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1964年3月17日日記(初めての巡業三日目)車で金沢へ。今日の会場は「金沢観光会館」雑誌社の人と兼六園へ写真を撮りに行ったが団体旅行の人とぶつかり、見物どころではない。逆にこっちが見物されそうになったので、慌てて脱出する。今度は静かな所に行こうという事になり、九谷焼の窯元に行く。ロクロの前に座って粘土をこね、花瓶と壺を作ってみた。何しろ面白いので夢中になって、時のたつのを忘れてしまう程だった。焼いて色を付ける所までやりたかっ
4月20日、大相撲横浜アリーナ場所https://www.yokoari.lme-sumo-jungyo.jp/もちろん年に6場所ある本場所ではなく、地方巡業です。自分自身、相撲を生で観戦するのは何と人生初。TVでは毎場所欠かさず観ているんだけど。横浜アリーナ前の幟地元・神奈川県出身の湘南乃海と、イベント協力会社がスポンサーになっている幟だけらしい。入場現在の番付表幕内力士の名前この日の取組ではありませんモニターには現在土俵上で行われてい
「あ、ほんまや。てか、待って?ミユの名前【ミユ×*県】ってなってるやん」と、ミユの名前の表示を見て驚いて言うと「だって、色んなファンの人とLINEしてるしどこの人かわからなくなくなるんだもん」と。「そんな色んな女性と会ってるん?(笑)」「あ、会ってないけどΩ⭐︎β@◻︎∀・・・」「え?会ってないけど何て?(笑)っっ!!私の名前は?【歩大阪】とかやったらめっちゃ嫌やねんけど?」「歩ちゃんは歩ちゃんだよ!」と言いながら私とのトーク画面を見せ「さすがに歩ちゃんが大阪なのは知ってるよ!これだ
忙しない年の瀬。いや、逆に感動的に時間があるわたくし。そろそろ実家にも帰省しなきゃいけないなー…だりぃなあ…(こらということで、常に「1か月以上更新していないようです」とアラートが出るこのブログも、怒涛の勢いで更新しまくります。できるときにしとかないと。いや別に求めてる人がいるかは別として。でもね、最近Twitter(X)でやりとりするようになった方が「以前このブログ見たことがある!」って言ってくださったんだよね!ほんとにありがとう!!しかも、わたくしの個人的な
臼井くんの曲とZは別だと分かっているが一部の歌詞があまりにも重なる。ジェヨンのお陰で楽になっていたのに再度しんどくなった。…これ以上親戚との時間を遅らせることはできなかったので、一旦ホテルに戻ってから奥武山方面へ向かう。お昼ご飯をご馳走になり、道の駅、ウミカジテラス、小禄イオンへ行き私自身のお土産や家族、友人、会社へのお土産等を買ってもらった。一通り買い物が終わるとカフェでお茶をし、のんびりとした時間を過ごす。その後、郵便局へ行き先ほど購入した物を自宅へ送ってもらい、すぐに必要なものは
12月13日(金)は有休取ってこちらへ宝塚での巡業は6年ぶりもうそんなに経ったんだ前回市長がいらんこと言うたからもう来てくれないかと思ったけどよかった~しかも今回異例の2DAYSなんでこんなしてくれるの?ありがたや二日とも行きたかったけどさすがに平日2日はね初めてではないのでだいたいコツはつかめてたはずなんだけど、やっぱり会場入るとテンションあがってしまってどこ見ようか、何からしたらいいのかテンパるどうやらあの鬢付け油の香りだけでうれしくなってテンパるらしい本場所の時も
1964年3月16日日記(初めての巡業二日目)午前は八時四十分発「白鳥号」で富山へ。お昼ごろ富山に着く。直ぐに「富山公会堂」入り。ここもまた超満員で感激した。舞台の合間に雑誌社の人と富山城や駅前に行き写真撮影。街からは山林公園の呉羽山公園が見える。桜の名所だというが、時期がちょっと早過ぎた。満開になったらさぞ綺麗な事だろう。夜は「野島屋旅館」に泊まる。マネージャーの赤西さん、佐々木さんとクイズをやり、気が付いたら午前二時
もう9月場所も中盤ってところですが..オイラのブログは1~2カ月遅れ(笑)8月の札幌場所(巡業)のお話です(^^;)会場は札幌市東区の「つどーむ」かなり”暑い”施設です(笑)今回は桝席ではなく椅子席にしましたコンクリートの上に座布団1枚の枡席は長時間座っていられません何年かずっと枡にしていましたが..歳のせいか膝が耐えられなくなって..今回は椅子にしました少し土俵からは離れていますが..国技館で言えば枡のA席くらいの距離..充分です巡業なんで普段は無理な..サインとか記念撮影
昨夜「中絶するために必要であれば、母若しくは姉に妊娠していることを伝えてもいい。ただ、相手がZだと絶対に言わないで」と言われ、母を悲しませたくなくて消去法で「もし手術するなら姉に言う」と答えていた。が、私と姉はそんな話ができるほど仲の良い姉妹ではない。この時期は姪を遊びに連れて行く許可をもらう為、連絡を取り合っていたが2人で会うことなかった。※※※3歳上の姉は幼い頃から自己中心的で、尚且つどうすれば人に好かれるかを常に計算して行動することができる人だったと思う。お金を持っている人に媚び
現在、日を追って載せている「舟木一夫日記」ですが、初巡業の様子が掛かれた「随行記」です。「舟木一夫日記」と合わせてお読みいただけると良いと思います。京都から富山、金沢、福井と続く巡業は、60年も前の事ですから、交通事情も全く違いますし、会場にしても、立派な建物は出来始めていましたが、現在の建物とは環境が全く違います。空調もある訳では無く、冬場の雪の中の暖房のない会場や、むしろに座っての鑑賞は、とても今では考えられませんね。中学生、高校生が沢山来られていた事を考えると、現在もコンサ
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。(付け人さん、可哀想過ぎる。Z酷い…)と思いながらミヤビが言ってた事を思い出した。実は私がZのファンになって暫くした頃(プライベートで仲良くなる前)、ミヤビに「Zかっこいいよな」と言った事がある。その際「Zさん?かっこいい?俺の同期がZさんと同じ部屋なんだけど暴力振るわれてたんだよね。だから俺は好きじゃない」と言っていた。真面目な努力家というイメージが強かったので信じられない気持ちで「何で暴力振るわれたん?」と尋ねると「Zさんの機嫌
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。「…はい」と答える。「お一人ですか?」(何なん、うざいねんけど?)と思いながら「はぁ。。。」と言う。「後でお姉さんの部屋行って良いですか?」「はぁぁぁっ?」と思わず本気でイラっとしてしまった。「何号室ですか?行って良いですよね?」「LINE交換しませんか?」と2人してしつこい。ナンパ的なものが大嫌いなので(良いわけないやん。うっとぉしいわ。何なんこいつら…部屋来させてZと鉢合わせさせたろうか)と一瞬考えるも
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。(やばい!植田とかにも会ってまいそうやん!!)と急いで牛乳を取りZの部屋へ戻ろうとする。11階に到着しエレベーターを降りる際、見覚えのある女性が立っていた。(あ、この人知ってる!誰やっけ?…絶対見たことある!!)と振り返り確認する。(っっ!!D、M、Tのセフレ静香!)と気付く。聞いていた話や、写真とは違い実物はとても感じが良さそうな人に見えた。(ほな、園子もおるんやないん?今日Zがご飯行くのってほんまは園子?)と、Zを疑う気持ち
出会い系サイトで、今すぐ会いたいコーナーがあり、自分が行ける沿線の可愛い女性を自分のお気に入りに次々入れてました。1ヶ月で30人ほどお気に入りに入れました。そのうち、26人は、だいたい1週間以内で、早い方は、2日で遠い地方へ移動します。関東から、関西、九州、北海道、それも、やはり、地方都市です。この方達は、全国をお股巡業してるようです。全国に792の市がありますので、お股巡業女子は、何人いるのでしょうか?業者と言われる男達に連れられ、全国を移動する20代
巡業先で倒れてしまった1965年20歳1963年のデビューから走り続けて来た舟木さん。過去の記事を読んでも、その忙しさは異常なほどで、若いと言っても、ついに病気になってしまいました。こんな記事を載せるのも辛い事ですが、舟木さんの当時の忙しさの中で、この期間の入院と、休暇は、良い充電期間になったのかも知れません。風邪をひいても、休む暇がない事から、点滴をしながら舞台に立ったり、テレビに出たり。この病気を教訓として、仕事量もセーブ出来たとすれば、60年間の小さな通過点の出来事だったのだ
朝になりZが身支度をする。浴衣の帯を締め終わると「昨日も言ったけど手術するためにお姉さんにだけは妊娠してること話していいけど、絶対に俺の名前は出さないでね!!!」と念を押し「乗り越えたら会えるからね」と言いながら鞄を持って「じゃあ行くね」と。「ちょっと待って」と呼び止める。「どうしたの?」「…ちょっとだけギュッてしてほしい」「あぁ、そうだよね」と鞄をその場に置いて私を抱きしめ「乗り越えたら会えるからね。乗り越えたら会おうね」と言う。「乗り越えたらって何?」「乗り越えたらは乗り越えた
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。(えー、力士軽すぎん?)と思いながら「はい」と返事をする。先ほどの力士たちとは違い「部屋に行く」とか「LINE交換」とは言わないので、そのまま二言三言会話を続けた。私の言葉のイントネーションのせいか「え?お姉さん関西っすか?」と聞かれる。「あ、はい」「どこっすか?」「・・・大阪」「俺、兵庫県!」と。
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。その後すぐにシャワーを浴びに浴室へ行く。いつも、ステテコやパンツを脱ぎ散らかして行くので、畳む癖ができていた。この時も鞄のすぐ横にぐちゃっと置いたままだったステテコを畳もうとした時、(あっ!Z鞄変わってる)と気付く。以前まで持っていたブランド品の鞄とは色も雰囲気も違っていて、(変わった鞄やなぁ)と思った。Zが浴室から出てきて、いつものように顔のお手入れを始める。終わった後、Zの上に寝転びそのまま話をしていた。ふと「なぁ、もし私
世間の皆さんおはよーさん。八月葉月始まりました。暑さもまだまだこれから、、難儀やね。三代木村容堂が四十二代伊之助に内定したそうやね。今の行司の中でも好きな行司の一人です。安定した裁きする。前に一回コケたが冷静に裁きをした。この『木村容堂』、初代は後に二十二代庄之助、泉の親方やね。栃若時代『髭の伊之助』十九代伊之助と活躍され行司の栄誉『松翁』寸前までいき、平成6年に亡くなった。104歳は最高齢。その人が自ら若手時代に名乗ったのが木村容堂。容堂の名前は泉の親方が尊敬していた幕末の土佐藩主の『
こんにちは、昨日から初場所が125年ぶりの1横綱、1大関という大関が一人しかいない異常事態から始まりました。結果は大きな波乱はなかったのですが、小結の4人に土が揃って付くスタートになりました。横綱の照ノ富士は今場所休場し、来場所には出てくる可能性があるとのことで、次回の大阪場所はぜひともチケットを取って見に行きたいと思いますwそんな初場所にテンションが上がっている私ですが・・・午前中は家の灯油が在庫切れになったので、妻から早急に手配するように言われ、愛車でガソリンスタンドへw帰り道に
※上記で読みにくい方は↓文章でどうぞ。同じ内容です。(あ、でもそれはZに迷惑しかかからん)と思い直し「教えません」と言う。まだそれでも何か言っていたが、無視をしていると1階に到着し、2人とも消えていった。私もエレベーターから降り、車に向かったが後味が悪かった。荷物を取り部屋に戻り、Zへの差し入れを忘れていることに気が付いた。(最悪…)と又駐車場へ向かう。到着したエレベーターには別の力士が乗っており「旅行ですか?」とまた声をかけられた。
電話をしながら気が付けば健児之塔、ひめゆりの塔を通り平和祈念公園にいた。ジェヨンと通話をしている為、いつもみたいに立ち寄ることはできなかったが「ごめん。ちょっと待って」と伝え手を合わせる。祖母が沖縄出身で、沖縄戦を経験した親戚や對馬丸(対馬丸)に乗船し命を落とした親戚がいたからか物心がついた頃から『戦争』に関心を持ち、国内外を問わず色々な場所へ行き何度も何度も『命の大切さ』について考えてきた。・・・しばらくして「ごめん。お待たせ」とジェヨンに伝えると「大丈夫?」と。「うん。今沖縄の
「できること?」「うん、大阪に行ったりはできないけど何かできることがあったら言ってね」「大阪こうへんなら何ができるん?」「そうだね、俺にできることはないよね。手術が終わったら会おうね」(いやいやいや、中絶してほしいのはあんたやねんから「できることがあったら言ってね」ちゃうやん?大阪こーへんってことは何にも付き添うつもりもないんやんな?ほな、出来ることってお金払うことだけちゃうん?どうせもう調べて大凡の金額分かってるんやろうし、いくらぐらいやったからって半分出すよとか言われへんの?)と憤り
1964年3月18日日記(初めての巡業四日目)目が覚めると外は雪が降っている。今日は車で峠を越えて福井に向かうはずだったが、雪のため中止。急行「ゆきくに」に乗り十一時に福井着。汽車のビュッフェでソバの立ち食いをやったが、旅館「宝永館」でまた昼食を食べた。ここのところ食欲旺盛。後援会の福井支部の人が数名何かお手伝いする事がありましたら・・・と言ってくださる。衣裳運びやその他の雑用を身を粉にしてやってくださったのは大感謝。
「何でそこまで知ってるの?」「真子が植田とミユ両方から詳しく聞いたから?しかも、ミユTwitterにその日の巡業のことも、その後のこともアップして真子が見てる」「え?Twitterにあげたの?」「誰が支度部屋に入れたとか直接的なことは書いてなかったけど【推しが神対応してくれた】って書いて、真子いわく「匂わせ」がすごかったから見る人が見たら分かる言うてた。サイン載せられてたのもZと植田と小野だけやし。しかも自分普段色紙以外は断るのにランチバッグみたいなんに書いてたやろ?それアップしてたもん」
Zにそのまま画像を送る。その間に真子から掲示板とやらのスクショが届いたので、併せて伝える。『これ誰と誰の会話?』と聞くZに(今、静香と真子とのやり取りって言うたやん。ちゃんと読んでー笑)と思いながら『真子と静香のやり取り』と再度送信。とZ。掲示板とやらの内容はZの事だったので伝えはしたが、送った後に(Zと話したい内容ではないな)と思ってしまい正直に思っている事を伝えた。と、返事がきたので(掲示板見て知ってたな?)と思いながら『知ってたんや…』と返信し、嘘だとわかっていたがZが静香との
***相撲協会の宿割では、本来Q県ではZは同じ部屋の関取Iと2人部屋。Iに「俺2泊とも別のところに泊まるから」と伝えた際、Iも「2泊目は他に部屋をとっている」と言っていたらしい。***17:30前Zが「Iがそろそろ部屋出るみたいだから、Iが出たら俺一旦部屋見に行くね」と言う。「Iがおらんくなってから行くん?何しに?」ふと疑問に思い聞いてしまう。「いや、ほら、荷物とか忘れてないか。Iがいないと忘れ物あっても分からないでしょ?」「1回も自分の部屋行ってないんやろ?」「そうだけど、
1964年3月15日日記(初めての巡業)午前七時、京都着。岡崎の鶴の井旅館で旅装をとく。公演会場は平安神宮そばの「京都会館」超満員の入り、幸先が良い。