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司馬遼太郎「花神(中)」(新潮文庫、1976年)を読んだ。司馬遼太郎は「花神」という小説の主題は―技術と人間―ということであると書いている。...p18蔵六は、自分は技術者である。つべこべ政論をたたかわせているよりも、技術が現実の歴史を解決してゆくことを知っている。...p10蔵六は無口で無愛想で長州人の政論に加わらなかった。だから何を考えているか分からず不気味に思われていた。薩摩人の思考法はつねに現実的で、戦国大名のような明快な打算がある。長州人は思想という幻想に酔う、多分に観念的で無
現代最高のピアニスト〈といわれる〉のマウリツィオ・ポリーニ氏〈1942.1.5.〜2024.3.23〈日本時間3.24〉〉が亡くなって1年が経つ。昨年、そのニュースを僕は寝ぼけながら聞いたが、何れ欲しいと思っていた彼の『ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集』を手に入れたのを皮切りに僕は様々なピアノ・ソナタ全集を聴き比べた。彼の演奏は少なくとも録音が残された作品は完璧で、透明なペダリングにあまり頼らない澄んだ音色をしている。それと、年月は掛かったが、ベートーヴェンの全集が残ってほんとうに良か
司馬遼太郎「花神(上)」(新潮文庫、1976年)を読んだ。村田蔵六のち大村益次郎(文政8年1825〜明治2年1869)の物語である。面白くて徹夜してしまった。蔵六は無口でめったに口をきかず、とびきり無愛想。胸中の思案とはしばしば反対の表情をする(p77)というから付き合い憎いヤツであった。蔵六とは亀の意である。手、足、頭、尻尾の六つを蔵(甲羅)に隠すことから。蔵六を名乗ることからしてねじ曲がっている。ところが類い稀な語学力と計数に克明で物事を理詰めで考えていくという才能がある。緒方洪
藤村孝益は、村田蔵六(大村益次郎)の実父。書簡紹介します。内田伸先生の『大村益次郎文書』に載っていますが、だれも内容がわからないから放置されています。この世に、私しか大村益次郎研究家はいないので、解説します。○安政五年二月三日藤村孝益より(『文書』185)弥御安康の由、珍重に存候。此方向も無別条罷過由候間、御安意可被下候。昨年は書面も怠り、亦差越候も不埒に及候て、御案被成候段、渡辺よりも承知致候。今年よりは、毎時差出し可申候。其方よりも、御送り可
にほんブログ村「一人の男がいる。歴史が彼を必要としたとき忽然として現われ、その使命が終わると大急ぎで去った。もし、維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわることであった。中国では花咲爺いのことを花神という。彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六、後の大村益次郎である。」「一人の女がいる。歴史が彼女を必要としたとき忽然として現われ、その使命が終わると大急ぎで去った。もし、
放浪日:2018年3月18日あもんが“ふと”見つける好きなモノが盛りだくさんある宇和島市を歩いています【宇和島城】のある城山を降りてきましたあくまでイメージなのですねwこれからの調査で真相が解かされるのは楽しいですが国内最古クラスの現存する門の可能性がある!ですか!門フェチには堪らない逸品となるでしょうか?w四国は88ヵ所にしがちwさて、宇和島市歩きはまだまだ続きます宇和島市には偉人散歩ができますから狙うは【オランダおいね三角屋敷跡】です近くに大村さんと三瀬さんの屋敷跡
今日は豆腐の日大村益次郎と豆腐幕末,長州の人,村田蔵六は,大阪の適塾で蘭学を学び,郷里の周防鋳銭司村で村医者になった。何事もなければ,蔵六は鋳銭司村の村医で,天寿を全うしたに違いない。しかし,米国の黒船来航により世情は激変し,日本は,渇いた喉が水を欲するように蘭学者を必要とした。蔵六は,四国の宇和島藩から請われて西洋砲術や蘭語の講義や翻訳をし,軍艦も作り上げた。蔵六は,後に大村益次郎と名乗り,天才的な軍事的才能で江戸幕府を倒し,維新の十傑と言われた人物である。幕末に大量に輸入されたゲベ
国会議事堂を出て少し歩いた所に駐車場があり、「思い出屋」という小さなお土産屋がありました。実は議事堂で「晋ちゃんのおもてなし」とかネーミングやパッケージが笑えるお菓子を買うのを楽しみにしていたのですが、日曜も開いている売店がココだけだったみたい。「晋ちゃんのおもてなし」は無かったけれど、ちょっと面白いのが買えたからいっか国会ガイドさんが教えてくれたのですが、このお土産屋さんにある自販機が日本で一番安い自販機かもらしいです。確かに普段120円位のものが80円安さの秘密は不
コロナウイルスの影響で日本中が不穏になり、平和な日常が訪れる事を皆願う毎日が続いています。さて佐倉は近代医学の発展に大きく関わっている地です。佐倉の城下町城下町特有のクランク状の道路よしきりから程近くに佐倉の城下町があり宮小路(大手通)と成田街道が交差する角に順天堂記念館があります。江戸末期、大阪の緒方洪庵塾(適塾)とともに日本の蘭学塾の双壁でした。順天堂というと御茶ノ水にある大学や病院を思い浮かべますが、佐倉藩主堀田正親が江戸で蘭学外科学校兼病院を主宰していた佐藤泰然を佐倉に招
囲碁トモのAさんから梅の実の焼酎漬け(つまり梅酒に入っているヤツだ)をいただいた。実を採ってから一、二週間漬け込んだようで、カリカリした食感がいかにも初夏を思わせる。「これ、お庭の梅ですか」「ふふふ。公園の梅」ご自宅の近くに梅の木が何本か生えている公園があって、そこの梅を採集した由。「落ちてる実は衛生上問題ないんですかね。虫が食ったりとか、誰かが踏んづけてたりとか」「ふふふ、大丈夫。なってる実を採ったから」「ギョギョ、それって犯罪、ってことじゃ」「大丈夫
1年に1度のペースで、萩市にある『萩ガラス工房』さんを訪ねているRieruです★ご存知、萩ガラス工房さんで作られているガラス製品は、笠山で採れる石英玄武岩を使っておられます。その石英成分と含有金属類によって、美しい翠色になるわけなんですよね。しかも、他のガラス製品と比べて割れにくいので、おっちょこちょいの私には、大変ありがたいガラス製品なのであります。今回は箸置きとして販売されている、小鳥が欲しくて♪小鳥は手作りなので、それぞれが微妙に違うのです。箸置きサイズより大きな小鳥も販売され