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みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。さて、青森県弘前市には、岩木山を中心として辺りぐるっと先の尖がった三角のピラミッド山がたくさん点在しています。縄文遺跡“大森勝山遺跡”です。歴史教科書に出て来そうな写真ですね。大森勝山遺跡のすぐそばには貴船神社があり、御祭神がジャバザハット、もとい、失礼しましたこちらの神様は、『闇おかみ神』だそうです。『闇おかみ神』(くらおかみのかみ)この漆喰塗りの本殿に
やはり遺伝子が大切!同じ日本人でも全員同じではない、それぞれの個性があるそれぞれの遺伝子が異なるからである私も、以下の話を聞いて驚きであった!それは、日本人は大きく分けて二つの民族であると聞いたからだ確かにわかるような気がする例えば、アイヌ人などは確かに異なると思う過去には縄文人と弥生人など異なる人種とも言われている今回の最も言いたいことは縄文人は元々野草や木の実など食べていて実は炭水化物を食べていなかった色々と説はあるが、弥生人は能登
最新報告「参考:①日本人のルーツ3集団小竹貝塚(富山)など6遺跡で人骨ゲノム解析」を見ると、日本人のルーツに三重構造モデルを提案し、従来の二種構造モデルを発展させている。しかしながら、「参考:②ゲノムが明かす日本人のルーツ」で明らかにされたように関西から四国の人が渡来系のゲノムを持ち、周辺の人々は縄文時代からの在来系のゲノムであったことと整合性が悪い。さらに、「参考:③-1と③-2稲作を伝えた渡来系弥生人は東南アジアから揚子江中下流域が起源」の結果が反映されていない。すなわち
どうやら日本の歴史と言うものは弥生人から見た正義価値観西日本の在り方を主体に記されているのかも知れないそもそも‘’空から来た○○○星の民‘’と‘’この星の元からの民たち‘’との子とは…この子らは当たり前に‘’天と地から生まれた天と地を繋ぐ為の大切な子たち‘’愛の星地球の宝物‘’宇宙の民のDNAを持つ神の御意志を具現化出来る宝物‘’だった神と共にあったこの國の大切な子らである先住の民たちは縄文人と言われた縄文人たちは五色の民西からの
鳥取県の東部に青谷上寺地遺跡という弥生時代の遺跡があって、「あおやかみじち」と読みます。ここは20年以上前に見つかったのですが、なんと100体もの人骨が出てきました。おまけに3人には脳まで残ってたんです。さらにさらに糞まで出てきたもんだから、弥生人たちが何を食べてたかの手がかりもつかめたんです。ここ青谷の地は海と山の幸が手に入って、しかも稲作も行われてたから、結構豊かな地だったんでしょうね。これらを元にDNA分析をして弥生人のことがちょっとばかしわ
現代の日本人約3200人分のゲノム全遺伝子情報の分析から日本人の祖先は三つの系統に分類される可能性が高いことが分かる昨日の毎日新聞より縄文系・関西系・東北系従来は縄文系と弥生系の二系統弥生系は弥生時代に大陸からの渡来関西系とは関西に多く古代中華の黄河周辺にいた漢民族に近い東北系は東北に多く様々な要素が混ざっていて詳しい由来が分からない、そうだ沖縄・宮古島の古代日本人や4~5世紀の朝鮮人に近い、らしい蝦夷エミシと呼ばれる謎の人々もののけ姫か特に古代では移住は民族
【学校教育に対する不審感】日本の古代について、小学生の時だったか中学生だったか定かではないが、不審に感じた記憶がある。最も鮮明に覚えているのは、縄文人と弥生人の違い。弥生人の体格が縄文人より大幅に大きくなっているというので、海外から体の大きい人がやって来たからかと質問したところ、担当教諭から稲作などの食糧事情が良くなったことが原因で、海外から大量の移住者があったということはない、という答えが返ってきた。稲作によって体の大きさだけでなく顔かたちや体つきがこれほど変わってしま
大阪人と中国漢民族祖先の系統分析と全ゲノムによる混血の解析から前回の記事「大阪は日本の中の中国?」を投稿してから(その記事は取り下げました)、もう少し勉強した結果、分子人類学(そういう用語を初めて知りました)による祖先の系統の分析、全ゲノムの単塩基多型による混血の解析などについて、その違いを明らかにして説明する必要性を感じました。もとの記事にもある程度追記しています。そこを整理し、必要な追加をした内容として、半分以上は前回記事の焼き直しのような内容となりますが、前回よりは、かなりカッチリと