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前回ご紹介しました『天英院』と『天璋院』お二人とも『天』がつくから紛らわしいですね(笑)しかもそれぞれ近衛家からの御輿入れです。天英院殿は六代将軍家宣の御台所。天璋院は十三代将軍家定の御台所です。なので両者の間には約130年くらいの年代差があります。以前、お山の天英院殿の五輪墓前で、『このお墓はあのNHKで放送した篤姫のお墓です!』と、したり顔で新来者らしき人に説明していた御仁がおりましたが、、「おいおい」と苦笑しながら聞いていたのは言うまでもありません。(^_^;)
つい先日教祖である池田大作氏が亡くなり話題となっている創価学会ですが、その創価学会と密接な関係で繋がっているローカル線があります。それが身延線です。現在とある事情により身延線と創価学会の関係はほぼ断たれていますが、今もその関係の跡は色濃く残っています。ここでは身延線が創価学会にどのような影響を受けたかを紹介します。※本稿は創価学会やその関係者等を批判・中傷する意図はありません。創価臨が身延線に乗り入れる理由創価学会信者を乗せた団体列車を「創価臨」と呼びますので、ここからは創価臨と呼
aloha🌺静岡に行って来ました窓から眺めた富士山🗻窓から眺めれるっていいなぁ☺️
まずは双方とも[序]です。<br>http://ranshitsu.net/平成の大法難(創価学会問題)に対し、総本山第67世御法主日顕上人猊下の御指南のもと、日蓮大聖人の仏法・大石寺外護のために果敢に学会に立ち向かい法華講の陣頭指揮を執られた、法華講総講頭柳澤喜惣次(正護院惣徳日進大居士)は〝平成の南条時光〟と称えられた。また、柳澤委員長と共に大石寺外護のために果敢に学会に立ち向かった法華講大講頭石毛寅松(慈行院法徳日寅
総本山塔頭の寂日坊で起こった小笠原と学会青年部の辻との押し問答はその後も続きました。(本住坊に滞在していた小笠原はなぜかその時は寂日坊にいた)このやり取りをじっと見ていた男子部長の牛田がついにシビレを切らせた。『問答無用!衣を脱いでもらいましょう!脱がなければ脱がせてあげます!』次の瞬間、作戦参謀の龍年光が叫んだ。『担げ!』待機していた龍部隊のメンバー4人がズカズカと入ってくると、あっと言う間に小笠原を担ぎ上げた。『何をするんじゃ!何をするんじゃ!年寄りをどうす
私は、日蓮正宗を辞めます。そして私の人生や子供の人生を滅茶苦茶にしたこの憎い宗教を絶対に一生許さない。絶対に許さない。絶対に許さない!!!私は日蓮正宗の信仰を押し付けられてとうとううつ病になり、生活に支障が出ても朝晩の勤行をさせられました。挙げ句の果てには「うつ病なんか信心すれば一日で治る!!」と唱題を強要させられ、さらに鬱が悪化し、夫から離婚を迫られ、今は子供も夫の実家に取られ、お金も車も取られ、田舎なので移動手段もなく、買い物にも困る状況で、自宅にある食料も残り僅か、子供達を取