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大磯町は明治時代大物政治家が移住したり別邸を構えていたのはご存じの方が多いと思いますが昭和時代には著名な芸術家が何人も居を構えていました。一番知られているのが島崎藤村。昭和16年(1941年)に湯河原に休養に行った際左義長を見に立ち大磯を大磯を大磯を気に入り月額¥27だった家賃の貸別荘を30年分の家賃¥1万で買い取り翌17年から住み始めました。当時70才に近かった藤村は自分の死後を考え未亡人のために購入したと言われていますが住み始めて1年後《東方の門》を
初めてページをめくり、少なからずも共感できる部分があって、どんどん読み進んでいった。前編を半分ほど読んだ頃だろうか、途中から、藤村の考え、行動に全く共感できなくなり、読むペースがガタリと落ちた。しかし、藤村ではなく、相手の女性、節子のためにも読み進めよう、と思い、再び読み始めた。そして、後半、だんだんと藤村の気持ちに寄り添えるようになってきた。途中は涙が出そうな場面も出てきた。しかし、これが島崎藤村の罠であったかもしれないとはその時は思わなかった。全て読んだ後、ん??と疑問が浮か
県内のお籠り宿を訪ねる「マイクロツーリズム」第5弾は湯河原温泉にある「伊藤屋旅館」万葉集にも詠まれた長い歴史のある湯河原温泉にはレトロな老舗旅館がたくさんあります。現在も営業している老舗旅館は、創業300余年上野屋旅館明治9年創業富士屋旅館明治21年創業伊藤屋旅館などなどまた湯河原温泉には文人墨客に愛されたお籠もりの宿も数多くあります。伊藤屋旅館島崎藤村、有島武郎、黒田清輝藤田屋旅館東郷平八郎、尾崎紅葉、高浜虚子加満田小林秀雄、水上勉、鏑木清
ギリシャサントーニ島イアの教会舟木一夫~2024年コンサート曲㉙「青春の鐘」―後半に22・23回目の「オードリー」―リンゴの花本題に入る前に―。島崎藤村の「初恋」は藤村が25歳(明治30年8月)の時に発表した『若菜集』に収められていて、七五調のリズムが心地いい文語定型詩です。佐藤輔子(すけこ)という女性がモデルと言われています。詩には林檎(りんご)が2回、林檎畠(りんごばたけ)が1回出てきます。りんごの花は4月から5月にかけ、芽から5~6つが放射状にまとまって中心から咲
藤村がこの自伝的告白文学(姪と関係を持ってしまいました)を世間に発表したとき、田山花袋は「島崎は自殺するかもしれない」「こうしているうちにも、電報が来るかもしれない。困ったことになった」と興奮していた。芥川龍之介は「主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」と言っていた。後に坂口安吾は『デカダン文学論』において、ここには書ききれないほど相当な評価を下している。なぜ藤村が自らの小さな真実の秘密を自覚せず、その悲劇を書き得ずに、空虚な大小説を書いたかを咎めてゐ
【前回まで】昭和ロマン漂うホテルに宿泊↓『【軽井沢トレイルランニングレース】参戦記(レース後)』【前回まで】トレラン超楽しい、でも前太腿パンパン↓『【軽井沢トレイルランニングレース】参戦記(当日)』【前回まで】大会前日入りで東部湯の丸SAにて車中泊↓…ameblo.jp5時にスッキリ目醒めましたでも太腿イタイ朝はしっかり食べる派天気も良いので小諸ぶらり旅へ小諸駅からスタート遠くに浅間山が見えます小諸は高原の城下町町全体が坂道と言う訳で何となく坂の上を目指しますねこ
「椰子の実から繋がった伊良湖岬は観光名所だった。観光名所は"人集め子供さらい"の支配層の松利権工作拠点。一般大衆にとってのトラップ場所。昔の人身売買拠点は現在の観光名所のトラップになっていた。それは伊良湖の自然の光を封印する闇の仕組となる。」椰子の実は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩であり、昭和に入って曲が付けられました。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬(いらごみさき)に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を島崎藤村に語り、島崎藤村がその話を元に創作
「女性を犠牲にする人身売買の闇を暗示した椰子の実の作詞者・島崎藤村は、三浦一族の末裔です。ちびまる子ちゃんの作者・さくらももこは本名が三浦美紀で三浦一族に通じます。三浦一族の八咫烏は、支配層の闇を終わりにする役割があり、作品に隠されてきた闇の真実を盛り込んでいると感じます。」歌曲「椰子の実(やしのみ)」の歌詞には、明治時代の支配層が女性の人身売買を行っていた真実が込められていると感じます。wikiによれば、椰子の実は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩であり、昭和に入って曲が付けられました。こ
長野旅2回目は小諸城址・懐古園です(もう行ってから2週間たってしまいましたが・・・)小諸城の起こりは1487年(超亨元年)信濃守護大井光忠が大手門北側に築いた城であると言われています以後武田晴信仙石秀久牧野康重などが拡張整備して各氏の居城になってました明治維新に廃城処分になりましたその後荒廃していくお城を憂い旧小諸藩士たちが本丸跡に神社を祀り花木を植えて公園にしました先ず三の門をくぐり二の丸跡の石垣を通りますそのあたりに若山牧水
「破戒」とは「戒め」を「破る」こと~その「戒め」とは「自らの素性を隠せ」と言うことであった~飯山再発見のための連載~244「破戒と飯山&真宗寺」44藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと15「破戒」とは、「戒め」を破ると言うこと。島崎藤村の小説「破戒」では、被差別部落出身の小学校教師瀬川丑松が、父の「自己の出自を告白することはならぬ」と言う「戒め」を破ってしまうまでの苦悩が描かれている。丑松が、その「戒め」を聞いたのは、丑松が父親の元を離れて長野師範学校へ入学する時~「
邦画感想第254弾2024年GWは邦画DVD観賞三昧4作目は「破壊(2022)」を観賞しました原作は文豪島崎藤村身分・家柄・出生地・性別に差別が残る日露戦争下の飯山が舞台間宮祥太朗演じる小学校教師の瀬川丑松は出生地を隠して教壇に立っていたそんな中で下宿先の寺で石井杏奈演じる志保と出会い恋い焦がれるが身分の差に悩むそんな瀬川を矢本悠馬演じる同僚教師の銀之助が支え応援する苦悩する瀬川は眞島秀和演じる思想家の猪子蓮太郎に傾倒していき助けとなるしかし東京から赴任した教師から出生地の疑
最近、近所で子猫ちゃんが増産されて車で走るときにかなり気を遣っている鹿吉です。こんばんは!意外と怖さを知らないのか、道路の真ん中で寝ていて、車が近くまで寄ってもまったく動く気配を見せない腹の据わった子ばかりなので、本当に毎回、車から降りて脅しをかけています(笑)降りれば蜘蛛の子を散らすように逃げていくので安心するやら、逃げられて哀しいやら複雑な心境です。ところで話は唐突に変わるのですが、アメリカ人的に「ダイ・ハード」という映画はどういう立ち位置にあるのでしょうか?大してアメリカ
って、漫才コンビみたいな名前ですよね。と若者が言うので、失礼ながら思わず大爆笑してしまった。いうまでもなく、島崎藤村である。聞くと、文学史の教科書で見たことあるとのこと。最近でも国語の教科書には夏目漱石やら森鴎外、志賀直哉などの小説が採用されているらしいから、今の若者にも明治~昭和初期の作家は身近なんだそう。でも、遙か昔の歴史上の人物として捉えているから、その作品も歴史書、古典みたいなものと言う。『舞姫』『城の崎にて』と『源氏物語』『徒然草』が同じカテゴリーなの?と質問したと
小島よしおさんの10歳から学ぶ植物の生きる知恵最強無敵の雑草たちと言うとても長いタイトルの本を購入しましたここ2~3日春の陽気を飛び越えて汗ばむ位の初夏のようですこの季節になると気掛かりなことの一つに庭の雑草たちの元気過ぎる成長がありますもうすでに雑草たちは気ままに伸び放題膝痛がやまなくて草抜きには手を抜いてばかりです小島よしおさんの本にはハコベの歌やらも掲載されています繁縷には何故か私なりの思いがあります今は昔私の執刀医の丸先生は信州佐久のご出
2021年4月18日のJR東海主催の木曽福島駅スタートのさわやかウォーキングの記事に戻ります。9時ごろに木曽福島駅をスタートしていますが、今にも雨が降りそうな空模様です。なんとかゴールまで降らないように祈りながらのウォーキングです。途中にあったのは、久昌院というお寺でした。鐘楼には仁王像が構えてますね。臨済宗妙心寺派のお寺のようでした。迫力ありますね~参拝させてもらって、先を急ぎます。中央本線の線路脇を歩いていたら・・・・踏切の
まだあげ初めし前髪の林檎のもとにみえしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこころなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ★意味・現代語訳まだあげたばかりの君の前髪がリンゴの木の下にみえた時前髪にさした花櫛の花のように美しい女性だと思った優しく白い手をのばし
土井晩翠・明治4年(1871年)12月5日生~昭和27年(1952年)10月19日没(享年80歳)希望沖の汐風吹きあれて白波いたくほゆるとき、夕月波にしづむとき、黒暗(くらやみ)よもを襲ふとき、空のあなたにわが舟を導く星の光あり。ながき我世の夢さめてむくろの土に返るとき、心のなやみ終るとき、罪のほだしの解くるとき、墓のあなたに我魂(たま)を導びく神の御み聲あり。嘆き、わづらひ、くるしみの海にいのちの舟うけて夢にも泣くか塵の子よ、浮世の波の仇騷ぎ雨風いかにあ
「破戒」を観てきました。ストーリーは、亡くなった父から自身が部落出身である出自を隠し通すよう言われた瀬川丑松は、地元を離れて、ある小学校の教員として奉職する。教師としては生徒に慕われる丑松だったが、出自を隠していることに悩みを抱いている。下宿先の女性・志保との恋に心を焦がす丑松だったが、やがて出自について周囲に疑念を抱かれるようになり、学校内での丑松の立場は危ういものになっていく。というお話です。瀬川丑松は、自分が被差別部落出身ということを隠して、地元を離れ、ある小学校の
2020年10月3日妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の馬籠峠越えを歩いています。妻籠宿から一石栃白木改番所跡まで歩いてきました。ここから馬籠峠を目指して歩きます。延々と続く上り坂は、きつい所はありませんが距離が長いです。熊除けの鐘を鳴らして通り過ぎます。ここは、標高777mのラッキーポイントなのだそうです。馬籠峠は標高が790mですから、あと13mですね、頑張りましょう。あっ、自動車道が見えてきました、あそこが馬籠峠なのでしょうか。
部落解放運動の原点となった「全国水平社」の創立から100年を迎え、毎日新聞では連日その関連記事を掲載している。全国水平社と聞いても何のことかわからない人たちがほとんどだと思う。それより何より、部落解放運動すら理解されていないのではあるまいか。ずっとテレビを見ていてチェックしていたわけではないが、ニュース番組などでこのことを報じた場面にはついぞ出合わなかった。おそらく新聞記事でもそれを取り扱う新聞社は限定的だったのではと思う。当地区の小学校区にはその部落(同和地区)があり、同級生の友だち
あることから今、島崎藤村の本に目を通している。私は学生時代から本を集めることが趣味であった。読むより集めるのであった。古本街に足しげく通い、これはという本を買いまくった。一時その本の数は1,500冊以上にはなった。狭い部屋は一面本といった状況になった。その後その本は整理し、一部は実家に、多くは引っ越しの度に整理し、やがてほとんど本がなくなってしまったこともあった。そうした中で当時からいつも身近においてきた本もある。その数少ない一冊が、岩波文庫の「藤村詩抄」である。その表紙の裏に
飯山の人たちは~崎藤村の小説「破戒」と「千曲川のスケッチ」を、もっと大切にした方がいいと思う~飯山再発見のための連載~266「破戒と飯山&真宗寺」66千曲川のスケッチから~「破戒」へ連載の最終回島崎藤村は「破戒」執筆のために飯山町を訪れた時、真宗寺住職の長男井上弘円と長女の夫藤井宣正の二人が、大谷光瑞印度仏跡探検隊に参加し、藤井宣正がその探検から帰る途中マルセイユで客死したことを知り、しかも、藤井宣正が義父である井上寂英宛てに送られ手来ていた大量の絵はがきや書簡をもとに「椰子の葉蔭」を