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この日は久しぶりに隣にギターを置いてラジオを聴いた。流れてくるであろう松山千春の曲に合わせて弾こうと思って。2024年3月24日放送の「松山千春ONTHERADIO」「恋愛ものは恋愛もので、そりゃぁ俺は得意ですよ。これから聴いていただくのが、俺が24歳の時、これは間違いない。俺が言うんだから。24歳の時、発売した恋愛の曲、松山千春『炎』」と言って「炎」をかけた。Capo1、譜面を見なくてもコードは自然と出てくる。流れてくる曲に合わせて久しぶりに「炎」を弾いた。
1976年12月20日の「ペッパー警部」から81年3月30日の「OH!」まで、ピンク・レディーが「夜のヒットスタジオ」に出演した37回分の映像を見てきた。最初は感想と思い出などをさらっと書くつもりが、回を重ねるに従って、いろいろ調べたいことが出てきて、調べた以上は書き込みたくなり、特に後半はやたらと長くなってしまった。辛抱して読んでいただいた皆さん、ありがとうございます!「夜ヒット」に関しては、カメラが動き過ぎるとか、振付をちゃんと映していないとか、スモークを焚きすぎるとか、いろいろ不満も書い
ピンク・レディーが「夜ヒット」で2度目の「モンスター」を歌ったのは1978年8月28日。前回の出演からは、70日も経っている。この日はまずオープニングメドレーの最後に登場し、共演者たちをバックに「サウスポー」を歌った。衣装も、この曲用のベースボール風コスチュームの黒いバージョン。わざわざオープニング用に用意したのか、それとも前の仕事で着てそのまま移動してきたのかは定かではない。自分たちの歌のパートでは、水色のミニのワンピースに着替えて登場。前回はセパレートの衣装だったが、歌唱中にミーちゃんの
昭和の名曲勢ぞろい「マスクばて」でゲンナリしているうちに一週間たってしまいましたフジテレビTWOの秀樹さん傑作選、4回目です三月ですから、真理さんも春のよそおい、あいかわらずオシャレでございますメドレーのトップはまたまたジュリー、沢田研二さんパリから帰ってきたばかり、シックな黒の衣装にキラキラのアクセサリーがきまってます→内藤やす子さん→秀樹さん→三木聖子さん(おお、なつかしい)→石川さゆりさん→
今日はNSPの天野さんのお誕生日です。52歳でお星さまになった天野さんは、本当なら今日で70歳。ひゃ~でも、自分だって相当に歳を重ねているので仕方がないか天野さん、お誕生日おめでとうございます。今日はどんな曲を選ぼうかな~って考えて、たった今選んだのがこの曲です。『めぐり逢いはすべてを越えて』は、東北新幹線やまびこのイメージソングです。この時に東北新幹線が開通したと記憶しています。岩手出身のNSPにとっても、大切な曲だと思います。それから、この曲は関西ロ
フジテレビ系で長寿番組として22年間に渡って放送された「夜のヒットスタジオ」当初のMCは、前田武彦と芳村真理で、後に前田武彦から三波伸介にバトンタッチした。「コンピューター恋人選び」という単純な企画があったが、その結果から中村晃子、いしだあゆみ、小川知子と言った人達が鳴きだす事から「泣きの夜ヒット」などと呼ばれ、視聴率も上がった。ちなみに、実際見ていないが、舟木さんは佐良直美さんとマッチングしたという話だ。そうしたハプニングがある事から、当時は良く見ていたと思う。「ラッキーテレフ
こんにちは✨😃先日、You-tubeを見てましたら、😳なんと、凄~く、昔の古い時代1975年11月24日月曜日の🌺夜のヒットスタジオ🌺その日、私が夜のヒットスタジオのスタジオにいる日を見つけてしまいました💝♥️✨も~懐かしくて、胸がキュー🤣と😭郷ひろみさんは、このヒットスタジオでは、🎵逢えるかもしれない🎶を歌っていました。若くて素敵です💝♥️✨💞💝♥️✨💞私は、友達と2人で観客の中にいますが、はっきり見えず見つけられません😭この当時、月に隔週で、夜ヒットに出演していた
「ONLYYOU」1987年4月6日に東芝EMIのイーストワールドレーベルから5枚目のシングルとしてリリースされた。作詞は氷室京介、作曲・編曲は布袋寅泰、プロデュースは布袋および糟谷銑司が担当している。前作「B・BLUE」(1986年)よりおよそ7か月ぶりにリリースされたシングルであり、5枚目のアルバム『BEATEMOTION』(1986年)からのリカットとなった。氷室による妻に向けたラブソングであると言われている他、BOØWYサウンドの真骨頂であるとされ、解散までの全てのライブ
ピンク・レディーの最大のヒット曲、「UFO」。斬新な歌詞、サウンド、衣装、振付、そしてミーちゃんケイちゃんの卓越したパフォーマンスによって、歌謡曲の歴史の中でも異彩を放つ独特の世界観を作り上げ、日本中の老若男女を魅了した。あの頃テレビの前で一緒に歌い踊った昭和世代だけでなく、今なおCMやネット動画などを通して多くの人に親しまれる、世代を超えた名曲である。前回の記事で述べた通り、ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる2人の歌唱映像を
1970年代後半の2年ほどテレビで見ない日はなかったピンク・レディー。その最大のヒット曲「UFO」について、当時国内のテレビで放送され、現在DVDで観ることが出来る歌唱映像32件を、放送日順に鑑賞している。今回は、78年1月後半に放送された3件を取り上げる。78年1月26日放送「ザ・ベストテン」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)過去2回の記事はこちら↓『ピンク・レディー「UFO」全DVD歌唱映像をめでる(1)』ピンク・レディーの最大の
夜のヒットスタジオ#舟木一夫youtu.beいつも武蔵野舟木組ブログにお越しいただき有難うございます。ブログを開設したのは2006年の事です。すでに18年が経っています。途中、yahoo!ブログが閉鎖になり、アメブロに移りましたが、全てが移行できず、2011年からが保存されました。その間の5年間が存在しないのはとても残念なことです。長きに渡って応援してくださる方から、沢山の資料提供をして頂き、紙ベースでの資料は、ほぼ載せるが出来、一昨年からは、国立国会図書館から
こんにちは🎵私は自分より年下のアーティストのライブに行くことがほとんどです💦そうなったのは若い時は芸能人がいるところに行ったことがほとんどなく、テレビを観ていろいろ思ってるだけだったからなんです。自分が若い頃テレビで活躍してたアーティストさんは夜のヒットスタジオとかザベストテンなどで盛り上がってた頃のような活動をしていません。そのため今どきの子のことを応援するようになったのです。今、デビューだとか新曲だとか言ってるアーティストさんの応援が楽しくてね。
ケイちゃんが22歳になった1979年9月、ピンク・レディーの所属レコード会社、ビクターが打った販売戦略は極めて異例のものだった。日本を除く世界40カ国で、5月にワーナーから同時発売されていた「キッス・イン・ザ・ダーク」を、国内での14枚目のシングルとして9月5日にリリース。そして、そのわずか4日後(9月9日)に、15枚目のシングル「マンデー・モナリザ・クラブ」を発売したのである。「夜ヒット」では、9月10日(奇しくも月曜日)に後発の「マンデー・モナリザ・クラブ」が先に歌われた。この曲には、
私がリアタイで観てて唯一記憶に残ってる少年隊のマンスリーコレ夜ヒット大体毎週観てたはずだけど少年隊あまりハッキリと記憶になくてでもこのパフォーマンスだけは唯一覚えてるんですよ夜ヒットが終了してからの単発で放送されていたスペシャル版はバッチリ覚えてるんですけどね当時の感想・少年隊は生歌で激しい踊りでスゴイなー・客席のファンが写りすぎこの方々は今でもファンなのかなぁ…🤔パフォーマンス前は…楽屋突撃レポート🎤ニッキベラベラ喋るから変顔になってしまったよパフォーマン
本日は渚のオールスターズ「DAYINVACATION」(1989年リリース)です。この曲はカルビーのナツ★ナツキャンペーンのイメージ・ソングに起用されました。そもそも「渚のオールスターズ」というグループ名ですが、バンド「TUBE」の代表曲の一つである「SUMMERDREAM」(1987年リリース)の冒頭の歌詞の一節「渚のカセット好きな歌だけ詰め込んで」のフレーズから取ったものでした。このフレーズをTUBEのメンバーが気に入り、そこに作詞者の亜蘭知子さん、作曲者の織田哲郎さんを引き
『俺たちは歌う熱い想い思い込めて~』ジュビロの代表的なチャントの一つだと思う。徳島戦でも歌っていて、元の曲はどんな歌なんだろうと今更ながら思ったけど、タイトルはわからないので、『俺たちは歌う熱い想い込めて原曲』でググってみた。そうしたら、【HeavenIsAPlaceOnEarth】と出てきた。で、YouTubeで検索して出てきたやつ。BelindaCarlisle-HeavenIsAPlaceOnEarth(OfficialHDMus
1980年9月1日。ミーちゃんケイちゃんは赤坂プリンスホテルで記者会見を行い、翌81年3月末をもって、ピンク・レディーを解散することを発表した。2人とも「ピンク・レディーとしての活動は使命を果たし終えた」と考えたこと、そしてそれぞれの価値観が違ってきたので、次のステップに進むため、別々の道を歩むことにしたと、解散の理由を語った。会見の様子を伝える当時の記事によれば、2人とも「終始にこやかに笑顔を絶やさなかった」(スポーツニッポン)といい、「新しいものへの出発を発表する場のような雰囲気だった」(
にほんブログ村こんばんは。台風、かなり激しいけど大丈夫ですか?みんな気を付けて下さいね。今日は長渕剛さん主演の【家族ゲーム】1、2と主題歌を紹介したいです。【家族ゲーム】は、本間洋介さんの同名小説を原作として制作されたテレビドラマです。最初は松田優作さん、宮川一朗太さんでの映画【家族ゲーム】が最初だったかな。2時間ドラマ【家族ゲーム】では鹿賀丈史さん、岸本加代子さんでもやったみたいなんですがどちらも見てなくて(TT)長渕剛さんの今とは違うキャラクターのドラマ、好きでしたね(๑´︶
週刊朝日2015年2月10日発売号掲載追悼特集「私と忌野清志郎」「才能がないヤツは大学に行け!」と、叫んだ高校時代By三浦友和三浦友和◆俳優1952年生まれ。20歳のとき、宇津井健主演のドラマ『シークレット部隊』でデビュー。『赤いシリーズ』と呼ばれるドラマや主演映画が次々とヒット、2012年秋に紫綬褒章を受章。都立日野高校で「同級生だった」と言っても、清志ちゃんと同じクラスになったことは一度もなかった。ただ、中央線の立川駅から多摩動物公園方面へ行く「バスに乗る」という
お立ち寄りいただきありがとうございます。最近思い出しただいぶ昔の話です。1986年ころブライアンメイが本田美奈子さんに曲を書いていました。もうこてこてと言っていいほどのブライアン節!の曲↓なんか腹立たしい写真テレビにもよく出ていてそのデレデレした姿正直失望しましたこれこれ↓本田美奈子にプロポーズしたという噂まで出ていました(真偽のほどは誰にも分かりません)他の曲CRAZYNIGHTSとかが有名だけどむかっ腹立つので載せま
年が明けて1981年。解散まで2か月を切った2月9日、ピンク・レディーは「夜ヒット」に出演し、前回と同じく「リメンバー」を歌った。この日の新聞ラテ欄の番組表には、久しぶりに「ピンクレディー」の文字があった。緑と赤に染めた羽を縫い込んだコスチュームで歌う2人の背景には、ミラーボールといくつかの光源が配置され、「夜ヒット」お得意のクロスフィルターを使った光の演出が施された。今回もワンコーラス歌ったところで、後方の共演者たちが席から立ち上がって盛り立てる。間奏では、当時の生放送では珍しく、コマ送りの
今朝のテストブログは中森明菜〈37〉アメンバー限定ブログでしたからYouTubeの接続テストのためですスミマセン😹新通常ブログです天使のくちびるの衣装の下敷きです僕のブログの中で常にアクセス稼ぎ続けてる桜田淳子ちゃん常に誰か読んでくれるみたいですねアクセスは動き続けてるのです他のブログは新ブログがアップしたら沈んでしまうのに淳子ちゃんの過去ブログは常に浮上してくるのです(・o・)今回の曲はアルバムパーティーイズオーバーからマニキュアが渇くまでです🐱1979年
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
過日、所用のため東京・新宿を訪れた。用を足すには早く着きすぎたため、なにか暇をつぶす遣り口はないかと思案していると、昔、何かの記事で見た、ある碑のことを思い出した。携帯電話で調べてみると、その碑は新宿から都営地下鉄で二駅、所要時間にして5分ほどの比較的近い場所にあることが分かった。交通費は惜しいが、喫茶店に入ってコーヒーの一杯でも頼むよりも安いだろうと思い、都営新宿線の電車に乗った。揺られること5分。降り立った駅は曙橋駅。初めて降りる駅だ。A2出口から地上に出て、携帯電話の地図を頼り
ご訪問いただきありがとうございます。m(__)m今回は、夜ヒットメドレーです♪「よこはま・だそがれ」五木ひろしいいなぁ~、このてっぺいちゃんの顔戦闘モードに入りました!よこはまたそがれ♪もちろん、五木さんの歌マネで五木さんのこの表情😁ウケてるみたい😊「はいからさんが通る」南野陽子ゲッ!この曲はでも大丈夫です!この時はまだ付き合ってないのででも、観たくなーいよかった~フラッシュ金子がマイク奪ってくれた😌
1986年2月発売の14枚目のシングル"Desire-情熱-"のB目。1987年5月発売のアルバム"CD87"の1曲目。作詞:湯川れい子作曲:都志見隆編曲:椎名和夫↑↓の写真は私物なんですが、さすがに年代物なので色々汚れちまってますね…すいません😣💦⤵️私の心身と一緒だ…中に収録されてる楽曲はキラキラのままですよ😃https://youtu.be/OKW9HCkUueY中森明菜”LABOHEME”中森明菜”LABOHEME
ジャングルジムのような格子状のオブジェに施された無数の小さな電飾が、キラキラと輝く。まるで夜空の星雲の中で、2人が歌っているかのようだ。黒のレオタードの衣装に縫い込まれたきらびやかなスワロフスキーが、電飾に呼応するように瞬く。1979年11月12日の「夜ヒット」、ピンク・レディーは、西武球場での公開放送に続き、今回はスタジオで「キッス・イン・ザ・ダーク」を歌った。暗闇の歌にしては眩しすぎるほど、セットはゴージャスな雰囲気である。美術さん、照明さん、電飾さん、なかなかやるじゃないの!「夜ヒット」
一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニット。メンバー小木茂光(おぎしげみつ、1961年11月28日-):リーダー哀川翔(あいかわしょう、1961年5月24日-)柳葉敏郎(やなぎばとしろう、1961年1月3日-)西村香景(にしむらかけい、1961年7月14日-2023年2月25日‐)春海四方(はるみしほう、1959年3月22日-)松村冬風(まつむらふゆかぜ、
CHIEMAR(Chie&まーくん)ギターリストMAR(菅谷雅之)とヴォーカリストCHIE(菅谷千恵)の夫婦による音楽ユニットそれぞれの活動の傍ら生活の中から出てくる日常をテーマにした曲を作っているそれぞれのプロフィールを紹介させて頂きますMAR(マー)ジャズギターリスト杉本喜代志氏に師事した後幅広いジャンルのアーティストのサポートをするサリナジョーンズ、ナンシーウィルソン五木ひろし、ちあきなおみ、杉良太郎松方弘樹、ピーター、早見優、柏原芳恵石原軍