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ギリシャサントーニ島イアの教会舟木一夫~2024年コンサート曲㉙「青春の鐘」―後半に22・23回目の「オードリー」―リンゴの花本題に入る前に―。島崎藤村の「初恋」は藤村が25歳(明治30年8月)の時に発表した『若菜集』に収められていて、七五調のリズムが心地いい文語定型詩です。佐藤輔子(すけこ)という女性がモデルと言われています。詩には林檎(りんご)が2回、林檎畠(りんごばたけ)が1回出てきます。りんごの花は4月から5月にかけ、芽から5~6つが放射状にまとまって中心から咲
2019年のお話です。はい、それでは今日もまた「ヘタレと行く!」シリーズ第4弾、2019年12月7日(土)~12月9日(月)2泊3日「長野」温泉旅行レポ、2日目2019年12月8日(日)の続きを進めていきます。さて、ありがたい「ご縁」により「新湯田中温泉」のジモ泉である『鶴の湯』に入浴することができ、まんまかつお出汁味の温泉にびっくりした後、ヘタレ号で一気に向かったのは青木村の山間にある「田沢温泉」。田沢温泉と言えば、子宝の湯として『有乳湯』が有名で
彦根城国宝井伊氏の居城で天守櫓門が現存又、お寺のような花頭窓が特徴ひこにゃん愛らしいなぁ。可愛いなぁ。人気があるの分かるそして、その後犬山城に。で、今気付いたのですが、犬山城の写真が1枚も無い‼️あまり写りが良くなかったから写真整理してる時に捨てたんだ😣失敗織田信長の叔父に始まり、次々城主が変わったが、江戸時代には、尾張藩付家老の成瀬氏が長きに渡り2004年まで個人所有の城だったというのが他とは違い興味をそそられる。国宝3重4階地下2階の望楼型天守が現存1日目はチサン
島崎藤村・明治5年(1872年)3月25日生~昭和18年(1943年)8月22日没(享年72歳)胸より胸に其の一めぐり逢ふ君やいくたびめぐり逢ふ君やいくたびあぢきなき夜を日にかへす吾命(わがいのち)暗(やみ)の谷間も君あれば戀のあけぼの樹の枝に琴は懸けねど朝風の來て彈くごとく面影に君はうつりて吾胸(わがむね)を靜かに渡る雲迷ふ身のわづらひも紅(くれなゐ)の色に微笑み流れつゝ冷(ひ)ゆる涙もいと熱き思(おもひ)を宿す知らざりし道の開けて大空は今光なりもろ
3月30日に大宮駅からあさま新幹線に乗り1時間12分で上田駅に着いたので、早くてびっくりしました!上田城は上田駅から歩いて20分くらいの場所にあり、町並みが綺麗で良いところだなあと景色を眺めながら思いました上田駅前にあった真田幸村像です。梅の花です。桜祭りイベントなのに桜はまだ咲いていませんでした。上田城跡公園二の丸横丁特設会場にて桜祭りが開催され出店が沢山出てました。上田城は1583年に真田昌幸が築城しました。第一次、第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の名城で
って、漫才コンビみたいな名前ですよね。と若者が言うので、失礼ながら思わず大爆笑してしまった。いうまでもなく、島崎藤村である。聞くと、文学史の教科書で見たことあるとのこと。最近でも国語の教科書には夏目漱石やら森鴎外、志賀直哉などの小説が採用されているらしいから、今の若者にも明治~昭和初期の作家は身近なんだそう。でも、遙か昔の歴史上の人物として捉えているから、その作品も歴史書、古典みたいなものと言う。『舞姫』『城の崎にて』と『源氏物語』『徒然草』が同じカテゴリーなの?と質問したと
「椰子の実から繋がった伊良湖岬は観光名所だった。観光名所は"人集め子供さらい"の支配層の松利権工作拠点。一般大衆にとってのトラップ場所。昔の人身売買拠点は現在の観光名所のトラップになっていた。それは伊良湖の自然の光を封印する闇の仕組となる。」椰子の実は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩であり、昭和に入って曲が付けられました。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬(いらごみさき)に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を島崎藤村に語り、島崎藤村がその話を元に創作
最近、近所で子猫ちゃんが増産されて車で走るときにかなり気を遣っている鹿吉です。こんばんは!意外と怖さを知らないのか、道路の真ん中で寝ていて、車が近くまで寄ってもまったく動く気配を見せない腹の据わった子ばかりなので、本当に毎回、車から降りて脅しをかけています(笑)降りれば蜘蛛の子を散らすように逃げていくので安心するやら、逃げられて哀しいやら複雑な心境です。ところで話は唐突に変わるのですが、アメリカ人的に「ダイ・ハード」という映画はどういう立ち位置にあるのでしょうか?大してアメリカ
今年の疲れを癒しに、戸倉上山田温泉に行ってきました。テニスで足を挫いて、半年ほど、膝を痛めてました。騙し騙し、テニスは、してましたが。。直前の申し込みだったので、戸倉上山田温泉のことは調べすに予約。戸倉上山田温泉-Wikipediaja.wikipedia.org明治中期に温泉が見つかり、善光寺参りの精進落としそしての湯として発展してきたようです。山間部でなく、千曲川のほとりにあるので、車で行きやすいです。千曲川、穏やかな川で、氾濫しそうもないのですが、、、数
真宗寺の鐘楼昭和27年の飯山大火で焼失この「破戒」が発表された後、蓮華寺のモデルとなった「真宗寺」の人達が随分迷惑したといいます。島崎藤村の小説「破戒」の舞台は、雪深い奥信濃飯山町と蓮華寺です。「破戒」には、冬や秋の飯山町の情景や、寺の佇まいをはじめ、正受老人や白隠禅師のことなども描かれています。「破戒」の登場人物は、主人公の瀬川丑松を始め、土屋銀之助、風間敬之進などの小学校の教師仲間や、風間の娘で蓮華寺の養女になった志保、蓮華寺の奥様、庄太、そして住職・猪子蓮太郎などです。この「破
2016/2/27渥美半島のドライブ旅の一コマです。伊良湖岬灯台を逆光で撮ってみました。いい雰囲気に撮れたと思いませんか。逆光じゃないと、こんな感じです。伊良湖岬灯台は、愛知県の渥美半島の先端にある、伊良湖岬の突端に立つ白亜塔形の灯台です。太平洋や伊良湖水道を望む風光明媚の地にあり、「日本の灯台50選」にも選ばれています。灯台あたりの遊歩道は歩きやすいように整備されています。遊歩道の縁石には・・・磯丸歌選歌61首が刻まれていました
2021年4月18日のJR東海主催の木曽福島駅スタートのさわやかウォーキングの記事に戻ります。9時ごろに木曽福島駅をスタートしていますが、今にも雨が降りそうな空模様です。なんとかゴールまで降らないように祈りながらのウォーキングです。途中にあったのは、久昌院というお寺でした。鐘楼には仁王像が構えてますね。臨済宗妙心寺派のお寺のようでした。迫力ありますね~参拝させてもらって、先を急ぎます。中央本線の線路脇を歩いていたら・・・・踏切の
長野旅2回目は小諸城址・懐古園です(もう行ってから2週間たってしまいましたが・・・)小諸城の起こりは1487年(超亨元年)信濃守護大井光忠が大手門北側に築いた城であると言われています以後武田晴信仙石秀久牧野康重などが拡張整備して各氏の居城になってました明治維新に廃城処分になりましたその後荒廃していくお城を憂い旧小諸藩士たちが本丸跡に神社を祀り花木を植えて公園にしました先ず三の門をくぐり二の丸跡の石垣を通りますそのあたりに若山牧水
遠距離ソロツーリング予定が雨のために妻とのドライブに変更され、テンションはMAX。うむ、違和感バリバリだな読者諸君もそう感じたろ、スロットならビッグ確定やでいやこっちの話、それでこそ当ブログのファンだなすw雨って色んな計画をダメにするよね、観光地に行っても景色が見えなきゃ意味がないからね。仕方がないから食に目的を持っていく。「つくで手作りオリジナルの村」(野口語で道の駅つくで手作りの村のこと、おいw)でソーセージなんてどう?と聞けば、妻は「この雨の中南信州の山を越えるのはちょっと」と答え、
まだあげ初めし前髪の林檎のもとにみえしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこころなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ★意味・現代語訳まだあげたばかりの君の前髪がリンゴの木の下にみえた時前髪にさした花櫛の花のように美しい女性だと思った優しく白い手をのばし
大磯中学からぶたのしっぽ方面に向かう国道1号線に統監道というバス停があります。統監道はバス停近くから山側に延び大磯駅まで続く伊藤博文ゆかりの道です。(画像は大磯町郷土資料館のHPからお借りしました)明治38年に日本の保護国となった韓国に統監府が置かれ伊藤博文が初代統監に就任。その後伊藤博文が大磯駅と住まいの滄浪閣を往来するのに通った道のため統監道と呼ばれるようになったそうです。当時この道はとても狭かったため町長の発案で拡張
2020年10月3日妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の馬籠峠越えを歩いています。妻籠宿から一石栃白木改番所跡まで歩いてきました。ここから馬籠峠を目指して歩きます。延々と続く上り坂は、きつい所はありませんが距離が長いです。熊除けの鐘を鳴らして通り過ぎます。ここは、標高777mのラッキーポイントなのだそうです。馬籠峠は標高が790mですから、あと13mですね、頑張りましょう。あっ、自動車道が見えてきました、あそこが馬籠峠なのでしょうか。