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夜のヒットスタジオ#舟木一夫youtu.beいつも武蔵野舟木組ブログにお越しいただき有難うございます。ブログを開設したのは2006年の事です。すでに18年が経っています。途中、yahoo!ブログが閉鎖になり、アメブロに移りましたが、全てが移行できず、2011年からが保存されました。その間の5年間が存在しないのはとても残念なことです。長きに渡って応援してくださる方から、沢山の資料提供をして頂き、紙ベースでの資料は、ほぼ載せるが出来、一昨年からは、国立国会図書館から
1977年9月5日の「夜ヒット」、ピンク・レディーはこの日発売になった5枚目のシングル「ウォンテッド(指名手配)」を引っさげて登場している。この曲もご存知の通り、ピンク・レディーの代表的な大ヒット曲。オリコンでは9月19日付けのチャートで、前週までの首位「渚のシンドバッド」と入れ替わりでトップに立ち、以後12週連続1位を記録、ミリオンセラーとなった。とはいえ、当時田舎の小学生だった僕には、正直あまりピンと来なかった。変な曲だな、というのが最初の感想である。それまでの明るく可愛いイメージと
動画を見て頂けなかったのが残念です。舟木さんが夜のヒットスタジオに初めて登場するのが1969年1月。1968年11月に番組が始まったから3か月近く経った第12回だった。この時の放送があったのは1974年。初代の司会者、前田武彦・芳村真理の二人から変わり、三波伸介・芳村真理時代になっている。出演者の中では、一番の歌手としての先輩にあたると思うが、何故か控えめな舟木さん。結婚して二度目の事故の翌年だけに、本来の舟木さんらしさが見えない。お決まりのコントでは、山口百恵、野口五
11周年のお祭りだよ~フジテレビTWOのヒットスタジオ傑作選、12回目です。昨年中にアップするつもりでしたが、忙しさにかまけてずいぶん遅れてしまいました。ようやくで、もうしわけない。。。昭和43年(1968年)11月4日にスタートしたヒットスタジオ、番組スタートから11周年ということで11月は記念月間、今回はその第一弾。みんなステキにドレスアップしてご登場。。。メドレーでは11年前に何をしてたかも教えてもらいましょう。トップは研ナオコさん。
この日は久しぶりに隣にギターを置いてラジオを聴いた。流れてくるであろう松山千春の曲に合わせて弾こうと思って。2024年3月24日放送の「松山千春ONTHERADIO」「恋愛ものは恋愛もので、そりゃぁ俺は得意ですよ。これから聴いていただくのが、俺が24歳の時、これは間違いない。俺が言うんだから。24歳の時、発売した恋愛の曲、松山千春『炎』」と言って「炎」をかけた。Capo1、譜面を見なくてもコードは自然と出てくる。流れてくる曲に合わせて久しぶりに「炎」を弾いた。
ピンク・レディーが11枚目のシングル「ジパング」を「夜ヒット」で初披露したのは、1979年3月5日。イントロの女性コーラスが印象的な軽やかで明るいサウンド。「この世のこの世の」「もしももしも」「ジパング、ジパング」など言葉の反復によるリズミカルで覚えやすい歌詞。そして、曲線的な動きを多用して柔らかい感じに仕上げた振り付け。当時、土居甫センセイは「これまでの中では一番シンプルじゃないですか」と語っている。さらに、この日の出演で特徴的だったのは、白を基調にしたオリエント風の2人のコスチュームだ。黄
愛犬ロッキーも見てるよ!フジテレビTWOの秀樹さん傑作選、6回目です九月の下旬ともなれば、すっかり秋の装いメドレーのトップ率がすごい高いジュリー、沢田研二さん→またまたご一緒で、高田みづえさん→あおい輝彦さんちょいと目が泳いでいるのは、真っ白になっちゃったから→初登場、児島洋子さん→おひさしぶり、荒川つとむさん→森昌子さん→赤いジャケットがワイルド、新沼謙治さん→八代亜紀さん
服部まこ(はっとりまこ)初登場第28回「ヨーロッパを駆け抜けた風雲児ナポレオン参上!」(1986/10/25)最新回第58回「華麗なるインド王朝物語・これがマハラジャだ!」(1987/05/23)ミステリーハンター出演回数4回当時フジテレビの「夜のヒットスタジオ」で世界各地から衛星中継するレポーターを務めていた傍ら、世界ふしぎ発見のミステリーハンターも担当していた。現在は「服部真湖」名義である。第42回「悲劇の女王・世紀の美女クレオパトラの真実」(
夜のヒットスタジオ1974年舟木一夫恩師山田先生との対面旅路舟木一夫1974年の「夜のヒットスタジオ」の対面コーナーでは、恩師の山田昌宏先生との対面をする舟木さんです。病気を押して出演してくださった山田先生とは、涙の再会となりました。*この番組内で、二つの間違いがありますので、先に訂正をしておきます。一つは、山田昌宏先生をテロップが山口昌弘先生となっています。もう一つは、三波伸介さんが、舟木さんの本名「成幸(しげゆき)」を「なりゆき」と読んでいます。当
1978年3月13日の「夜ヒット」、ピンク・レディーは7週間ぶりの出演。この夜、初めて7枚目のシングル「サウスポー」を披露した。レコード発売の12日前だが、この頃になると、ピンクの新曲というだけで、世間の関心、期待は並々ならぬものがあったようだ。スポニチは、発売日よりも2か月も早い1月23日に、次の新曲のタイトルが「サウスポー」であることを早くも報じている。記事には「レコーディングがほぼ終了している」とある。後年、関係者たちが明かした有名なエピソードだが、「サウスポー」は当初は全く違う曲で、
こんにちは✨😃先日、You-tubeを見てましたら、😳なんと、凄~く、昔の古い時代1975年11月24日月曜日の🌺夜のヒットスタジオ🌺その日、私が夜のヒットスタジオのスタジオにいる日を見つけてしまいました💝♥️✨も~懐かしくて、胸がキュー🤣と😭郷ひろみさんは、このヒットスタジオでは、🎵逢えるかもしれない🎶を歌っていました。若くて素敵です💝♥️✨💞💝♥️✨💞私は、友達と2人で観客の中にいますが、はっきり見えず見つけられません😭この当時、月に隔週で、夜ヒットに出演していた
私がリアタイで観てて唯一記憶に残ってる少年隊のマンスリーコレ夜ヒット大体毎週観てたはずだけど少年隊あまりハッキリと記憶になくてでもこのパフォーマンスだけは唯一覚えてるんですよ夜ヒットが終了してからの単発で放送されていたスペシャル版はバッチリ覚えてるんですけどね当時の感想・少年隊は生歌で激しい踊りでスゴイなー・客席のファンが写りすぎこの方々は今でもファンなのかなぁ…🤔パフォーマンス前は…楽屋突撃レポート🎤ニッキベラベラ喋るから変顔になってしまったよパフォーマン
いつも、アクセスありがとうございます✨聖子ちゃんと郷ひろみの恋愛が真剣だった頃の、昔の実話を先日書かせて頂きましたこの写真は私が撮りました🤗👇今日のお話しは聖子ちゃんがテレビで開きました郷ひろみとの破局会見(生まれ変わったら、一緒になろうね!😭)は、とても有名ですがその会見のちょっと前に目撃してしまいました実際のお話しをさせて頂きますあのあと、すぐに神田正輝と婚約してしまいました、聖子ちゃんですがあの、破局会見がテレビで放映される、ちょっと前に、二人が、喧嘩をしてる姿を
一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニット。メンバー小木茂光(おぎしげみつ、1961年11月28日-):リーダー哀川翔(あいかわしょう、1961年5月24日-)柳葉敏郎(やなぎばとしろう、1961年1月3日-)西村香景(にしむらかけい、1961年7月14日-2023年2月25日‐)春海四方(はるみしほう、1959年3月22日-)松村冬風(まつむらふゆかぜ、
にほんブログ村こんばんは。台風、かなり激しいけど大丈夫ですか?みんな気を付けて下さいね。今日は長渕剛さん主演の【家族ゲーム】1、2と主題歌を紹介したいです。【家族ゲーム】は、本間洋介さんの同名小説を原作として制作されたテレビドラマです。最初は松田優作さん、宮川一朗太さんでの映画【家族ゲーム】が最初だったかな。2時間ドラマ【家族ゲーム】では鹿賀丈史さん、岸本加代子さんでもやったみたいなんですがどちらも見てなくて(TT)長渕剛さんの今とは違うキャラクターのドラマ、好きでしたね(๑´︶
はじめまして!Tomohiroといいます👋いきなりですが、私、アイドル時代の石川秀美ちゃんを、今さら大好きになってしまいました💕この溢れ出す気持ちをどうしたら良いのかなと思い、ブログを書くことにしました🖊️なぜ今、秀美ちゃんのファンになったかと言うと、昨年、薬丸秀美さんのお誕生日🎂の記事を何気なく目にした時👀「あれ?この写真、誰かに似てる!?」って!私の会社の20代前半の女性で、ずーと前から「この子誰かに似てるよなあ」って思っている子がいて、誰だかぜんぜん思いつかなかっ
過日、所用のため東京・新宿を訪れた。用を足すには早く着きすぎたため、なにか暇をつぶす遣り口はないかと思案していると、昔、何かの記事で見た、ある碑のことを思い出した。携帯電話で調べてみると、その碑は新宿から都営地下鉄で二駅、所要時間にして5分ほどの比較的近い場所にあることが分かった。交通費は惜しいが、喫茶店に入ってコーヒーの一杯でも頼むよりも安いだろうと思い、都営新宿線の電車に乗った。揺られること5分。降り立った駅は曙橋駅。初めて降りる駅だ。A2出口から地上に出て、携帯電話の地図を頼り
今朝のテストブログは中森明菜〈37〉アメンバー限定ブログでしたからYouTubeの接続テストのためですスミマセン😹新通常ブログです天使のくちびるの衣装の下敷きです僕のブログの中で常にアクセス稼ぎ続けてる桜田淳子ちゃん常に誰か読んでくれるみたいですねアクセスは動き続けてるのです他のブログは新ブログがアップしたら沈んでしまうのに淳子ちゃんの過去ブログは常に浮上してくるのです(・o・)今回の曲はアルバムパーティーイズオーバーからマニキュアが渇くまでです🐱1979年
18thアルバム『yokubari』を締め括るにふさわしい雰囲気のあるバラードだ。作詞は宏美さんと同世代で仲良しだったという佐藤ありすさん、作編曲はお馴染みの奥慶一さんである。宏美さんは当時から「♪抱き合うよりより添いたい/縛るよりも結びたい」という歌詞が大好き、と話しておられた。私は「♪会うたびどこか好きなとこ/見つける旅をしているの」という部分も、歳を重ねるほど沁みてきた。大人のためのラブソングである。キーはBメジャー、構成はABC×2+BBC。リズムレスの
たいへんごぶさたでございますこのところ、ブログにたどり着くまでに体力が尽きてしまう日々が続いており、えらく長いこと更新をおさぼりしていました。久々のヒットスタジオで復帰します。メドレーのトップは小柳ルミ子さん。さすが、ルミルミはうまいのです~。→水上スキーも得意な秀樹さん→ニキビも少なくなった高田みづえさん→初登場の大塚博堂さん(パワフルな歌声)→空手とバレーボールで鍛えた振付、世良公則&ツイスト
夜のヒットスタジオ1974年オープニング高校三年生舟木一夫50年前の映像で、映像自体余り良くありませんが、貴重な夜のヒットスタジオの映像です。夜のヒットスタジオは、1968年にスタートしました。スタート時の司会は、前田武彦・芳村真理のお二人で、舟木さんの初登場は、1969年「青春の鐘」を歌われて出演します。この1974年には、司会が前田武彦さんから三波伸介さんに代わっています。この回の顔触れは、五木ひろし、野口五郎、山口百恵、桜田淳子、いしだあゆみ、小川知子と
フジテレビ系列で1968年11月3日から1990年10月3日まで放送された『夜のヒットスタジオ』は、それまでの歌手がただ出てきて歌う歌謡番組と異なり、さまざまな工夫を凝らした生放送による歌番組でした。バラエティーに近い作り方で、昭和の歌番組としてユニークな歴史を作ったといえます。私が見ていたのは、前田武彦と芳村真理が司会をしていた第1期。従来、歌番組の司会者は玉置宏にみられるように歌手をもちあげるタイプが多かったのですが、前田武彦は毒舌タイプ。歌手にあだ名をつけたり、人を食ったようなきつい冗談
昭和の名曲勢ぞろい「マスクばて」でゲンナリしているうちに一週間たってしまいましたフジテレビTWOの秀樹さん傑作選、4回目です三月ですから、真理さんも春のよそおい、あいかわらずオシャレでございますメドレーのトップはまたまたジュリー、沢田研二さんパリから帰ってきたばかり、シックな黒の衣装にキラキラのアクセサリーがきまってます→内藤やす子さん→秀樹さん→三木聖子さん(おお、なつかしい)→石川さゆりさん→
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’80年代に限らず、メジャーデビューした’78年から現在に至るまで、コンスタントにヒット曲を出し続けています。そのため、固定ファンに愛されるだけでなく、時代を追うごとに、新たなファンが“上乗せ”されていくから、これほど息の長い。まさに不世出のバンドですよね」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。サザ
尾崎豊太陽の破片夜のヒットスタジオ#尾崎豊#太陽の破片#夜のヒットスタジオ最初で最後のTV出演☆チャンネル登録はこちらhttps://youtube.com/@NEO-ISOTOPE.YUJI_ANDOhttps://youtube.com/@OZAKIYUTAKA2023PROJECThttps://www.instagram.com/oz...youtu.be1988年6月22日発売。オリコン週間3位。枚目の12インチシングルとなった。作詞・作曲は尾崎が行い、プロデュース
スタジオのフロアに並べられた夥しい数の電球が、滑走路の誘導灯のように点滅する。まだLEDのなかった時代、暖色を帯びた光が熱を感じさせる。その中で、スパンコールの衣装をきらめかせ「カメレオン・アーミー」をハードなアクションで歌い上げるピンク・レディーの2人。1979年2月5日の「夜のヒットスタジオ」、この年最初の出演である。「カメレオン・アーミー」は前年12月からオリコン週間チャートで6週連続1位。ピンク・レディーにとって最後の1位獲得曲となったが「S・O・S」から9曲連続、通算63週の1位獲得