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1978(昭和53)年4月4日という、同年同月同日に行われた、歴史的なイベント、後楽園球場での「キャンディーズ」解散コンサートと、横浜スタジアムでの横浜大洋ホエールズの本拠地開幕戦、そこに至るまでの、「キャンディーズと大洋ホエールズの物語」を、連載中である。前回は、1974(昭和49)年12月24日、クリスマスイブの日に、「キャンディーズ」の運命を変える事になる曲、『年下の男の子』が、「キャンディーズ」のコンサートで初披露された所までを描いた。という事で、今回は1975(昭和
大リーグボール2号、消える魔球を完成させた飛雄馬にもはや敵はいなかった連戦連勝、まさに無双状態そんな中、ライバルの1人左門は打倒消える魔球のためにコツコツとデーター集めを行っていたしかし消える魔球がなぜ消えるのか、全く見当もつかず内心は焦っていた一方、大リーグボール2号が完成しても戻ってこない姉明子の事を気に病む飛雄馬明子は偽名を使ってまたもガソリンスタンドで働いていた川崎球場(?)の大洋巨人戦は、0-0この試合の巨人の先発は飛雄馬だピキーー
大リーグボール2号、消える魔球はついに花形によって打ち砕かれたもはや魂の抜けた人形のように飛雄馬は勝手にマウンドを降り球場を後にする試合後花形は記者に大リーグボール2号の秘密を全て暴露した一方でライバル星飛雄馬が再びマウンドに帰って来ることを心の底で願うのだったというわけで今回は巨人の星栄光の星編第157話「傷だらけの負け犬」というエピソードですこの回で左門が運命的な出会いをしますついにこの時点での飛雄馬の投手生命の全てだった大リーグボール2号、消える
1970年(昭和45年)を迎え、いよい各球団がペナントレースに向けて動き出した消える魔球に絶対的自信をもつ飛雄馬ではあったが花形左門の執念に不安も覚えるそんな中ついに花形は消える魔球の残り20%の秘密を暴いてしまった更に左門も残り20%の秘密に近づきつつあった消える魔球でかろうじてつながった友情を守るため飛雄馬は伴に対する方針を変えると宣言そしてフリーバッティングを開始、伴が打席に入った時飛雄馬の投球は伴を直撃飛雄馬はそれを故意にやったと言う二
ついに大リーグボール3号は完成したしかしその魔球は存在する事すら世間や相手選手は認識しない謎の魔球だったオールスター終了後のアトムズ戦でリリーフ登板した飛雄馬は、コントロールに苦しみながらもアトムズ打線にかすらせる事すらさせず抑えた次はライバるの一角、左門のいる大洋戦での先発を命ぜられる一方父星一徹は、息子の独り立ちを喜びつつも打倒大リーグボール3号に執念を燃やしはじめた今回紹介するエピソードは巨人の星栄光の星編第170話「覆面魔球」という回ですいよいよラス
大リーグボール2号でいよいよ無敵となった飛雄馬瞬く間に6連勝と驀進し、大洋戦を迎えるここでも変わらず消える魔球は猛威を振るい大洋打線を全く寄せ付けず、ライバル左門でさえ手も足も出ず見送りの三振に倒れた一方この試合を観戦していた左門の弟妹たちは大リーグボール2号登場前に、多摩川で飛雄馬をスパイした事をテレビでしゃべるそれを知った花形は、大リーグボール1号の時に比べ大リーグボール2号の完成が早すぎる事に疑問を持つのであった試合は5回表を終わって3-0と巨
大リーグボール2号でいよいよ無敵となった飛雄馬瞬く間に6連勝と驀進し、大洋戦を迎えるここでも変わらず消える魔球は猛威を振るい大洋打線を全く寄せ付けず、ライバル左門でさえ手も足も出ず見送りの三振に倒れたそして迎えた2打席目、左門はバッターボックスギリギリに立ち、球筋に体をかぶせ故意に死球を狙うだが不思議な事に消える魔球は左門の体には当たらずすり抜けるようにアンパイヤを直撃したこれを見た左門は、消える魔球は消えた直後コースを変えると指摘するのだった「うげげげ
大洋ホエールズホーム用・ビジター用1974年~1977年略年表1974年前半《ホーム・ビジター共通》秋山登ヘッドコーチ発案によりユニフォーム変更。この時期のみ帽子のマークに縁取り無し。この年から現在まで選手名の背ネーム表記になる。1974年後半《ホーム・ビジター共通》帽子のマークに白の縁取りがつく。1977年まで。1977年後半《ホーム・ビジター共通》左袖のマークが◯は(まるは)に代わり鯨に乗った少年に変更。シーズン終了まで。また、この頃ビジター用のみ白の縁取りが無いユニフォーム
宿敵花形に大リーグボール2号を打ち砕かれた飛雄馬は勝手にマウンドを降りて東京に帰ってしまったその頃、打倒大リーグボール2号に燃えていた左門も花形に先を越されて内心穏やかではなくなっていた気晴らしに夜の街に出かけたところ街の不良グループに因縁を付けられ揺すられてしまう偶然それを目撃した飛雄馬は不良たちと乱闘にそこでグループの女番町お京に出会い仲直りにゴーゴー喫茶に招待された「ねえ左門さん、星さんって彼女とかいるの?」「え・・・さあ・・・前はいたとか聞いた事は
一徹・オズマコンビに大リーグボール1号を打ち砕かれた飛雄馬は、川上監督に背いても大リーグボール2号の開発に挑んだそして大リーグボール2号は9割が完成そんな中、左門の弟たちは左門のために飛雄馬の特訓をスパイ大リーグボール2号は消える魔球だと言う事を知る弟たちは早速その事を兄左門に伝えようとするが左門はスパイ行為は泥棒と同じだと一喝「渇しても盗泉の水は飲まん」と言い切った兄左門の剣幕に弟たちも納得するが・・・実際唯一大リーグボール2号が消えるところを目撃し
ついに大リーグボール3号は完成したしかしその魔球は存在する事すら世間や相手選手は認識しない謎の魔球だったアトムズ戦での好投を見た川上監督は、次の大洋戦で飛雄馬を先発させるそして迎えた左門の打席、大リーグボール3号を初めて打席で見た左門は、それが女番長お京の投げた「捕球できないリンゴ」と同じだと直感したマウンド上で飛雄馬とお京さんが揃って投げてちゃまあ打てません(笑)左門初球は空振り左門にとっては大リーグボール3号ショックよりそれがお京さんの投げたリ
大リーグボール2号打倒を花形に先を越され目標を失った左門は夜の街に出かけたその時街の不良グループに因縁を付けられ揺すられそうになるが、間一髪のところで偶然そこにいた飛雄馬に助けられるその時、不良グループのリーダーお京と知り合うお京は飛雄馬に一目ぼれしたが、左門はお京に一目ぼれ、そのせいかバッティングの調子を落としてしまった大洋中日3連戦の2つ目この試合も5番で出場の左門家で必死に兄を応援する弟妹たちだったが・・・・初球の空振りで解説者から「ボールとバ
大リーグボール2号を花形に打たれた飛雄馬は勝手にマウンドを降り、東京に帰ってしまうその頃またしても打倒魔球を花形にさらわれた左門もまた目標を失い途方にくれるそんな最中、夜の街に出た左門はレディス軍団に痴漢の濡れ衣を着せられ揺すられるその場に偶然居合わせた飛雄馬は、そのリーダー格のお京の八百長という言葉に激怒し、お京を殴り飛ばしてしまう今回は巨人の星栄光の星編第158話「女番町お京」というエピソードですお京の追加支援のチンピラたちに囲まれる飛雄馬「へ
花形に大リーグボール2号を打たれ完全にやる気をなくした飛雄馬勝手にマウンドを降りて帰京したら街のチンピラと乱闘騒ぎその後原因となった不良のお京に告白されそれを知った左門にも嫉妬されやっと家に帰ったら今度は伴から明子姉ちゃんの事で無理難題を押し付けられ、そのまま疲れて眠ってしまった飛雄馬というわけで、今回は巨人の星栄光の星編第160話「左門の恋」というエピソードです川崎球場の大洋対中日戦中日1点リードのまま、打席には左門が最後の打席にマウンド上は星
私は、当ブログで「マスコットで振り返るプロ野球史」という記事を連載中であるが、現在の所、私はこのシリーズで、「国鉄・ヤクルト編」「阪急・オリックス編」「巨人編」「南海・ダイエー・ソフトバンク編」の、4球団分を書き終わっている。という事で、今回は「マスコットで振り返るプロ野球史」の、「大洋ホエールズ編」を、お送りする事としたい。私は、大洋ホエールズ以来の、横浜DeNAベイスターズのファンであるが、今回は、ホエールズ~ベイスターズの歴史を、球団のマスコットを軸に、描いてみる事としたい
消える魔球の秘密保持のため巨人は伴のトレードを拒否したが、中日一徹コーチはまだ諦めていなかったオズマの手紙から新外国人選手獲得に方向転換しようとした中日球団に対し、一徹コーチは猛反発3日以内に伴を獲得してみせると宣言したその頃花形は六甲山中で雪玉を打つ特訓を開始これこそが打倒消える魔球の第一段階だった一徹コーチに頼まれてそれを偵察する新聞記者この特訓内容を川上監督に知らせる事こそが一徹コーチの狙いだったのだガタゴロゴロガタゴロゴロ突然山中に不気味な音
1970年(昭和45年)を迎え、いよい各球団がペナントレースに向けて動き出したそんな中花形はいまだに消える魔球の残り20%の謎が解けず毎晩悪夢に苦しんでいたそんな事とは知らない村山阪神新監督はテレビに出演し花形の打倒消える魔球に大きな期待を寄せた一方飛雄馬は、大リーグボール2号に自信はあるものの花形左門の執念に不安を感じていたそして新監督村山のもとを訪れた花形は、ついにそこで消える魔球の全ての秘密を暴いてしまったここは左門の自宅アパート「今年こそは花
横浜DeNAベイスターズ前身大洋ホエールズ(1950-1952)大洋松竹ロビンス(合併)(1953)洋松ロビンス(1954)大洋ホエールズ(1955-1977)横浜大洋ホエールズ(1978-1992)横浜ベイスターズ(1993-2011)横浜ベイスターズ歴代ユニフォーム1993-20111993マリンブルー青チームカラーに2009横浜開港150周年にYネックユニフォーム2010ホーム用の両肩の星を金に金星ゴールドスターサマーユニフォーム交流戦・復刻ユニファー
「マスコットで振り返るプロ野球史」シリーズの記事で、今回は、ホエールズ~ベイスターズ編をお届けしているが、前回の記事では、その「前編」として、「大洋ホエールズ編」を描いた。今回は、その「後編」として、「大洋・横浜・DeNA編」をお送りして行く事としたい。大洋ホエールズが、本拠地を横浜に移して以降について、描いて行くが、まずは、所謂「湘南カラー」の大洋ホエールズ、川崎球場時代末期の個性派選手達を、ご紹介して行く事とする。<「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクタ
一徹・オズマコンビへのリベンジに燃える飛雄馬は川上監督の指示に背き大リーグボール2号の開発を急ぐそしてようやく大リーグボール2号は9割がた完成そんな時、その特訓の様子を左門の弟妹たちに見られてしまう大リーグボール2号は消える魔球それを兄左門に知らせようとしたが・・・・「あんちゃん、俺たちは決心したと!大リーグボール2号ば、絶対あんちゃんに打ってもらおうと!」「そうたい、このままだとあんちゃんはまた花形やオズマに先を越されて、永久に星投手には勝てんとばいっ!」
1986年の大洋ホエールズには、2人の外国人選手が新しく加入した。1人はカルロス・ポンセ。前年ブリュワーズでメジャー初昇格を果たしたが、結果は残せなかった。しかし、大洋の渉外担当で外国人選手の獲得に関わっていた牛込惟浩はポンセのプレーを高く評価し獲得に踏み切った。そしてもう1人、同じようにブリュワーズ所属で結果を残せていなかった選手を獲得した。それが今回述べていくダグ・ローマンである。ローマンは1958年アメリカカリフォルニア州生まれ、左投左打の外野手である。78年のMLBドラフト2巡目で
1956(昭和31)~1958(昭和33)年、西鉄ライオンズを「3年連続日本一」に導いた、「名将」三原脩監督が、1959(昭和34)年シーズンオフ、大洋ホエールズの監督に就任したが、大洋ホエールズは、1954(昭和29)~1959(昭和34)年に「6年連続最下位」に沈み、「万年最下位」とまで称された、超弱小球団だった。果たして、「名将」三原監督が、そんな大洋ホエールズで、どんな手腕を発揮するのか、注目が集まっていた。こうして、1960(昭和35)年、三原脩監督率いる大洋ホエールズは
近藤和彦1936(昭和11)年3月2日~2002(平成14)年6月10日大阪府高槻市出身大洋ホエールズで16年活躍し「天秤打法」として有名な打者です。平安高校から明治大学に進学。明治大学時代にベストナイン3回選出される活躍後大洋ホーエルズに入団。シーズン3割を6回、そのうち4回はランキング2位を記録。1961年盗塁王を獲得が唯一のタイトルだったが、長嶋茂雄を脅かす好打者だ。通算1736安打、通算打率は.285現役時代の背番号は26とても個性的な打撃フォームです。今の時代
昨日(5/23)の当ブログの記事で、NHK『チコちゃんに叱られる』が大人気であり、番組のメイン・キャラクターであるチコちゃんが大ブームを巻き起こしている、そして、野球大好きなチコちゃんが、桑田真澄にデートに誘われた…と思いきや、キャンセルされてしまった、という内容の記事を書いた。しかし、チコちゃんの本命の相手は、桑田ではない。チコちゃんが、この番組で何度もラブコールを送っている相手、その人こそ、横浜DeNAベイスターズの主砲・筒香嘉智(つつごう・よしとも)である。チコちゃんは、
ファームではサッパリやった筒香嘉智が土壇場で流石の3ラン。徒然なるままに……2023~24の阪神打線を見ていると74~75年の大洋打線を想起する。ライオン丸シピンに該当する選手こそ存在しないが近本、中野の12番左の好打者コンビは中塚、江尻を連想するし四番の大山はどことなく松原っぽい。ちょい横道。大洋って背番号を大事にしない印象秋山登さんは永久欠番ではない。松原の25番もあっさり投手の古賀に受け渡したのには唖然とした。しかしそれ以降は村田、筒香と
野球雲創刊号の特集「史上最弱の球団はどこだ」で見事最弱1位に輝いたのは1955年の大洋ホーエルズでした。確かに勝敗表を見ると首位からの差が61.5ゲーム。(NPB年度別成績から引用)戦後のプロ野球公式戦で優勝チームから最下位チームまでのゲーム差を調べてみたところ、61.5ゲーム差は最大のゲーム差です。2位は1950(昭和25)年の広島カープ130試合41勝96敗1分勝率.299で首位松竹ロビンスとの差は59.0ゲーム3位は1955(昭和30)
以下は昨年、オールスターゲームでの原口文仁選手のホームランを見て書いた拙記事ですが、宜しければお付き合いを原口選手のホームランで思い出したこと。センちゃんの相性で親しまれた佐野仙好選手。彼も77年4月29日にフェンス激突して頭蓋骨陥没骨折という命に関わりかねない大けがをした。でも7月には復帰して、いきなりスワローズの安田猛投手からホームランを打ったんですよね、あれを思い出しました。それと池辺巌選手!彼はこの事件絡みでも忘れることが出来ない、男気あふれるいぶし
どん底状態の長嶋巨人を救うため代打専門での巨人復帰を目指す飛雄馬そんな中大洋戦で左門に痛打を食らった巨人はその試合に敗れ、ついに最下位が確定した一方巨人復帰に執念を燃やす飛雄馬は連日の特訓で成果を上げていたコーチのビル・サンダーは第2段階の条件として各球団の一軍投手のデーターを要求これに応えるために伴は、大洋左門の持つ左門メモという投手攻略ノートを手に入れようと考え、左門に土下座して頼みこんだ「この通りじゃっ、何も聞かず左門メモをコピーさせてくれいっ」