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罰論罰ということばは仏教用語である。このことばを現代語でいうならば、『反対価値』というべきで、われわれの生活に不幸を感ずる現象のことである。この現象が、われわれの生活にあらわれたとき、罰にあたった、罰をうけたと称するのである。すなわち、反対価値とは美の反対たる醜、また利益の反対たる損、また社会に損害を与える現象たる悪をいうのである。この悪、損、醜なる反対の価値が生活の内容となるときを罰の生活と称するのである。さて、信仰生活にしろ、不信仰生活にしろ、人が生活する以上
大白蓮華2月号の「巻頭言」「座談会御書」はこちらから!2025年2月23日今週は座談会の週です。https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.seikyoonline.com%2Farticle%2F84D3BFFEDC06EBFE95011DB973ECF8B9%3Fsnstoken%3D80459aa4-984e-4e40-90e2-86b2bda74c70&h=AT3fw2VNKiUemjEdIO2vdCRgzyCb6P8Sna
宗教批判の原理日本の現在は種々の宗教があるが、これを批判する基準を知らない。ことに知識階級ぐらいは、これを知っておってよいはずだが、宗教教育のないために、唖法の尊者のようであるのは遺憾というよりほかはない。しからば、宗教批判の原理はなにか。五重の相対と、文証・理証・現証の三証と、教・機・時・国・教法流布の先後とについて考察しなくてはならない。第一、五重の相対A内外相対内道と外道の比較論である。内道とは仏教のことで、外道とは仏教以外の宗教である。すなわち、バラモン