査が始められた。先ずは、見たことも無いような大量の血液採取何本とるの~とビックリした。次に、骨髄穿刺(こつずいせんし)なにするの腰の部分にある腸骨から、血を作る組織骨髄を採取する。採取する場所の皮膚と骨の表面を局所麻酔した後で、骨髄穿刺を用いて骨髄液を採取する。
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...⑤まだかなぁまだかなぁ私は時計をチラチラ見ながらその方が来るのを待っていました。毎日、毎日翔平の口から出る名前毎晩夢の中でその方から励まされてる...と。翔平が学生の頃から憧れてた翔平が働くお店のオーナーさん。夜の10時半頃お店が終わって急いで病院へ駆けつけてくれました。しょ~へ~、会いに来たぞー!お母さんから聞いたぞいつ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その②それは突然でした。『ちょっと仕事を抜けて外に出てこれるか?』『何、何、どうしたの?』主人の半ば強引な誘いに困惑しながらも、取り敢えず外に出た。外で待ってる車に乗り込むと、そこには今まで見たことのない形相の主人が・・。『一緒に行ってもらいたい所がある』いつもの主人とは明らかに違うことに私は戸惑いました。落ち着きがなく、声もうわずって
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...②2~3日前から翔平はなかなか夜眠れなくなっていた。3日前は本人も眠れない事を気にしていて(体力を維持する為にも睡眠は大事!だからと...)うとうとしては目を覚ますその繰り返しそして、こう私に聞いてくる母さん、俺、ちゃんと寝てた?どのくらい眠ってた?大丈夫、ちゃんと寝てたよ!あー良かった、寝てたなら良かった。ほらほら安心して
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月30日いつものように会社で仕事をしていると突然病院から携帯に電話があった。『至急、病院に来てください』昨日からの40℃の熱が引かず血液検査の数字が益々低下したとの事白血球ウイルス疾患赤血球心筋梗塞血小板血が止まらないなどの恐れがあります今、一番怖いのは菌やカビです。ちょっとうちの病院では手に負えません。施設の整った病院へ転院したほうが良いと思います・・
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。今日も、翔平の病名について書きます。『血球貪食症候群』初めて聞く病名担当医の説明によると・・・医学の発達に伴って明らかとなってきた疾患のひとつ。本来人間をまもるべきマクロファージや好中球といった免疫細胞が暴走し自らの血球(とくに血小板)を食べてしまう病気だそうです。マクロファージとは・・・白血球の一種。死んだ細胞やその破片、体内に生じた変性物質や侵入した細菌などの異物を補食
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月19日・・の続き。入院中の楽しみはシャワータイムでした数日前までは銭湯♨️にでも行くかのようにお風呂セットを抱えて足取りも軽く・・しかし、ここ最近は急激に体力が落ち、歩くのもちょっとキツそうになりました。それでもお風呂の許可が出るとやっぱりちょっと嬉しそうな顔になりゆっくりゆっくり準備を始めます。若い男子だしちょっぴり恥ずかしさもあり大丈
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...①朝方になって、ようやく少し眠りにつくことができた翔平。でも、すぐ目が覚めてしまう。一番体力を使うのがトイレ。オムツにしようか...と言っても、やはり抵抗があるようだ。今朝、トイレットペーパーでお尻を拭いたらお尻の皮がベロっと剥けた。抗ガン剤などの影響で皮膚がボロボロになってしまっている。朝の採血を手の甲からしたら内出血してパンパン
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月1日・・その③移植とドナーの話が一通り終ったとき先生から思いもよらない言葉が・・・翔平君はお付き合いしてる人はいますか?へへっ、いないんですよ~なんて、軽く受け答えると・・・このまま治療を続けていくと、化学療法の影響で精子の形成が阻害されます。つまり・・子どもができなくなるということ普通に結婚して普通に子どもができて普通に美容師の仕事を頑張
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。今日は、翔平の病名にある『EBウイルス』について書いてみます。日本人の約90%は自然感染するウイルス。そのほとんどは無症状ですが中には発熱などの軽度の炎症を起こす人もいます。症状が治まっても(全くなくても)ウイルス自体が完全にいなくなることはなく私たちの身体の中で静かに生き続けています。その為、大きく免疫機能が落ちたときに、稀に活性化することはありますが多くの人は初感染
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。お久しぶりの更新ですえーっと職場の『春祭り』があってぇ準備とかで忙しくってぇ・・・・と、言い訳はこのへんで。H28年12月7日朝、翔平からのLINE。『母さん、フツーにくしゃみしたら鼻血でた』『ふーん。』鼻血くらい、たまには出るっしょと、軽~く思ってました。昼、翔平からのLINE。『母さん、なかなか鼻血が止まらんでも、止血薬を染み込ませた脱脂綿
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...③薬の効果もなく全く眠りません。言葉も何て言っているのか聞き取りにくくなりました。でも、しきりに「もー、なんでー」時には、突然「ちくしょー」と叫びます。・・・びっくりするような声で...。突然両手を挙げそして頭を抱える...翔平。なんか、指の形もおかしい。「母さん、俺の体どうなってんの...」「母さん、
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月15日口内炎の痛みと戦いながらも食欲には勝てずこの頃はゼリー唐揚げプリン焼きそばカップラーメンコンビニサラダおにぎりたこ焼き食べ過ぎ注意を言い渡されてるにもかかわらず大量のリクエスト恐るべしステロイドそーいえば以前ブログに書いた骨髄穿刺の時、助手を務めた研修医の先生が病室に来られました。あら、一人で珍しいどうかしたのかな
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。昨日のブログでは皆さんに心配して頂き申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます。昨日は書きながら色んな事を思いだしまた、上手く状況を文章に出来ず、ちょっと説明も足りてなかった・・と反省。私は断片的に、そして冷淡に表現しましたが、先生は私を気づかい、ゆっくりと話してくれました。とにかく容態が良くないので、私一人ではなく家族みんなで来て欲しい・・それを伝え
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月4日今日もステロイドと抗がん剤の点滴やってます。今朝は6時頃から『お茶とヤクルト持ってきて』『釣りの本買ってきて』等々・・・凄まじくLINEが入ってくる早ぇ~な、眠っ(と、いいながらも、翔平からのLINEを待ちわびてる母なのだー)点滴のお陰で熱も少~し下がって元気が出てきたみたい良かった待ってましたシャワーの許可もおりてニヤニヤ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月16日今日は、だいぶん気持ち悪さが抜けて少し食べれるようになったよとLINEあり。良かった良かったさっそく、今日病院に来るときに持ってきてね~とリクエストが・・りんごジュースお赤飯のおにぎりコーンスープ甘いカフェ・オ・レetc.ラジャーリクエスト品を持って病室へ・・あれっなんか翔平の顔がいつもと違うよーな?う~ん・・?あっ!!
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月中旬治療が進むとともに毎日の血液検査の数字もだいぶん良くなりつつあります『抗がん剤治療』今まで、聞いたことはあっても家族の誰も経験した事のない治療・・・翔平・・不安だったろうなぁ。翔平・・辛かったろうなぁ。やった人しかわからない大変な思いをしたんだろうな・・と今でも思い出しては涙が出ます。さてさて、先日のリクエストの品々のなかにスケ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月28日『母さん、、、ちょっとダルい』翔平の言葉を聞いて、軽くめまいがした。心臓が大きく鼓動する。恐る恐る・・・熱を測った・・・38度の発熱退院してから毎日、朝晩、体温測定やってた翔平今まで一度も熱が出たことなかったのに何が起きたの昨日診察受けたばかりだよ教授言ってたよ順調、順調、いい感じってあっ、風邪ひいたのかなそれとも
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。夢を見ました今日は闘病記はちょっとお休みして翔平の事を少しだけ・・・小学校の頃から翔平の夢は美容師でした。高校の進路指導の先生から大学への進学を勧められもしましたがキッパリお断り厳しい事で名の知れた専門学校へ往復四時間の通学を無遅刻無欠席の皆勤賞で頑張りました(我が息子ながらすばらしい)無事に国家試験も合格し希望していた名古屋の美容室に就職が決
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月29日・・・の続き真っ暗な道をただひたすら、必死に車を走らせた翔平、頑張れ心配しなくていいからもうすぐ病院つくからね夜だったし私も焦ってちょっとスピード出したしいつもよりずっと早く23時半頃病院に着きました。あいにくこの日は日曜日専門の先生はおらず当番医の先生でしたさっきよりもまた熱は上がってます明日、詳しく検査しないとこの熱の原因
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月29日昨日からの発熱に翔平はもちろん、家族みんなに不安が募る。解熱剤を服用しても全く熱は引いてくれないどうしよう・・・どうしよう・・・何度も翔平の様子を見に部屋に行くと『母さん、大丈夫だよ、すぐ良くなるよ。だってオレ奇跡を起こした男だぜEBウイルスだって消滅させたもんね』と、逆に私が励まされてしまったとはいえやはり心配でならない・・・や
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。まずはじめにたくさんの方にブログを読んで頂いてることを感謝いたします。こんな病気があるということもしかしたら・・と早期発見に繋がれば・・そんな思いで始めたブログです。これからもどうぞ宜しくお願いします。H29年1月31日・・その②今夜は私と翔平と主治医の先生と三人で話した。昨日私たちを震撼させた骨髄移植の件よくよく話を聞くと先生がやろうとしている移植
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。最近ブログ再開してちょっと私寄りの内容になっていましたが今日からまた翔平の事を綴ります。H29年2月20日...①移植に向けて着々と心の準備をやっていた。翔平も...私たち家族も...。病院からは『同種造血幹細胞移植を受けられる患者さんとご家族へ』という冊子を貰った。移植の流れや、移植後の免疫反応、準備するもの、等が書いてあった。何度も何度も目を通した。