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1964年3月17日日記(初めての巡業三日目)車で金沢へ。今日の会場は「金沢観光会館」雑誌社の人と兼六園へ写真を撮りに行ったが団体旅行の人とぶつかり、見物どころではない。逆にこっちが見物されそうになったので、慌てて脱出する。今度は静かな所に行こうという事になり、九谷焼の窯元に行く。ロクロの前に座って粘土をこね、花瓶と壺を作ってみた。何しろ面白いので夢中になって、時のたつのを忘れてしまう程だった。焼いて色を付ける所までやりたかっ
1964年3月18日日記(初めての巡業四日目)目が覚めると外は雪が降っている。今日は車で峠を越えて福井に向かうはずだったが、雪のため中止。急行「ゆきくに」に乗り十一時に福井着。汽車のビュッフェでソバの立ち食いをやったが、旅館「宝永館」でまた昼食を食べた。ここのところ食欲旺盛。後援会の福井支部の人が数名何かお手伝いする事がありましたら・・・と言ってくださる。衣裳運びやその他の雑用を身を粉にしてやってくださったのは大感謝。
現在、日を追って載せている「舟木一夫日記」ですが、初巡業の様子が掛かれた「随行記」です。「舟木一夫日記」と合わせてお読みいただけると良いと思います。京都から富山、金沢、福井と続く巡業は、60年も前の事ですから、交通事情も全く違いますし、会場にしても、立派な建物は出来始めていましたが、現在の建物とは環境が全く違います。空調もある訳では無く、冬場の雪の中の暖房のない会場や、むしろに座っての鑑賞は、とても今では考えられませんね。中学生、高校生が沢山来られていた事を考えると、現在もコンサ
巡業先で倒れてしまった1965年20歳1963年のデビューから走り続けて来た舟木さん。過去の記事を読んでも、その忙しさは異常なほどで、若いと言っても、ついに病気になってしまいました。こんな記事を載せるのも辛い事ですが、舟木さんの当時の忙しさの中で、この期間の入院と、休暇は、良い充電期間になったのかも知れません。風邪をひいても、休む暇がない事から、点滴をしながら舞台に立ったり、テレビに出たり。この病気を教訓として、仕事量もセーブ出来たとすれば、60年間の小さな通過点の出来事だったのだ
こんにちは、昨日から初場所が125年ぶりの1横綱、1大関という大関が一人しかいない異常事態から始まりました。結果は大きな波乱はなかったのですが、小結の4人に土が揃って付くスタートになりました。横綱の照ノ富士は今場所休場し、来場所には出てくる可能性があるとのことで、次回の大阪場所はぜひともチケットを取って見に行きたいと思いますwそんな初場所にテンションが上がっている私ですが・・・午前中は家の灯油が在庫切れになったので、妻から早急に手配するように言われ、愛車でガソリンスタンドへw帰り道に
今回は久しぶりとなる名古屋末廣座の筋書を紹介したいと思います。大正10年2月名古屋末広座演目:一、車引二、大杯觴酒戦強者三、大森彦七四、みだれ金春五、素襖落以前紹介した名古屋末広座の筋書『大正5年3月名古屋末広座鴈治郎と八百蔵の顔合わせ』今回は再び地方巡業の筋書を紹介したいと思います。大正5年3月名古屋末広座演目:一、聚楽物語ニ、絵本太功記三、美名辰春錦襴手四、戻駕色相肩前に紹介した名…ameblo.jp帝国劇場が恒例の女優劇公演の為に体が空いた幸四郎と宗十郎は
その直後「歩ちゃんこっちこっちー」と姪達に呼ばれ水族館内へ入る。すぐにZから返事が届いていたが返せなかったので合間を見つけて返事をした。イルカショーがある事を知り姉達3人とも「見たい」と言う。元々水族館が好きなので疲れを感じてはいなかったが、そろそろ座った方がいいかも!といつもは見ないイルカショーに付き合う事にした。甥がとても楽しみにしており「前の方で見せてあげたい」と言われ、少し早めに場所取りのため会場に行き座っていると段々と気持ちが悪くなってしまう。イルカショーが始まると「うわぁ、
大相撲の春場所が始まり、夢中になって観戦しています。ところで、申し込んでいた大相撲春巡業のチケットが届きました。やったぁ!待ってたよ。チケットとともに、観覧の注意事項が同封されていました。それによると、写真や動画の撮影できるんですって。わぁ、写真撮りたい!それから、キッチンカーや軽食の販売があるって。どんな食べ物があるんだろう?お弁当を頼んじゃったけど、興味津々です。グッズも売っているのかな?注意事項には載っていなかったので、楽しみです。
何も言わないでいると「今更言っても遅いけど…」とベッドに寝転がる。「あ、私も横になりたい!いつもみたいにベッドくっ付けてー」と、ツインベッドをハリウッドツインにしてほしい旨伝えた。「えー、やだ!歩ちゃんがしてよ!」「えー?体調悪いのにぃー」と冗談ぽく言うと「やります。俺がやります!(笑)」とスッ起き上がりベッドを動かす。さっきまでの空気が嘘のように穏やかな雰囲気に変わっていた。並んで寝転びながら話をしている最中「Zの言うたことは全部ありえへんけど、「妊娠した」って言うた時「本当に俺の子
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。(付け人さん、可哀想過ぎる。Z酷い…)と思いながらミヤビが言ってた事を思い出した。実は私がZのファンになって暫くした頃(プライベートで仲良くなる前)、ミヤビに「Zかっこいいよな」と言った事がある。その際「Zさん?かっこいい?俺の同期がZさんと同じ部屋なんだけど暴力振るわれてたんだよね。だから俺は好きじゃない」と言っていた。真面目な努力家というイメージが強かったので信じられない気持ちで「何で暴力振るわれたん?」と尋ねると「Zさんの機嫌
昨夜「中絶するために必要であれば、母若しくは姉に妊娠していることを伝えてもいい。ただ、相手がZだと絶対に言わないで」と言われ、母を悲しませたくなくて消去法で「もし手術するなら姉に言う」と答えていた。が、私と姉はそんな話ができるほど仲の良い姉妹ではない。この時期は姪を遊びに連れて行く許可をもらう為、連絡を取り合っていたが2人で会うことなかった。※※※3歳上の姉は幼い頃から自己中心的で、尚且つどうすれば人に好かれるかを常に計算して行動することができる人だったと思う。お金を持っている人に媚び
臼井くんの曲とZは別だと分かっているが一部の歌詞があまりにも重なる。ジェヨンのお陰で楽になっていたのに再度しんどくなった。…これ以上親戚との時間を遅らせることはできなかったので、一旦ホテルに戻ってから奥武山方面へ向かう。お昼ご飯をご馳走になり、道の駅、ウミカジテラス、小禄イオンへ行き私自身のお土産や家族、友人、会社へのお土産等を買ってもらった。一通り買い物が終わるとカフェでお茶をし、のんびりとした時間を過ごす。その後、郵便局へ行き先ほど購入した物を自宅へ送ってもらい、すぐに必要なものは
やめない確率1000%ひまわりこども教室川人あゆみです。あっという間に1時です。今から巡業へこどもたちからLINE先生とにかく寝て!鎖骨とあばら骨が見えていた頃の1枚巡業へ行ってきますあゆみ先生,またいろいろ気に病んでごそごそしとるやろ?だいじょうぶやから私たちがやるから,とにかく間があったら寝て!うちのこたちたいしたものです。もう心配はしていないです。感謝祭も信じています。伊庭隊長が,心配せんでもいける!ってまた泣きそうになる。ありがたい隊長です。り
「あ、ほんまや。てか、待って?ミユの名前【ミユ×*県】ってなってるやん」と、ミユの名前の表示を見て驚いて言うと「だって、色んなファンの人とLINEしてるしどこの人かわからなくなくなるんだもん」と。「そんな色んな女性と会ってるん?(笑)」「あ、会ってないけどΩ⭐︎β@◻︎∀・・・」「え?会ってないけど何て?(笑)っっ!!私の名前は?【歩大阪】とかやったらめっちゃ嫌やねんけど?」「歩ちゃんは歩ちゃんだよ!」と言いながら私とのトーク画面を見せ「さすがに歩ちゃんが大阪なのは知ってるよ!これだ
1963年10月1963年、デビューから三カ月ほどの舟木さん18歳。行くところ行くところでサインを求められる。必ずそれに対応する舟木さん。まだ慣れない芸能生活の中で、垣間見られる、まだ十代の舟木さん。10月のスケジュールを見ると、テレビは、「輝く星座」「コロムビア・アワー」「平凡アワー」「ロッテ歌のアルバム」「歌の饗宴」「歌謡寄席」「レコード祭」「あなたのメロディ」「家族音楽会」「十人抜きのど自慢」と言った番組への出演が目白押し。「スター千一夜」「ジェスチャー」「現代の顔」
「え?」「赤ちゃんできてん。妊娠してん」「ほんとに?」「うん」そう伝えるとZが起き上がろうとしたので、私も一緒に起き上がる。「赤ちゃんできたの?」と確かめるように聞かれ「うん。…だからお腹いっぱいみたいなお腹やねん」と答えた。「え・・・本当に?」「うん」「どうしよう、どうしよう、どうするの?」語尾が少し強くなる。「どうするのって?」「いや、ほら…」と言葉が出ず口籠っている中「あ…だから、今日態度がおかしかったの?」と。「おかしかった?」「おかしいでしょ?(笑)めっちゃ俺
もう9月場所も中盤ってところですが..オイラのブログは1~2カ月遅れ(笑)8月の札幌場所(巡業)のお話です(^^;)会場は札幌市東区の「つどーむ」かなり”暑い”施設です(笑)今回は桝席ではなく椅子席にしましたコンクリートの上に座布団1枚の枡席は長時間座っていられません何年かずっと枡にしていましたが..歳のせいか膝が耐えられなくなって..今回は椅子にしました少し土俵からは離れていますが..国技館で言えば枡のA席くらいの距離..充分です巡業なんで普段は無理な..サインとか記念撮影
今日はすごくいい天気で、暑かったです。最近公私ともに忙しくてなんとか体に鞭打って活動していますでも、好きなことをする時って疲れもふっとぶものです。お相撲好きな私は、初めての巡業に行ってきましたまず先週は「浦安巡業」浦安はディズニーに行くくらいだったので。会場までは電車→バスです。初めての巡業なので、行く前からドキドキです会場は9時ですが、その前に到着。早起きは苦手な私ですが、この日はがんばって早起きして電車に乗りました🚆すでにすごい
真顔で❛医療機関に行き「レイプされたから相手と連絡がとれない」と言え❜と言われ、私だけではなくお腹の子まで冒涜された気がして腹が立った。「レイプされたからって言うの?Zと連絡取れてんのに」「そうしたらサインいらないはずだから!」「…そんな惨めな思いまでせなあかんの?」「相手(医療関係者)は仕事だからそんなの気にしないって」「相手が気にするとかせーへんとかちゃうやん?私が嫌やねやん」「じゃあ、誰が書くの?言っとくけど俺は書けないよ」「は?さっきから何言うてるん?・・・わからんで?全然
1964年3月16日日記(初めての巡業二日目)午前は八時四十分発「白鳥号」で富山へ。お昼ごろ富山に着く。直ぐに「富山公会堂」入り。ここもまた超満員で感激した。舞台の合間に雑誌社の人と富山城や駅前に行き写真撮影。街からは山林公園の呉羽山公園が見える。桜の名所だというが、時期がちょっと早過ぎた。満開になったらさぞ綺麗な事だろう。夜は「野島屋旅館」に泊まる。マネージャーの赤西さん、佐々木さんとクイズをやり、気が付いたら午前二時
1964年3月15日日記(初めての巡業)午前七時、京都着。岡崎の鶴の井旅館で旅装をとく。公演会場は平安神宮そばの「京都会館」超満員の入り、幸先が良い。
「できること?」「うん、大阪に行ったりはできないけど何かできることがあったら言ってね」「大阪こうへんなら何ができるん?」「そうだね、俺にできることはないよね。手術が終わったら会おうね」(いやいやいや、中絶してほしいのはあんたやねんから「できることがあったら言ってね」ちゃうやん?大阪こーへんってことは何にも付き添うつもりもないんやんな?ほな、出来ることってお金払うことだけちゃうん?どうせもう調べて大凡の金額分かってるんやろうし、いくらぐらいやったからって半分出すよとか言われへんの?)と憤り
今日と明日の2日間『大相撲仙台場所』が開催✨昨日は台風が心配されていたけど大丈夫でしたよ🙆♀️グッツ販売普通に並んでた😂かき氷🍧順番守ります😁ギリギリお弁当買えました☺️相撲を見るのは2回目❗️前回はこちら💁♀️『大相撲仙台場所』東日本大震災復興支援令和元年夏巡業大相撲仙台場所昨日急遽相撲観戦すること決まった✨こちらの席座布団ももらえます✨漫才❔みたいなことしてた楽しませてくれる…ameblo.jp詳しくなくても楽しめる😁ぶつかる音といい迫力ありました😄記念
「え?」昨日まで全くそんな事を言っていなかったので驚き一瞬何も返せなくなる。「先月奥さんが⚪︎⚪︎したから、歩ちゃんに産まれるのは困るんだよぉ」「ほんまに?」「うん。(詳細な内容も話してきた)」・・・(昨日何も言うてへんかったやん)と、俄か信じがたい。「だから堕してほしい」と続けて言われ(その割に場所中普通にLINEしてきてたし、巡業始まってからもLINEしてきてたやん。この話がほんまなら普通できなくない?嘘な気するけど…そんな嘘ついたらまじで糞やで?・・・いやいやいや、既に糞やん)
舟木一夫北海道巡業1966年、デビュー3周年を迎えた舟木さんは、7月北海道での巡業を行った。映画やコンサートなどのような仕事は、記録として良く残っているが、こうした地方での巡業やテレビ出演などは、記録として残っている事が少ないから、こうして雑誌の記事で拾っていくしかない。この年は「哀愁の夜」が3月に公開され、「友を送る歌」が6月に公開。この巡業後の9月には「絶唱」が公開されるという映画だけでも過密スケジュール。そして翌年には、再び北海道を訪れて映画「その人は昔」のロケに入る事になる
1964年3月14日日記東映撮影所で昨日のセットの続き。明日からボクの初巡業が始めるので旅の支度をする。夜の十時発「月光」で京都に向かう。東京駅には、後援会の人が見送りに来て下さり、旅の気分が出て来た。
電話をしながら気が付けば健児之塔、ひめゆりの塔を通り平和祈念公園にいた。ジェヨンと通話をしている為、いつもみたいに立ち寄ることはできなかったが「ごめん。ちょっと待って」と伝え手を合わせる。祖母が沖縄出身で、沖縄戦を経験した親戚や對馬丸(対馬丸)に乗船し命を落とした親戚がいたからか物心がついた頃から『戦争』に関心を持ち、国内外を問わず色々な場所へ行き何度も何度も『命の大切さ』について考えてきた。・・・しばらくして「ごめん。お待たせ」とジェヨンに伝えると「大丈夫?」と。「うん。今沖縄の
朝になりZが身支度をする。浴衣の帯を締め終わると「昨日も言ったけど手術するためにお姉さんにだけは妊娠してること話していいけど、絶対に俺の名前は出さないでね!!!」と念を押し「乗り越えたら会えるからね」と言いながら鞄を持って「じゃあ行くね」と。「ちょっと待って」と呼び止める。「どうしたの?」「…ちょっとだけギュッてしてほしい」「あぁ、そうだよね」と鞄をその場に置いて私を抱きしめ「乗り越えたら会えるからね。乗り越えたら会おうね」と言う。「乗り越えたらって何?」「乗り越えたらは乗り越えた
朝になり出発する時もどこかよそよそしく感じる。「じゃあ、また夜ね。行司さんとご飯食べに行ってからだから。時間分かったら連絡するね」そう言って部屋を出た。(…ほんまはこの部屋に帰って来たくないやろうな)と思いながら、親戚と会う為の準備をゆっくりと始める。ただ、親戚と会って和気藹々とできる気分にはどうしてもなれず、連絡を入れお昼過ぎに時間を変更してもらった。そのお陰で少し気持ちが楽になったが、部屋に居ると気が滅入りそうだったのでどこかに行こうと駐車場に向かっている最中にジェヨンからカカオト
\\秋巡業が始まりました//初日は都内。中部地方を回って、伊之助さんの現役最後の出雲場所もありますね。ご参加予定の皆様もいらっしゃるでしょうか。今回は、その巡業の話題。※たまじぃ祭は、今後都度開催します。3回やってみたけど終わりがないもんで。カッコいいんだもん、仕方ないじゃん許してよ。って話。私は城南大田場所に行ってきました。その時の様子を簡単に。※写真は、ほんっとに無いです。カバー画像も大田場所ではない。「巡業ですも