ブログ記事230件
おひさしぶりです。国立前期合格発表の頃になると、毎年あの時のことを思い出します。一浪目、模試の判定も良く息子の実力があれば十分に合格できるだろうと思って受けた大学。合格者の中に息子の受験番号が無かった時のあの絶望感…以前も書いたと思うのですが、私の平凡な人生の中には一度もそんな絶望を感じるような出来事はありませんでした。それは夫も同じことを言っていて、自分の人生の中で一度だけ絶望したことがあるとすれば、あの時だけだったと。絶望して涙が枯れるほど泣いて、それでも再び
息子二浪目のとき、私は息子に受験する大学について一つだけ条件を出しました。それは、模試でA判定を取り続けるということでした。一度でもB判定が出るようなら諦めるようにとも言いました。(一度だけ冠模試でB判定が出たようですが、私に結果を隠していました)模試の結果は絶対だと思っていたわけではありませんが、模試でA判定が出るような位置に居続けなければ、(現役時、一浪目の結果を考えて)息子の合格はかなり怪しくなるだろうと思っていました。なりふりかまわず私が上京までして始まった二
おひさしぶりです。かなり長い間更新できなくてすみません。このブログを読んでくださる方のために必ずこれだけは書かなくてはいけないと思ったのが「二浪した息子の就活がどうだったのか」ということでした。コロナ禍で各企業による採用がここ数年抑え気味だったと思うのですが、それが今年度は逆転して採用枠が増えたのか学生の売り手市場になったと聞きました。このような特殊な状況でしたのであまり参考にならないかもしれませんが私が感じたのは「二浪したことによって就職が不利になることは全く無か
生協さまへの愛を叫んだら、生協愛が止まらなくなりました笑我が家は長男くん大学の生協さまに多大なる恩恵をいただいてます住まいの記事はこちら『【大学入学前の準備】部屋探しは合格前予約か生協物件か』大学生の部屋探し合格前予約か生協物件か我が家のお兄ちゃん料理しない料理男子に目覚める素養0運動しない&好き嫌い→結果痩せBMIは、すでに重度な痩せライン気…ameblo.jpミールシステムの記事はこちら『【大学生協のミール】加入に値するシステムです』ミールは加入すべき?本日は、大学進学に際
ちょっとずつフォロワーさんも増えているので、何も更新しないのも申し訳なくて何か書こうと思うのですが、子どもは『二浪した息子』一人だけなので、いまは受験のことも疎くなってしまって。考えたら、子どもは一人だったので、二浪という、ありえないことをしてくれたけれども、子どもが二人いて一浪ずつした、とでも思えば、気が楽になるのかもしれませんまあ、子どもが二人もいれば一人くらい優しくて気が利く子で、母の日に何かプレゼントしてくれるようなそんな子だったかもしれませんが、現実は一人息子で、
息子の二浪が決定した日、私はある方にメールを出しました。本能的に、もうこの方に頼るしかないと思ったのです。息子の不合格さえしばらく受け入れられなかったくらいですから、もし二浪したら…と以前から考えていたわけではありません。ただ、受験ブログのトップブロガーさんである、その方の息子さんが通われていた塾に、数年前から興味を持っていました。正確に言うとずっと憧れていました。予備校さえないような田舎に住んでいたので、せめて関東近郊にでも住んでいたら、遠くても無理をしてでも新幹線に
先日、探しものをしていて、東京で暮らしていた頃の書類を見ていたのですが、その中からイケメン塾からの請求書が出てきました。それを見て、イケメン塾に振り込んだ毎月の塾費だけが、息子のために支払ったたくさんのお金の中で、唯一、いまでもこのお金を払って良かった、本当に息子のためになったと納得できる教育費だったと、そう思いました。反対に一番無駄だったと思うのが、浪人一年目に通わせた大手予備校です。いまでも、この一年さえなければ…こんな選択をしていなければここまで悲惨なこと
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
私のブログは2月から3月にかけてアクセス数が伸びます。書き残しておこうと思うことはほとんど書いてしまったので、いまはほとんど更新していないのですが、毎年そのアクセス数の伸びを見て数年前の自分を思い出し、胸が痛みます。有益なことは何も発信できませんが、浪人生のおこさまを持つ保護者の皆様の気持ちに寄り添うことはできると思います。うちは二浪もしてますから息子の浪人は私にとって人生最大の難関でした。自分自身の人生は平凡で、特に荒波に揉まれることもなく、特に恵まれてもいな
二次試験の日を迎えるまで、私は淡々と家事や仕事をこなし、その日まで無事に過ごせることだけを願っていました。たとえ模試でA判定を取っていても、センターで十分な点数を取っていても、ここで、息子はもちろんのこと、私が病気にでもなったら、すべての苦労は水の泡となってしまいます。休日も出かけないようにしたり、仕事の後も、いつもだったらちょっと寄り道をして帰ることもあるのに、スーパーでの買い物もさっさと済ませ、まっすぐに自宅に帰っていました。この頃は家にいる時以外は、いつもマスクをし
年末年始にかけて、私はとにかく精神的にきつかったという記憶しかないです。またセンター試験で失敗して信じられないような点数を取ってしまったらどうしようか…。私立大学に行くことになったらどうしようか…。毎日息子の受験のことを考えると吐き気がしていました。二浪すると、浪人中に成人式を迎えることになります。うちは男の子なので特に気にならなかったのですが、成人式の日、職場のテレビで成人式のニュースを見て、『ああ、今日は成人式だったんだ。』と、ちょっと寂しい気持ちになったことを覚えて
秋の冠模試で、息子はB判定だったことがありました。しかし、私がそれを知ったのはずっと後でした。息子は絶対に志望校を受けたくて、B判定だった模試の結果を隠していたのです。一回でもB判定だったら、違う大学を受けることになっていたからです。なぜB判定だったのか…息子にはその理由がわかっていました。前の晩によく眠れなくて睡眠不足のまま模試を受けたら、簡単に解ける問題も時間がかかってしまったり、凡ミスしてしまったりしたのだそうです。だからしっかり寝られたらこんなことにはならない。絶
この年の二次試験はとても大変でした。以前にも書いたように、志望校決定が11月という遅い時期だったので、ホテルがどこもいっぱいで予約が取れず、喫煙ルームになってしまったり、毎日タイプの違う部屋を予約するしかなくて、(1日目はシングルで2日目はツインでといった感じで)毎日部屋を変わったり、本当に落ち着けずに苦労しました。皆さん、ホテルの予約はとにかく早いほうがいいですよ。受験しないことになったら早めにキャンセルすればいいのですから。ホテルには前々日から宿泊して、そのホテル
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
二浪目のとき、私は息子にあることを約束させました。それは、次の受験でその大学を受けたいと思うのならば、模試でA判定を取り続けなさい!ということでした。B判定なんて、ちょっと体調が悪ければ、ちょっと苦手な問題が出れば簡単に落ちる。(←一浪目)C判定なんて他人の何倍も努力しなければ無理(←息子には無理)D判定やE判定なんて論外。受験料の無駄。A判定だって、運が悪ければ落ちるのです。特に万が一のために受ける私大だって、合格者数を絞っているせいか、どんどん厳しくなってい
息子が、センター試験の結果をイケメン先生に報告すると、イケメン先生は、『お母さん、安心したでしょう?』と、まず言ってくださったそうです…イケメン先生とは入塾の時に一度お会いしただけで、結局面談の申し込みもせず、すべてお任せしてしまったけれど、遠い地方から上京してきて、子どもを必死に支えている母の存在を、ずっと気にかけてくださっていたのだと、そのとき初めて知りました。なんて素晴らしい先生なのでしょう。ただ生徒に勉強を教えるだけではなく
男の子は多少苦労させたほうがなんとなくいいような気がして、指定校推薦や確実に入れる大学への現役進学より、一浪してもいいから一般入試で志望校へと、息子が高校生の頃、私はそのように考えていました。現役合格にはまったくこだわっていなかったのです。入学できればどこでもいいわけではない、本人が納得のいく大学へ進学させなければいけないとそれをいちばん強く思っていました。息子は中学時代も高校時代も、ずっと学校に行きたくないと言い続けていました。学校の勉強が楽しくないというのが理由です。
花子はこうして東工大に現役合格しました。高2にあがる春休みから緩やかに受験勉強をスタートし、高3にあがる春休みからギヤを上げてそのまま走り続けたところまでブログに綴りました。途中、何をやっていたか、模試の成績はどうだったか、など、記録や記憶を辿りながら書かせていただきました。無我夢中でサポートしてきましたが、やり方やペース配分は間違っていなかったのかなと、達成感を感じました。私自身2人目の奏のときには、花子の道のりをベンチマークとして利用していました。当ブログのアメ
2人がメインで通ったのは東進ハイスクールです。自宅から近く、受験勉強の大半の時間を東進の自習室で過ごしました。花子の時は手探りの大学受験でしたが、志望校も同じ奏は花子の道のりをベンチマークとして使いました。そのため、奏も初めから東進に入塾することは決めていましたが、開始時期については明確に決めていませんでした。そんな中、中3の奏あてに東進から「無料特別招待講習」の招待状が届きました。申し込み時期によって取れる講座数が変わり、すぐに申し込めば4講座無料、時期が遅れるご
花子と奏の得意科目、苦手科目は一緒で、中学受験時の偏差値や中学時代の成績も双子のように似ていました。どちらも理系特化型ですが、奏のほうが極端です。特に国語が笑ってしまうほど酷く、これでは得意の理系科目の試験問題文を理解できなくなるのでは、と真剣に心配していたほどです。分かり易いほどの理系特化型であったため、花子同様、高校入学時から東工大を第一志望と決めていたと思います。ただ、花子は生真面目な性格ですが、奏はお調子者で大雑把なところがあります。良い意味で大物感はあるが
昨日ブログを書いたのですが、書き終えてUPする寸前に操作ミスで全部消えてしまい、途方に暮れてしまいました二時間もかけて書いていたのに一瞬で消えてしまうなんて…。丸1日経ってやっともう一度書き直す気力が戻りました合格発表の次の日かその次の日、このあたりの記憶があやふやですみません。入学の書類が届きました。表に大学名が入った、しっかりとした大きな封筒で、ずっしりと重くて、この封筒を郵便配達の方から受け取ったとき、あらためて合格の喜びを感じました。嬉しくて、その大きな
充実していた奏の高2はこうして終わりました。ただし、充実していたのは部活や文化祭などの学校生活であって、本題の受験勉強の進捗としては想定通りとはいきませんでした。以前の記事にも記載したとおり、花子をペースメーカーにしていたものの、奏は花子のような追い込み型ではないので、先行逃げ切りを目論み、花子より1年前倒しで通塾を始め受験勉強開始しました。東進の授業で言えば、花子は高2までに終了した講座はC組英語とハイレベル化学Ⅰの2講座だけでしたが、奏はその2講座に加えB組英語と数学ぐんぐん
とうとう息子が森の家を出て行く日がきました。息子はここの環境がとても気に入っていて、大学に入ってからも、森の家が恋しいと言っていました。しばらくホームシックにかかっていたほどです。ホームシックって普通、生まれ育った家に対して思うものですよね?たった一年しか住んでいない、しかも二浪していて自分の人生の中では暗い一年だったはずなのに、ホームシックになるほどこの森の家が好きで、ここでの生活はとても平和だったと。なんだか不思議に思います。でも、考えてみると、ここでの生活はとに
順調だった花子ですが、高校になってから雲行きが怪しくなりました。中学受験時から苦手だった国語社会に綻びが出始めたのです。中学時代は定期テスト前の努力で何とかしていたのですが、如何ともしがたくなってきました。定期テスト前の勉強時間の大半は苦手な国語と社会につぎ込んでいたものの、ダントツに結果が悪く、「なんで理系なのに古文や社会をやる必要があるのか、早く文理を分けてほしい」と愚痴るようになってきました。こうなると他の科目にも影響を与え成績は下降の一途を辿りました。そんな
このブログは家族には内緒で書いています。もちろん息子も母がこんなブログを残していることはたぶん知らないと思いますし、そもそもSNSとかまったくやっていない息子なので、一生知らないままかもしれないですね。でももしいつか気がついたとしても、このブログを残したことを理解してほしいと思います。それはこのブログの最初のほうにブログを始めることになった理由を書いているのを読めばわかると思うけれども、複雑な理由で二浪した息子を立ち直らせ、新たな志望校に進学させることができたのは、『
奏は花子をベンチマークとしていましたが、花子のような追い込みタイプではないため、花子より一歩先に進むペースでのスケジュールを立案しました。花子は高2から受験勉強を始め、東進に通いだしましたが、奏は高1からといった具合です。花子は、高2で今井先生の「C組英語」と鎌田先生の「ハイレベル化学1」を、高3で「ハイレベル化学2~3」と苑田先生の「ハイレベル物理1~3」を受講しています。奏は、花子が高2で受講した今井先生の「C組英語」を高1で受講を終えていました。高2までは英数をメイ
花子の中学受験編、如何だったでしょうか?2つのチャレンジ校に合格し、舞い上がり、迷走する私。もうちょっと、ドッシリ構えられなかったのか、今でも恥ずかしい想い出です。そして、今日は、もう一つのテーマを書かねばなりません。憧れの第1志望校に入学した花子は、鶏口になったのか?花子の学校は、中学から塾に通っているような子は殆どおらず、習い事や部活中心の学校生活を送っておりました。定期テスト1週間前からテスト勉強を始めるものの、宿題以外の特別な家庭学習は一切せず、通塾も
息子は一浪時代の予備校と寮生活がきっかけで、睡眠障害になりました。受験生にとっては命取りと思えるほど怖い病気です。息子が二浪することになってしまった原因のひとつだと思います。タイトルには『治すために』と書きましたが、実際には受験のときにも治ってはいませんでした。受験に影響が出ないように、いろいろな努力をしたという程度です。まず、うつ状態と睡眠障害は密接な関係があると思ったので、うつ状態を治すために運動をさせ、体を動かすことによって、疲れて夜少しでも眠れるようにと考慮しま
息子は二浪してやっと、真剣に自分の進む道を考えたようです。そして、大学で何を研究したいということがはっきりして、そのためにどの大学に行きたい!という目標もできました。あの~~~遅すぎるんですけど~まあ、しかたがありません。そういう息子です。きっとそこまで辿り着くのに、たくさん時間が必要だったのでしょう。二浪してもやる気がなくて、何をしたいのか、どこに行きたいのかわからないよりましです。さっそく、息子が行きたいと言った大学の、センターで必要な点数や二次
まさか子ども2人とも大学進学で出て行くとは思ってなかった我が家(なんでだろ、、、なんで思わなかったんだろ)だってねーお留守番も嫌でママ働かないでって子が本気で出ていくと思ってなかったのです(途中までは合格するとも思ってなかったし)まぁ、もう出ていってしまったのだから何言っても仕方ないですね、はい。子ども達への仕送りは家賃光熱費全ての生活費で10万です(オットが知る分にはですが)ムスコは足りないとは言わないので私が通帳記帳して時々チェック。次回仕送りまで1週間あるのに残高が2000円に