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今回は、不比等が作った幻想の国「日本」(その7)として、壬申の乱編をお話しします。下記、①から⑩項目のうちの「⑥壬申の乱(672年)と、勝利した大海人皇子が天武天皇として即位(673年)」のお話しとなります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(654年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)、斉明天皇の死(661年)③「白村江(はくすきのえ)の戦い」と百済の滅亡(663年)④近江へ遷都(667年)し、中大兄皇子(豊璋)が天智天皇として即位(668年)⑤中臣鎌足
最近、妙に気になっていた岡崎市滝町の三界の滝へ行くここは、伝説の修験者役小角(えんのおづぬ)が滝山寺の前寺となる吉祥院を建てたところだそう↓役小角さんいました天武天皇の時代かじゃ、持統天皇や、大友皇子、額田王もいた賑やかな時代だったんだな〜〜って印象があるしかし、穏やかでいいところだなぁ滝好きの私(๑>◡<๑)到着前には、フジバカマも育てられていて今年はコスモスの
2019/10/20岡崎市西大友町大友天神社のお祭りやはぎ飛鳥まつり最後のお祭りです大友皇子が開基の玉泉寺にて着替え、集合をし大友皇子が御祭神である大友天神社へ向かいました。大友天神社は巫女の舞の種類も多いですし、衣裳もちょっと特別な色合いです。毎年、こちらのお祭りには来ていますが、今年はこのように賑やかな顔ぶれで伺うことができ、大変喜ばれました出かける前は身体が異常に重いわ、イライラは酷いわで「行きたくない」と駄々をこねていた私でしたが、大変ありがたい経験となりました
大友皇子の妃、耳面刀自媛(みみものとじひめ)に関する伝説についての続きですちょっと長いですよ匝瑳市の内裏塚下古墳をあとにして向かったのは旭市大塚原↑大塚原古墳、南西側より↑大塚原古墳、南側より↑かなり字が薄れてきた解説板解説板(昭和52年)より一部抜粋伝承では、大友皇子の妃「耳面刀自媛(みみものとじひめ」は戦乱から逃れて、従者「中臣英勝(なかとみのあかつ)」らを従え海路を父「藤原鎌足」の出身地鹿島に赴く途中、九十九里海岸に漂着され病にかかっ