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芭蕉は切れ字が無くても『切れ』があればいいと考え、連歌の発句が季語と切字を要求することとの差異を説きました。朝露に書付消ゆる別れかな脱亜入欧志向の子規も、旧態たる俳諧を攻撃する過程では切字にも切れにも興味を示しませんでしたが、最終的には切字を俳句の要素としたようです。獺祭は苦手糸瓜に頼る子規子規の下戸を知識として根っこに置いたりして、子規の嫌った月並俳句。獺祭は苦手と糸瓜に頼る子規ならばと、しかし川柳のレベルに達せず?今日的には俳句の切字は必要ないとも思えま
新涼のベンチに眠る授精胚ドクダミのどこでも咲いて叱られてやっぱぼく季語でいたいの胡瓜よりこの枝垂れ桜が銀河を回しますブランコよおしべめしべの溢れ出す「松山ことばカフェに参加しました。初めて行った松山は、情緒ある街並みに子規や漱石が散りばめられ、海鮮のおいしい街でした。大勢の参加者の中、虚子の話がとても面白かったです。」と名古屋市の水木さん。朝夕たっぷりと道後の湯にも親しんだらしいです。写真は葉正岡子規の勉強部屋が再現されている正宗寺の墓地に建つ虚子の筆塚です。「ことばカフェ」で松山
夏の季語の王さまともいえる季語、それが「蠅」だった。傍題に蠅叩き、蠅取りリボン、蠅覆いなどがあるが、夏の暮らしは蠅との闘いというか蠅がつきものだった。句としては「やれ打つな蠅が手をすり足をする」(一茶)、「一つ追ひをれば二つに夜の蠅」(久保田万太郎)、「追ひ払ふ蠅の団扇にあたる音」(澤好摩)などがかつての蠅のようすを生き生きと伝えます。ボクにも「晩夏晩年角川文庫蠅叩き」がありますが、残念なことに最新の「角川俳句大歳時記・夏」には出ていません。採用して欲しかったですが、角川書店としては蠅みたいな
無き人をホタル眺めて待ちにけり千年の闇夜を踊る蛍哉蛍火やうつつの彼方行き戻り色々と思ふ事あり蛍哉月隠れ蛍散りゆく能舞台けふの朝逝きし人あり蛍舞ふ恋破れ白い蛍のフォルテッシモ辻堂の祠を覗く蛍哉蛍火とじゃれ合ひながら恋模様心経に酔ひ痴れて舞ふ蛍哉美蟲角ですからね。たまには美しい虫を詠まなくてはなりません。ムリヤリ感があるのはご愛敬。(^^♪「無き人」は「亡き人、黄泉人、来ぬ人、ゐぬ人」などと随分迷いました。最後はどうでもよくなって「無き
■ナジャ猫カード蟻の道つゆばれやころどころにありまみちしき子規さんの句です。梅雨晴れや所々に蟻の道もうこれで露も終わったんでしょうかあちらこちらに蟻の道が出来て、せっせと巣穴まで通っています。雨はもう峠を越えたんでしょうかねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝