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本日は、前日に引き続き、月例の坐禅会に行ってきた。金曜日は、恵比寿の福昌寺、土曜日は、中野坂上の成願寺である。以下、成願寺の様子。山門だるま絵六道地蔵本堂開山堂百体観音堂大銀杏今回は、金曜日の福昌寺でなされた『正法眼蔵』(十二巻本)の「四禅比丘」の提唱が、私がかつて慣れ親しんだ上座部(テーラワーダ)の法話かと見紛うような提唱で、大変興味深かった。以下、その一部を掲載する。----------------------------------
法演和尚が言いました「さて、窓の格子を、牛が通ります。頭が、角が通り、前足、後ろ足まで通りましたが尻尾が通れなったんです。これはいったいどういうことなんでしょうか」無門さんはこんな言葉で締めていました。「行き過ぎれば溝に落ち戻って来れば壊してしまう。この尻尾ってやつは、まったく奇怪なものである。」・・尻尾を掴む、尻尾を出す。わたしは野ぎつねの尻尾が出ているままに毎日生きておりますが😂はてさてこの則の尻尾はどこにあるのでしょうか。て、今
ある日、徳山和尚は食事の時間を知らせる鐘がなっていないのに食器を持って食堂へ来ました。弟子で調理係だった雪峰さんが師匠に言います「おい徳山のじいさん、まだ合図も聞こえないのにどこへ行くのだい?』徳山和尚はそれを聞いて帰ってゆきました。そんなことがあったのだ、と雪峰さんは、修行仲間の巖頭さんに話しました。巖頭さんは、徳山和尚の弟子の中でもとても秀でた人でした。そんな巖頭さんも話を聞いて「徳山先生ともあろう方が最後の言葉を知らないのか・・」と