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買い物でレジに並んでいたら、後ろの女性がすごく口調が荒くて。すでにレジを通したおにぎりを持って母親の所に戻ってきた、四歳くらいの娘と旦那さんに対して、再度買い物をしてレジ待ちしていた母親が、汚い言葉で大きな声で二人に文句を言っていた。『こっちくんなよ!紛らわしいだろ?盗んだと思われるべなテメーもいちいち連れてくんなよ!』声を荒げる母親に対して、文句を言われながらも穏便に済まそうと旦那さんが何度も謝ると、そのまま四歳の娘を連れて買い物エリアから離れていく。すると今度は、中学生くらいの娘と高
こんばんは。ご訪問いただき、ありがとうございます。過去の記事を書いています。今まで言えなかったこと。心にフタをかけていて言えなかったこと。最近、ポロポロと思い出しながら書いています。時系列がバラバラですがよろしくお願いいたします。舅は、なくなりました。姑は、とても元気です。姑、老人ホームをホテルと勘違いしているようで、見学と言い体験お泊まりをしています。『またまた見学・体験』こんばんは。ご訪問いただき、ありがとうございます。過去の記事を書いています。今まで言えなかったこと。
娘が幼稚園から帰ってきてから、父ちゃんが仕事を終えて帰ってくるまでの時間が一番辛い。本当なら、娘が帰ってからすぐ、おうたも帰って来てたから。ただいまーって。手洗いする前に、リビングに来て。友達と遊ぶ約束したって言って。まずは手洗い!って私に注意されて。しぶしぶ手洗いして、宿題して。元気に外に遊びに行く。あの日も、おんなじだった。東京の緊急事態宣言はまだ解除されてなかったけど、私達の地域では解除されて、学校も再開して。天気も良くて。体力も持て余して。だから、見送った。いっ
職場に、外線から電話が入った。今日予約だったが、子供の小学校が休校になったことと、大雪で車を出せないということで、予約を変更したいとのこと。名前を聞いて、生年月日で調べたら…おうたが事故にあったとき一緒に遊んでいた友達の母親だった。遊ぼうって、おうたを誘ったのはそっちなのに…休校になったというのは、おうたの通っていた小学校…本来なら、うちも、子供の小学校が休校だったんだなおうたなら、今なら小5だから、一人で留守番できたかな?なんて、あるはずだった未来を想像して、それらがどうして私
先日、古くからの友人が家族全員で我が家に来た。旦那と、子供を二人連れて。相手に子供が生まれてからは、いつも子連れでくる。旦那は子守担当なんだと思う。正直、旦那に来られるのは気を使うし、下の子は三歳くらいだから連れてこないで欲しい。何より、子守りで付いてくる旦那もずっとスマホいじっていて、私が家の裏に公園があることを子供たちに教え、暗に連れて行くように誘導してもなかなか動こうとしない。友達も、子供が危ないことや勝手なことをしていても、「ダメだよー!」って言うだけで本気で止めようとはしない。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09160610/?all=1先日、ブラタモリで恐山を特集していた。私達のような人間に寄り添った内容というよりは、当事者でない人々に、紹介するといった内容だった。ただ、南直哉さんの仰る言葉が、私達に直接語ってくれた内容もあり、ちょっと嬉しかった。僧侶や神主、教祖的な崇められる人の言葉は何一つ響かないけれど、直哉さんの言葉だけは届くんだよなーなんでだろう?また行きたくなってきたな。行けば会える気がして。
私の住む北国でも、ようやく桜が咲き始めました。毎年、桜を見ると寂しさと悲しさが募る。おうたとさよならする前は、幸せの象徴だったのに。時間の経過と共に、おうたと同じ年頃の男の子を目にしても、以前ほど憎悪を抱かなくなった。見当違いな憎しみや疎ましさの代わりに、思い返すのは自分への後悔。GWの日。旦那の実家で咲く桜の木で、おうたと木登りをした。母ちゃんは子供の頃、よく木登りをしたんだよ。おうたもできるかな?って。その2日後に、木登りが原因で事故にあった。後悔してもし切れない。ごめ
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
おうたが事故にあって大分経ち、旦那が言った。「家族写真が撮りたい」と。私は抵抗した。その写真を見る度に、おうたがこうなってしまった現実を突きつけられ、辛い思いをする。いつかくるであろう別れの時を経て、その写真を見る勇気が自分には残っているのか。私の中のおうたは、ニコニコ笑顔で、元気いっぱいなのに。今のおうたの写真を残してしまったら、私の中のおうたがいなくなってしまう。そんな不安を、ぽつりぽつり伝えた。旦那は何も言わなかった。私の気持ちを否定しなかった。それからまた数日経ち、おう
娘が、おうたと同じ学位年に上がる。段々と、お兄ちゃんよりも年上になる。そんな現実に寂しさを募らせたり、本当に我が子は大人になれるのだろうか?と不安になってみたり・・・おうたと同じ時期、時刻に、娘までいなくなってしまうんじゃないかという恐怖。親としての責任も、これまで以上に重くのしかかる。きっと娘はすごく窮屈に感じている。色んな事に制限をかけていること。家の裏の公園ですら、大人がいない場合は遊ばせられない。春休みの学童も、歩いて行かせられない。自転車も禁止にしている。な
朝、目覚ましよりも1〜2時間早く起きる。寝る前は死ぬことばかり考える。やる気がない。何にも興味がない。気力がない。目的がない。娘の存在でさえも、糧になれないくらい沈んでしまうときがある。まだ、おうたとお別れして、1ヶ月未満……焦らず、自分を甘やかしても、良いよね…
おうたが事故にあったとき、おうたは1歳下のお友達と近所の公園にいた。2年生になったばかりのことだった。あの時は、子供だけで公園に行くことは日常だったし、他のお友達も、親がついて公園に行っている子はいなかった。だから、私はどこかで、自分の判断が間違いではないと思いたかった。だけどずっと、喉の奥に小骨が引っかかっているような罪悪感と後悔が消えない。たまたまネットで、7歳の子供がお友達とだけで公園に行くことに対して、賛否両論意見があった。何かあってからでは遅い。過保護と言われても構わない
最後にブログを書いてからだいぶ経ってしまった。果たしてここに書くことが正しい判断かは分からないまま、再びパソコンの前に座っている。新しい命がこの身に宿った。それはとても幸せなことで、嬉しいことで、ハッピーなことのはずだ。けれど、その感情を私は素直に受け入れることができずに、ずっと持て余して過ごした。悪阻も相まって、私の精神状態はボロボロだった。そんな私の心境などお構いなしに、周りは120%の祝福を向けてくる。それが居心地が悪く、息苦しかった。保健師や助産師に、おうたのこと
二度目のカウンセリング。今日は主に納骨や初盆の話。私、最初は四十九日の納骨に何の抵抗もなかったんだけど、日が経つに連れて、おうたを暗い墓の中に入れるの嫌だなーと思うようになって。でも、四十九日の準備は進んで、墓石屋さんにも連絡済だし、そんなもんなのかなーって思ってたんだけど。カウンセリングの先生は、お母さんが嫌なら、その気持ちを最優先して良いと思いますよ、って言って下さった。でも、旦那は、納骨しないでいつまでもお骨が目に入ると、私が悲しみを引きずってしまうと思っているのかもしれない。
毎日の旦那との会話がだいたい決まってる。娘のこと。おうたのこと。スピリチュアルな話。引っ越しのこと。これの繰り返し。明日から旦那も仕事復帰。日中は私ひとり。嫌だな…さっき母親から来た、「明日おうた拝みに行っていい?」ラインは、気を使ってのことかな。だとしたら、ありがたい。
職場に、娘より2歳下の女の子を育ててるママさんがいる。そのお母さんは、テレビを見せないユーチューブも見せないオモチャを与えない家庭内の食事はほぼ無添加というこだわりを持っている。我が子に未来があることを信じて疑わない。我が子の未来が突然消え去るなんて想像もしてない。私は、おうたを失ってから。娘に甘い。おうたが見てたら、ずるい!って怒られちゃうくらい、娘に甘くなった。食べたいものは何でも食べさせ欲しいオモチャも極力与えてるあいさつとか、行儀とかも、注意はするけど、強く
娘がスプラトゥーン3にハマっている。私も旦那も、娘と楽しくプレイしている。が、私と娘は同じSwitchで別ユーザーでプレイしているため、対戦したり仲間となって戦うことができない。旦那はSwitchライトでプレイしているため、娘とプレイしている。それぞれが交代しながらプレイしているが、不便さもある。おうたのSwitchを借りてプレイすれば一番手っ取り早いのだけれど、おうたのSwitchは一度も使っていない。時が止まったままだ。私はずっと、おうたのSwitchとiPadを開けないでいる。
今日から旦那も仕事。おうたに会いたくて会いたくて会いたくて。スマホに保存されている動画を事故後初めて見た。どの動画も、ニコニコ笑顔で元気なおうた。あー、会いたいよ。おうたに会いたい。やっぱり寂しくて泣いちゃったけど、久しぶりにおうた見れて嬉しかった。おうた大好き。
会社のスタッフの方が亡くなった…。まだ66歳…。いつもニコニコしてるおじさんで優しくて…。病気して…入退院を繰り返してて…10月に会社に来てくれた時に11月から復帰したいなーって言ってて元気そうだったのに…11月の半ば…突然のお別れに涙が止まらなかった…。昨日、奥様が会社に来てくださり…お礼のご挨拶に来てくださって…。まだまだ信じれなくて寂しくて…本当に大好きでした…生まれ変わってもまた夫婦になりたいっておっしゃってた…。本当に愛されてたんだね…。こんなに奥様に愛されて
人生初、コロナにかかった。お腹も大きくて苦しいのに、さらに辛い。味覚障害あったら嫌だな。今もまだ味覚障害残ってるのに。つわりからようやく開放されたのに。先月は初めて夫がかかったから、うちでかかってないのは娘だけ。うつらないといいなー…おうたが事故にあったとき、緊急事態宣言が解除されて次の日で、公園周りには大人が一人も歩いてなくて。だから、おうたのお友達も、助けを求めるために10分かかる自宅まで戻ったみたいで。コロナさえなければ。いつもの公園みたいに、近所の大人が外にいれば。
おうたの葬儀、新聞に載せました。それは、あまりに突然のことで、周囲の人に知って欲しかった。って言うと語弊があるけれど。今後、会う人みんなに、おうたのことを伝えるのが辛いと思ったから。もちろん、おうたのお別れにたくさんの人に来てほしいっていうのもあった。ただ、私は最初、旦那に言ったんだ。そんなにみんな新聞見る?わざわざ、お悔やみ欄見る?そもそも、私達の世代は、新聞取らないんじゃない?旦那は職業柄、新聞も読むしお悔やみ欄も毎日見る。うちでも新聞を取ってるし、それが普通だった。でも、
はじめまして。ここは、2020年6月7日に天国へと旅立った、大好きな息子「おうた」のことを綴っていくブログです。何かに残しておかないと、不安で…現在のこと、過去のこと、いろんなことを残したいです。