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東京五輪2020、閉会しましたね。このブログでも書きましたが、ワタクシにはスポーツ観戦するっていう習慣がなくて。なので、ほぼ見ないまま終わりましたが、twitterで見る限り、楽しんだ方が多くいるようで、良かったですねーと、そんな気分です。一方で、新型ウイルスの疫病が流行る中では、ほとんど楽しめなかったという人も、やっぱり大勢いるんでしょうね。それは残念でしたございましたね。…と、とりとめのない時節の挨拶はこれくらいにして…(笑)今日は「系図で見てみよう」シリーズを
おはようございます🎵無事帰還しました\(^o^)/この度の宮島入りの目的はコチラ↓夜に厳島神社に入れる機会って年に数回数えるほどしかなくこのタイミングでお呼ばれするという好機に恵まれました🍑生まれてはじめての舞楽拝見!!皆さま方にもおすそ分け(人•͈ᴗ•͈)実は前回伺ったのが一昨年の暮その後帰って来てから以前の大河を見返したんですよ~平清盛役の松山ケンイチがおんなじ場所で舞っておりました💃ということは太古の昔まさにココで平清盛が神様へこうして舞楽を
須磨寺の境内に、出世稲荷があります。小学生の頃、初めて訪れたときにこの神様から出世稲荷の歴史を教えてもらいました昔、平清盛さんが造営した福原京の守護神として湊川の畔に祀られたそうです。武家として立身出世を成したので出世稲荷として信仰を集めました。福原京は、1180年6月から11月まで安徳天皇(清盛さんの孫)が入られました。安徳天皇は子供↓桃太郎ように可愛いのです福原は、今の神戸市兵庫区平野のあたりです。中国(宋)との貿易を平清盛さんは指揮したいと目論んでいたようで、港を整備しました
今年は「後白河天皇の系図」に関して検索して来られる方が結構多いのです。当ブログの検索アクセスの3分の1ほどが、この関連になっています。これはやはり、『鎌倉殿の13人』やアニメ『平家物語』、そして『平清盛』配信スタートが関係あるんでしょうか。ご訪問ありがとうございます!お暇な時にでも読んでやってくださいね♪で、ご到着されるページが、こちらになっているわけなんですが…。系図で見てみよう(天皇家/後白河帝以降)(再掲)https://ameblo.jp/gonch
昨日の記事のつづきです。『意外な歓迎をされた若一神社』昨日の記事のつづきです。『神様の得意・不得意がわかっていたので…』昨日の記事のつづきです。『意外だった神様の返事のしかた』昨日の記事のつづきです。『木…ameblo.jp若一神社(京都府)は平清盛公の西八条殿があった場所。そういうこともあって鳥居をくぐるとすぐ右に平清盛公の像がありますこの写真、なぜか清盛公の右胸に白い光があたっているんですけど、別の写真でもそうでした。なぜなんでしょう、
シリーズ一覧少女クラブ版黎明編未来編ヤマト編宇宙編鳳凰編復活編羽衣編望郷編乱世編生命編異形編太陽編火の鳥乱世編感想ざくっと言えば、源平合戦に火の鳥のテイストを織り入れて組み立てたドラマ。平家の永続を願う平清盛が、宋から火焔鳥を持ち帰らせる。山で静かに暮らす木こりの弁太と、そのいいなづけのおぶう。それが離ればなれにされ、おぶうは清盛の側室吹子、弁太は牛若(後の義経)の家来となる。弁太が後の弁慶とい
大河ドラマ『麒麟がくる』、始まりましたねw主人公は明智光秀。光秀大河は2012年にもウワサになったことがありましたが、長い雌伏の時(?)を経て、2020年に実現。主演はウワサとは違う人になっていますが…(^^;ところで、大河ドラマ中にも何度かキーワードとして出ていましたが、光秀の出身・明智氏は「土岐氏」の流れをくむ一族です。この土岐氏って、何者だかご存知ですか…?このあたりを分かっていると、大河ドラマ『麒麟がくる』も、もう一段面白くなる(かもしれない)…と、紹介してみようと。今日は
■干支だけで観るとそうでもない歴史人物の算命学鑑定やってくださーい♪歴史好きのお客さまからリクエストがありました古都の遠縁のご先祖さまにもあたる平清盛を算命学鑑定してみようかしら♪今宵は歴史好きによるロマンとリスペクトをこめて算命学鑑定です♡平清盛の生年月日をWikipediaさまで調べましたら永久6年1月18日生まれ先発グレゴリオ暦1118年2月17日先発グレゴリオ暦って何なのかしら!さらに調べましたら1582年から採用されたグレゴリオ暦を1
2020年8月29日は高野山に行ってきました(*´꒳`*)第一の見どころ?当初は結界の意味が強い鳥居状の中門だったのが、焼失と再建を繰り返しながら楼門になったそうです。金堂には、平清盛の血で中尊を描かせた血曼陀羅があるそうです。おまけに、御本尊の薬師如来は高村光雲作なんですって(≧∀≦)六角経蔵(荒川経蔵)は、鳥羽上皇の后であった美福門院得子が創建したそうです。山王院御社(みやしろ)はほとんど見えない(⌒-⌒;)右から丹生都比売命・気比明神、高野明神・厳島明神、十二王子・百
本日も、前々回からの続き。藤原氏魚名流を取りあげて行こうと思います。魚名が見た夢(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12728328493.html前回は、「武士系藤原氏の代表格」とも言える「藤原氏秀郷流」をご紹介しました。系図で見てみよう(藤原氏秀郷流)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12730979360.html今回は、秀郷流の祖となった藤成の兄・鷲取の末裔をご紹介します。
摂関家の争い久安6年(1150年)9月26日。前関白・藤原忠実の命により、源氏の棟梁、源為義率いる源氏の軍勢が、摂政・藤原忠通の東三条殿を襲撃。藤原氏の氏の長者に代々伝わる朱器台盤を強奪するという事件が起こります。頼長に氏の長者を何としても継がせたい忠実が強硬手段に出たのです。朝廷のお公家さんというと、のんびりまったりしたイメージがありますがこんな感じ?なかなか、どうして武闘派なんですよね~。「朱器台盤」というのは文字通り、朱色の器
先週、土曜日から遅くなったけど孫のお宮参りとお食い初めの為大阪に行っておりました。その集まりは日曜日だったので前日、土曜日に読メのお友達と再会する予定だったのですが急遽、お友達の都合がつかずで一人で土曜、月曜とアチコチ行ってきました。その様子は自分用の備忘録として後程ブログアップしようと思っています。さて、往復の新幹線の車内で前編に続く後編へを読了したので。後編もブックオフで購入↓後編、最初の方は前編から続く俳優の方々へのインタビ
先日、藤原北家傍流の祖となった藤原魚名をご紹介しました。魚名が見た夢(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12728328493.html今日はその続き、藤原氏魚名流を取りあげて行こうと思います。とはいえ、平安時代も初期の初期に枝分かれした家なので、その末裔は多岐に渡っていて、1回で語りつくすのは無理(言い切った)何回かに分けることにした中で、今回は藤原魚名の五男・藤成(ふじなり)の子孫をご紹介します。必要とはいえ盛大に脱
鞆の浦から呉へやってきましたここは大和ミュージアムMarkが来たいと熱望したスポットです戦艦好きの息子もここだけ行きたいと言っていたのですが高校を卒業したら行くって入って飛び込んでくるのが大和ひろば全長26・3mもある10分の1の戦艦『大和』すごーいの一言写真がいっぱいあるのでiPhoneで撮ったものとデジカメで撮ったものをそれぞれまとめちゃいました車で待
頼盛の元服天養元年(1144年)七月。明子を失った清盛は、すべてに気力を失って漫然と日々を過ごしていました。都では、比叡山の僧兵たちによる強訴が度々起こり、その度に平氏一門は鎮圧に出動します。鳥羽院は平氏の武力を頼りにしつつも、忠盛を「四位」より上の「三位」の位には決して昇らせようとはせず、清盛はさらに虚しさを募らせます。そんな時、一人の僧侶が清盛を訪ねてきます。その顔を見て清盛は驚きます。それは、出家した高階通憲でした。「道理の通じぬこの世にほとほと愛想が尽きた」という
昨日のこのブログで、大谷翔平がバットボーイにも敬意を持って接し、道具を手渡しにして声を掛ける、というエピソードについて書いた。その話を書いていて、思い出した話がある。平清盛が家来を大切にした、という話である。福原大相国禅門のわかがみ、いみじかりける人なり。(略)召し使ふに及ばぬ末の者なれども、それがかたざまの者の見るところにては、人数なるよしをもてなし給ひければ、いみじき面目にて、心にしみて、うれしと思ひけり。かやうの情にて、ありとあるたぐひ思ひつきにけり。人の心を感ぜしむ
大変ご無沙汰いたしております。このブログを始めた時は、4歳と2歳だった我が家の息子たちも、9歳と7歳──小学校の四年生と二年生になりました。あの頃よりはだいぶ手がかからなくなったはずなんですが、私の方はあれこれと浮世のしがらみばかりが増えて参りましてブログを開く回数もめっきり減ってしまいましたいっそ閉鎖してしまおうかとも思ったのですが、本日久しぶりにログインしてみましたら放置しっぱなしなのにも関わらず日々、今でも大河ドラマの感想記事をはじめ、過去記事にそれなりにアクセスを頂いてい
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説YouTubeチャンネル『短歌往来』2020年4月号に評論を執筆しました。「梶間和歌の評論の載っている4月号を」と言い添えてご注文くださいませ。ご購入はこちらから歌集『生殖の海』のご予約はこちら*:..。o○○o。..:*題しらず惜しめども散りはてぬれば桜花いまはこずゑを眺むばかりぞ後白河院新古今和歌集春下146【現代語訳】いくら惜しんでも惜しんでもすべて散り果ててしまった以
山口の岩国美術館と吉川史料館から広島への、日帰り国宝の旅の最後は安芸の宮島です(^-^)/JR岩国からJR宮島口に電車で移動し、宮島口からはフェリーで、宮島に渡りました(^-^)/恥ずかしながら私、厳島神社が宮島という"島"にあることを、この歳まで知りませんでした(^_^;)本土から海に突き出てると思ってました…残念ながら大鳥居は、現在修復工事中のため、覆いに覆われています。到着してすぐ向かったのは、宝物収蔵庫。↑の画像で厳島神社の裏にあるのがわかると思います。こちらで、年に1回厳
生半可な気持ちで参拝してはいけない神社。として知られる神戸の氷室神社恋愛成就しすぎる神社として有名な神戸の氷室神社を参拝しました。住宅街の奥にある、決して広くも便利でもない神社。最近テレビで知って、すぐさま参拝を決意しました!最寄りの石井町のバス停から徒歩10分以上かかりました。氷室神社とIKEAを廻りたかったのですが、駐車場もないわ、最寄りのパーキングも遠い(バス停辺り)ので、大人しく電車とバスで行きました。参拝したら、2時間くらいその土地にいる方が良いらしいし。カフェがあった
東山区大和大路松原にある真言宗智山派のお寺『六波羅蜜寺』。今回は生年月日から占い、毎年更新されるおみくじ『開運推命おみくじ』で今年2024年を占おうとやってきました。六波羅蜜寺は古い歴史あるお寺で、天暦5年(951年)空也上人により開創され、西国三十三所第十七番観音霊場、日本最古の都七福神の一つ弁財天の札所として古くから知られ、信仰を集めています。こちらではお寺の開祖である空也上人立像を令和館(宝物館)で安置し、拝観もできます。口から6体の小さな阿弥陀如来が飛び出す珍しい造形の
京都のお寺って似たような名前ばかりで、ややこしい…。そこで、平安時代に建てられた「法◯寺」を紹介してみよう!と思い立って、前回企画で4つのお寺を語ってみました。そのうちの「法勝寺」は、通称「六勝寺」と呼ばれる6つのお寺のひとつ。なので、この際だから六勝寺の歴史についてもやってしまおうかな…と。今回は、そんなブログになります。そうそう。先に言っておきますが、今回ご紹介する6つのお寺。すべて、当時の場所には現存していません。よって、旅行の予習に…みたいに利用す
平家一門の結束の強さは稀有の事と思われる。一門の棟梁となるということは、絶大な権力が手に入る。それゆえ、親兄弟で骨肉の争いを繰り広げるのが常であり平氏のライバル、源氏の殺伐とした一門内の暗殺、誅殺、抗争を見れば、納得いただけるだろう例外として思い浮かぶのは、意外なところでは織田信長公。信長公は、何度も謀反を起こした実弟・勘十郎(信行)を何年も処罰できず、泣く泣く誅殺した後は、残された遺児を大切に育て上げ、自身の参謀として破格の重用をしたほどだ。信長公は、外部には魔天王と呼ばれ、その
右衛門佐は包を開いた。四角い盆の上に紙と巻物があった。「なんですかこれは」秀島は左足を延ばしてゆっくり座り床に手をついた。「とりかへばや物語とう奇怪な物語だ」「奇怪?誰が書いたのですか」「藤原の京家の者らしいとか聞いておらん」右衛門佐はこたえた。「藤原一族は人が多いですからね」右衛門佐を見て言った。右衛門佐も藤原一族の者だ。だから従五位上になれたのであろうと秀島は思っている。従六位上と従五位上では間に天の川が流れているくらいの差がある。殿上人と官人の差は大きいのだ。「
さてさて…フェアリーとピクシーの違いは…フェアリーは妖精全般でピクシーはイングランド南西部の妖精のことだけどさ…ゴーストとファントムってなんだ?…両方お化けだけど、幽霊と亡霊みたいなものか?…調べてみったらさ…ゴーストには幽霊、亡霊の他に怨霊という意味があって…ファントムには亡霊の他に幻影、まぼろしっていう意味があるんだって…う~ん…ゴーストが幽霊と亡霊の両方でファントムが亡霊だけなの?…じゃ、幽霊と亡霊の違いも調べなきゃイカンじゃん…そうしたら…幽霊は死者の魂が生前
「武士の世を築いた」という以上、単に「武士が政治のトップに立った」というだけではなく、「武士の利益を第一とする政治体制を築き上げた」のでなければなりません。「武士による、武士のための。武士の政治」こそが武家政権ならば、清盛の政治は「武士のための」ものだったかどうかを問わなければなりません。平清盛が福原に遷都したのは、「日宋貿易のため」です。清盛なりに、日本国を豊かにしようとして推進していた改革の本丸が、「世界貿易センター」の建設です。商業によって国を豊かにしよう、というプランです。清盛の理
明治・大正期はたくさんの有名な芸妓さんが登場しましたこの女性は江良加代祇園の芸妓さん。1862年生まれのお加代は、父親は道場主で母親は華頂宮に仕えていた女性だったらしく出自も良かったので、お座敷に出ると瞬く間に売れっ子になりました。彼女は当時めずらしいあさり目の西洋的な美人でなんと12歳?で西園寺公望にどうしても、と請われて西園寺家の妻になります(◎_◎;)しかし妻といっても西園寺家は代々正妻を娶らないらしく、数ヶ月で家族の反対を受け、江良加代は祇園井筒屋に高価な着物とともに返されます
安芸の宮島厳島神社の出口を出て海を石橋で渡ると真言宗の寺院大願寺です正式名は亀居山方光院大願寺(ききょざんほうこういんだいがんじ)です明治時代の神仏分離令までは多くの社寺の修理造営をしており全国に托鉢する許可を持って費用にあてていました昔は厳島神社と一体だったので大願寺の風呂で身を清め厳島神社に参拝していたそうです大願寺山門右手に平清盛になれる藤い屋の顔出し左手に押しの弱い観光人力車の兄ちゃん藤い屋の顔出し平清盛良くでで
蝶の縁起「蝶」は、世界中に広く分布し、その種類は知られているものだけで約17,600種といわれています。日本では約260種が知られており、日本で最初に発見された「オオムラサキ」は日本の国蝶とされています。春になると身近に見られる蝶ですが、ギリシャ神話や中国の故事、仏教やキリスト教の教えの中にも登場し、洋の東西を問わず、幼虫からサナギを経て成虫となるその劇的な変化によって、輪廻転生や復活、長寿などの象徴とされてきました。■日本における「蝶」の縁起●仏教では極楽浄土に魂を
昨日のランチ後、ブラブラ歩いてたら意外なところに桜の名所(?)がたぶん、兵庫県内でも一番と言っていいくらいだと思うディープなスポットの一角。福原町と言うと、私からすると平清盛縁の由緒ある場所のイメージしか無かったんですが、今の福原町は関西を代表する花街になっていて、最初ちょっとショッキングでしたその福原の桜筋という通りは、その名の通り桜並木になってますー昼間から蝶ネクタイのお兄さんが立っていたりして、ちょっと他とは違う雰囲気ですが、昼間のせいか静かです立派な桜の木がありました。風が吹