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長江あたりから日本に渡来した稲作農耕民のルーツとして、旧分類のハプログループでO2であった(厳密には呉系弥生人がO2b、越系弥生人はO2aである)。これに対し、大野晋の日本語起源の一つとしてのタミル語を喋るタミル人も、旧分類ではハプログループO2であった。日本語の起源として、旧分類でハプログループD2をもつ人々(縄文人、斉系弥生人、秦氏)が主に喋った言葉を原日本語と考えている。この原日本語を同時期に共存してきた稲作農耕民も喋り、稲作用語を原日本語の中に残してきた。この稲作農耕民の一派がイン
【学校教育に対する不審感】日本の古代について、小学生の時だったか中学生だったか定かではないが、不審に感じた記憶がある。最も鮮明に覚えているのは、縄文人と弥生人の違い。弥生人の体格が縄文人より大幅に大きくなっているというので、海外から体の大きい人がやって来たからかと質問したところ、担当教諭から稲作などの食糧事情が良くなったことが原因で、海外から大量の移住者があったということはない、という答えが返ってきた。稲作によって体の大きさだけでなく顔かたちや体つきがこれほど変わってしま
九州に渡来して縄文人と同居し弥生時代を開始し、紀元前400年ころから吉野ヶ里に入植した人々はミャオ族の祖先でした!彼らは日本に稲作をもたらしました!彼らは魚、獣何でも蛋白源にしてお米を食べる。自給自足の稲作弥生人でした。和服の原点、呉服は彼らの衣装でした!彼らは、山陰地方に渡来するヤマト政権につながる斉系弥生人の祖先チャン族(Y-DNA遺伝子D2系)と生存をかけて争った歴史を持つ、Y-DNA遺伝子O2bを持った民と確信している(参考)。また、呉越同舟で知られたライバルの越人(O2a)は現在の
鳥取県の東部に青谷上寺地遺跡という弥生時代の遺跡があって、「あおやかみじち」と読みます。ここは20年以上前に見つかったのですが、なんと100体もの人骨が出てきました。おまけに3人には脳まで残ってたんです。さらにさらに糞まで出てきたもんだから、弥生人たちが何を食べてたかの手がかりもつかめたんです。ここ青谷の地は海と山の幸が手に入って、しかも稲作も行われてたから、結構豊かな地だったんでしょうね。これらを元にDNA分析をして弥生人のことがちょっとばかしわ
やはり遺伝子が大切!同じ日本人でも全員同じではない、それぞれの個性があるそれぞれの遺伝子が異なるからである私も、以下の話を聞いて驚きであった!それは、日本人は大きく分けて二つの民族であると聞いたからだ確かにわかるような気がする例えば、アイヌ人などは確かに異なると思う過去には縄文人と弥生人など異なる人種とも言われている今回の最も言いたいことは縄文人は元々野草や木の実など食べていて実は炭水化物を食べていなかった色々と説はあるが、弥生人は能登
これから書くことがヘイト差別的な意味はありませんので悪しからず!なぜ?前置きしたかと言うと…現代でも差別をしている人や差別だとして補助金を年間40億円も受けてる組織まであるからです!ホントに4000人に満たない人の団体組織に国は年間40億円の補助金を出しています!このブログを読んでいる人は過去に書いているのでわかりますよねそんな組織とこれから書く古代人とはまったく違うという意味です!蝦夷(えみし)という言葉を聴いたことが
最新報告「参考:①日本人のルーツ3集団小竹貝塚(富山)など6遺跡で人骨ゲノム解析」を見ると、日本人のルーツに三重構造モデルを提案し、従来の二種構造モデルを発展させている。しかしながら、「参考:②ゲノムが明かす日本人のルーツ」で明らかにされたように関西から四国の人が渡来系のゲノムを持ち、周辺の人々は縄文時代からの在来系のゲノムであったことと整合性が悪い。さらに、「参考:③-1と③-2稲作を伝えた渡来系弥生人は東南アジアから揚子江中下流域が起源」の結果が反映されていない。すなわち
大阪人と中国漢民族祖先の系統分析と全ゲノムによる混血の解析から前回の記事「大阪は日本の中の中国?」を投稿してから(その記事は取り下げました)、もう少し勉強した結果、分子人類学(そういう用語を初めて知りました)による祖先の系統の分析、全ゲノムの単塩基多型による混血の解析などについて、その違いを明らかにして説明する必要性を感じました。もとの記事にもある程度追記しています。そこを整理し、必要な追加をした内容として、半分以上は前回記事の焼き直しのような内容となりますが、前回よりは、かなりカッチリと
2-3弥生人の生活と青銅器農耕を基盤とした弥生人たちの生活は、いくつかの新しい特徴をもつものだった。縄文時代との違いを確かめておきたい。➊弥生時代の住居定住生活が定着し、竪穴(たてあな)住居が一般化した。また、外敵の侵入を防ぐため、住居群を濠(ほり)で囲んだ環濠集落(かんごうしゅうらく)が拡大し、瀬戸内海沿岸には軍事機能をもつと考えられる高地性集落も出現した。➋弥生時代の土器高温で焼成(しょうせい)された薄手(うすで)・硬質の弥生土器が広がり、甕(かめ)(煮炊(に
「縄文系」と「弥生系」のスペック比較縄文人と弥生人の特徴比較縄文系(アイヌ、琉球)弥生系(渡来人、大和朝廷)目二重で切れ長一重で丸く小さい。蒙古襞アリ鼻高くて筋が通っている低くて平ら輪郭角ばっているなだらかな卵型彫深くはっきりとしている浅く平たい体格低身長だが手足が長い高身長だが胴長短足アルコール強い弱い体臭