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今日は買い物も無いので🕤8時半過ぎに大谷の峠を越え🚵鼻高展望花の丘へ行って見ました甘楽文化会館方面から浅間公園方面へ下り甘楽文化会館線路は続くよどこまでも大谷を目指します🚵大谷コース登り口迄10km今回は🚵登れるだけで良いとゆっくり行きます途中のお地蔵さんと射撃場で写真を撮り頂上のお地蔵さんに到着此処から3kmの頂上を目指しますコース中間点のお地蔵さん大谷コース頂上のお地蔵さん此処で一息入れ鼻高へ向かいますアップダウンを繰り返し🚵鼻高展
400城址巡りの旅🏯346城目は鍋倉城ですよぉーみちのく桜巡り3日間の旅初日に鉄活→高松公園観桜を済ませ2日目は盛岡で友人と合流しますとレンタカー拝借し岩手右半分巡りへ洞窟&鉱山跡にヤラれまくり遠野で河童と再会果たしたところで本日最後の目的地・鍋倉城へ遠野市の高台にあるコチラ山城百選に選出されておりますが現世ではすっかり整備公園化城址遺構案内板も数あれど当時の面影はほぼ皆無想像力が試されるわ( ̄▽ ̄)天守を模した展望台もございましてとりま襲
以前は対応日があり御朱印をいただけていなかった神社です。参拝日2024/3/35/11巴江神社(2回目)はこうじんじゃ愛知県田原市田原町巴江10☎0531-22-2934神社名を私は読む事が出来ませんでした。(ノД`)・゜・。書置きこの時期は菜花の印を博物館受付にて押していただけます。由緒書きをいただけました。こちらは田原城址にある神社となります。鳥居と社号票鳥居からの境内拝殿扁額左側には稲荷があり富多満瑠稲荷社
夜の大手門からもう少し先へ歩いてみます白壁がどこまでも続くよ安積澹泊像通称覚兵衛水戸黄門の格さん、助さんの格さんの方ですねライトアップの水戸学の道午後4時までなんだわおぉ~水戸城道の途中の大シイ戦国時代からだとぉふっといわぁ光に照らされる大シイで
連休に大手門の中へ入れると聞き夜市へ行ってきましたライトアップされているの水戸城の御城印もございます夜の弘道館からの道夜市は賑やかです水戸の提灯もお出迎え友人が提灯屋さん勤めていました提灯職人でした水戸城大手門今日は中へ入れるのよ人力車も走っていますガイドしながらなので楽しそうですイケメン
竜ケ崎城に続いて竜ケ崎市の城址2か所目馴馬城址へ来ています城はロマンじゃ南北朝時代とありますね今は畑階段があるので行ってみますどうかな山の中に入りました竹林が美しい今の竹林は実にみずみずしいのよね先へと進むと立札がありました少し小高くなった場所ですなんとなくなんとなく・・・かな・・・
竜ケ崎市に来ています女化神社から城廻へ竜ケ崎古城の響きが良いですね今は学校高台にあります遺構があるようですが・・・奥へ行くと鹿島神社がありました仙台藩とな天文年間に土岐氏が建立したと書かれています竜ケ崎は伊達政宗の領地だったそうです雰囲気あるわぁ木々からも古を感じます奥まったところに
実は・・・先ほどの馴馬城址の隣が歴史民俗資料館になっていましてこちらです庭先には昔懐かしのこんなものがありましたレトロだぁこちらは近代的向かいはレトロな建物です乳母車おしゃれだなぁタバコ屋さんだ昭和初期の日本かうきゃぁ蒸気機関車もありました機関
守谷城址に来ています守谷城二の丸からの眺めです絶景かなはす田の緑が濃いわぁ延々と広がる緑ですこの時期は緑のじゅうたん良き眺めじゃやはり眺めは昔からなんだなさらに進みます暑いけど木陰は風もあり気持ち良いです橋が登場そろそろ本丸か現在地がわかる当時は周
守谷市で遊んでいます守谷市と言えば・・・そりゃあもう、見どころ満載と言うことで・・・電車見に来た守屋駅ですこちらはJR守谷駅おっとぉTXだぁそして隣には関東鉄道の守谷駅関鉄がんばれローカル線いいぞ!さて城址目指して行きましょう守谷森林公園その前に
七羽黒巡りラストは上羽黒神社です本殿が文化財になっています道路の脇にあるのよ割と交通量は多いです境内はそれほど広くはないですがきれいに整備されています茨城県指定文化財です天門の上羽黒神社下館の下羽黒神社に対して上羽黒神社と呼ばれています八代目藩主が息子の息災、延命、武運長久を祈願し建立
行方市に来ています木崎城址と香取神社を見に来ました香取神社だよぉおっとぉ木崎城跡じゃぞぉ甲斐の武田氏の一族とな城内の守護神香取神社すてきですねぇ遺構を見ることができます行ってみましょうこれなんだ・・・ほぅ境内は緑が映えてきれいです
守谷市です守谷城址から愛宕神社へ来ています住宅地の中ですがここだけは別世界だ鳥居をくぐると市指定文化財の案内板守谷の領主さん元和7年(1621年)江戸時代ですね参道の木陰が涼しい犬の散歩のおじさんもいました近所の人でしょうこちらも江戸時代のものあり立派な造りですね手前
境町に来ています次に来たのが長井戸香取神社長井戸城跡でもあります遺構を見ることができるのか・・・こちらも広い境内です創建は不詳のよう長井戸城跡に移築されているよう創建は不詳ですが宝永3年の記録も残っているそうです先へ進みますいつのものか・・・寛政文化天保文久
訪問日:2023年2月4日所在地:東京都青梅市成木7訪問人数:城友さん4名と私の計5名参考文献:『資料青梅市の中世城館跡』歴史不詳。何某かの家臣団の屋敷跡の可能性があり、その末裔が明治初年まで住んでいたとされる。屋敷は人里離れた山間部にあるため、その何某は山で生業を営んでいた人なのか、あるいは何らかの事情により、家臣団を引き連れて隠れ住まわなければならなかった人なのかは不明である。常盤屋敷の位置。黒山の麓、標高647m地点に位置しており、現在は林道が開通しておりますが、民
攻城日:2019年4月13日↑主郭Ⅱ郭間空堀↑寺台城は、千葉県成田市にある城址デス♪↑城址標柱↑城址は、JA成田のすぐ南側にあります。JA成田の駐車場は広いので、推奨はしませんが短時間であればご迷惑にならないとは思います。駐車場から南側へ登る道があり、3分程度で城址標柱と石碑があるⅣ郭に到達出来ます。。。"8-(*o・ω・)o↑城址標柱(裏)↑「寺台城は、千葉氏の族臣馬場氏代々の居城でした。天正十八年馬場伊勢守勝政の代に亡び、のちに海保甲斐守三吉が徳川家康よりこの城を賜りまし
西京区、京都随一の観光スポットである嵐山。そのシンボル的存在でもある渡月橋。風光明媚で観光客にも人気の場所。現在はコロナ禍、非常事態宣言発令下で橋を渡る人もかなり少ない状況ですが、コロナ前の春の桜、秋の紅葉シーズンには人数制限までされるほど、毎年混雑するスポット。そんな嵐山ですが、じつは地元民にもあまり知られていないスポットがあり、今回はそこを目指してやってきました。そもそも『嵐山』という地名。『山』と付くからにはそんな山が存在するのか?という単純発想から調べてみると、あったんです(笑)地名
攻城日:2019年4月13日↑主郭から↑押畑城は、千葉県成田市にある城址デス♪↑城址標柱↑この押畑城、とにかくデカいデス(`⊙д๏)どれくらいデカいかと言うと...↑これくらいww↑デカい台地が丸々城址です。現在は道路で分断されてしまっていますが、根木名川と小橋川に囲まれた台地が丸々城址というから驚きデス(°д°)/↑だいたいこんな感じ↑現在は宅地化などにより遺構はほとんど残っていないそうなので、時間の都合上、主郭のみ散策してきましたε”ε”ε”(ノ*•ω•)ノ
攻城日:2024年1月5日4月に入り、"新年度"が始まりました♪仕事の方はココ数年、毎年のように異動だったり担当業務変更があったのですが、久しぶりにステイwwプライベートでは次女が高校に進学し、毎朝のお弁当作りが"2コから3コ"になりました次女は、本命だった都立高校の受験日、高校の最寄り駅から迷子になって"大遅刻"、5教科中3教科しか試験を受けれないという"大チョンボ"をやらかし、長女に続いて私立高校へ進学というお財布に優しくない進路になりやがりましたww娘がふ
追手門は梅林門とも呼ばれています追手門をくぐり追手門の裏側から左に行き毘沙門曲輪から追手向櫓・多聞櫓を眺めてから戻り常盤曲輪に向かい城址会館に行きましたが休館日⁉️仕方なく再び毘沙門曲輪に向かい天守台の見える場所まで歩きます1559年に松永久秀が大和国に侵入すると当時の郡山城主・郡山辰巳は松永久秀に寝返り筒井順慶から離反します筒井城が松永久秀(松永弾正)軍に属した為郡山城は筒井順慶軍の拠点となり1570〜1571年まで松永久秀・久通親子の攻撃を受けていました。
攻城日:2019年4月13日↑城址標柱↑江弁須城は、千葉県成田市にある城址デス♪↑標柱(裏)↑「江弁須城は、戦国時代の城で、千葉氏の族臣馬場氏の代々の居城でした。ここは「珍重」という珍しい地名ですが、古老の話しでは、昔は「珍重城」と書いたということです。左手奥、150メートル程のところに妙見神社があります」とのことです。↑攻城路(城址東側)↑標柱の場所から南側に向かって未舗装の道が伸びています。城址側(写真右手)が若干高くなっています。↑妙見神社参道↑標柱から100m程で、西
2021年3月27日大和郡山市のお城まつりに繰り出しています。もう少しだけ散策したいと思います。こちらは、大和郡山市民会館(城址会館)です。建設当時は奈良公園内に建てられた県立図書館でしたが、昭和43(1968)年に郡山城跡に移築保存されました。現在は、市民集会や展示会などに利用されているようです。赤い金魚の飾り物が・・・・・金魚の街、大和郡山らしいですね。追手向櫓(おおてむかいやぐら)です。追手門を守るための櫓で、記録によると、1階は
福島旅行2日目は15年前ぐらいに一度来たことがある場所ですが、白虎隊自刃の地、飯盛山とさざえ堂再訪からスタートです。飯盛山に登るのは階段か、スロープコンベアの2択です。修学旅行生徒達は階段で登っていましたが、私達夫婦は当然250円を払って文明の利器です。(元ワンゲルサークル部員なのに情け無いです。)(白虎隊自刃の地)(さざえ堂の内部は螺旋状になっています。)次は猪苗代湖畔をドライブしながら、趣味の一つである城址巡りです。まずは猪苗代城址に向かいます。(猪苗代城の本丸に向かいます。)(
攻城日:2018年8月11日↑館跡北側の土塁と横堀↑谷津館は、群馬県桐生市にある居館跡デス♪↑"谷津館跡"案内板①↑館跡は、上毛電気鉄道上毛線新川駅の北西およそ800mにあり、現在は雑木林になっています。ちなみに、駅名にもなっている地名の"新川"を""にっかわ"と読むコトをたった今知ったのはナイショデスww"しんかわ"だと思ってマシタ(*ノ∀`*)テヘ↑"谷津館跡"案内板②↑館跡の南側300mには県道3号線が走っており、新川交差点の辺りには"←谷津館跡300m"の案内
名字の言築城500年の滝山城をしのんで2021年8月5日東京・八王子市の滝山城跡を訪ねた。「平和のフォートレス」創価大学から程近い。多摩川の浸食でできた急峻な崖と、谷が複雑に入り組んだ丘陵の地形を利用した天然の要塞だった▼滝山城は1521年、大石定重により築かれ、後に城主となった北条氏照が拡張した。堅い守りが特長で、69年、武田信玄の約2万の軍勢に攻撃されるも、わずか2000の兵で守り抜いたという▼この難攻不落の城の魅力を教えてくれた創大12期生がいる。滝山城址が名前の由来となった滝山寮の
お疲れ様です活かされてる皆さん伊那市の春日城址春日公園で憩いの場になってる桜の花が城址に植えてる昔の人は桜を好んだのだろうね綺麗な花ですね陽が眩しい満開満開の花はもう見えないですけどね春日公園から南アルプスが見える仙丈ヶ岳がどでかい中央アルプスも見えます雪を被った頂きを見るのもいい👀少しでも見えるんだよ〜ん桜と山春日公園は長く提灯の灯りが付いてました桜も上にと伸びるんですね仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳と鋸岳朝なので靄がかかって霞んでますけどねこの時期しか見られない