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先週の土曜日の朝、【新洋画会東海支部展】で豊橋市美術博物館に向かう途中で実家の義弟から電話が入った。路肩に車を停めて何事かとドキドキを抑えながら聞いた。実家近くに住む叔父の訃報。お悔やみに戻ろうかと思ったが叔父の最期の様子を聞いてそのまま【新洋画会東海支部展】を優先した。日曜日も美術館の受付をし、搬出を済ませ、私の仕事は予定通り終えた。昨夜はその叔父のお通夜でした。叔母(父の妹)の元へ駆けつけ、肩よせ泣いて、そしてにっこり、顔を見合わせ強く握手した。「叔父さん、ステキなお終いだ
さようならと言ふを追ひ打ち閉す柩花の中にみ顔消え去る―初井しづ枝この度一月十二日夫熊倉貞武が79歳にて永眠いたしました。ここに謹んでお知らせ申し上げます。葬儀に関しましては、すでに遺族と友人のみの家族葬を執り行い、昨日二月二十五日はおかげさまでつつがなく四十九日法要を行うことができました。故人が生前に賜りましたご厚誼に厚く御礼申し上げます。***********************ところでわたくしが主人が急
先日、グループLINEに連絡があり、元職場の上司が他界したとのこと。元職場というのは、早期退職直前の職場ではなく、2005年4月〜2008年3月に出向していた職場です。この職場では、仲良くやっておりまして、グループLINEもありました。出向していた人がメインのグループLINEでしたが、現在、全員が出向元の職場を退職しています。1人だけが定年まで勤めたようです。それ以外の人は、肩叩きの退職、自己都合の退職でした。そして、定年まで勤めた1人が今回他界したんです。出向先では、上司だったん
お久しぶりですしばらく、ブログをお休みしていましたと、同時にSNSからも離れていて皆さまには、ご心配をおかけしていましたちゃんと、生きてます何とか、日々を過ごしていますブログをお休みしたのはあの日、祖父が亡くなったんです娘を亡くして、半年もせずに、祖父を…わたしは両親が離婚していてそこからは母と一時に暮らしていました亡くなったのは父方の祖父だったので離婚後はそこまで密な関係ではありませんでした何年かに1度、会うくらいましてやコロナ禍以降は祖父も認知症のため施設入所し
お通夜、告別式なんとか無事終了しました。葬儀場先に決めていたので本当に助かりました。やはり、亡くなってから葬儀場決めるのはキツイと実感しました。私は旦那1人で看取りしましたので、そんな時に葬儀場探すなんて事は出来ません。ここでもやっぱり金は出さずに口は出すモラハラジジイが仕切り出し波乱万丈のお通夜、お葬式でした。訳ありあたりめ200g珍味アタリメするめスルメポッキリおつまみグルメ食べ物つまみ美味しい酒のつまみ酒の肴低カロリー贈り物手土産[送
式が終わり、母の身体は火葬されました。よく抗がん剤のせいで骨が残らなかったなど聞きますが母の骨は綺麗に残っていました。ただ腹部、ちょうどガンに冒されていたところにグレープフルーツ大の黒い炭のかたまりのような物がありました。親戚からあれはガンではないかと囁きがあがり、まさか最後の最後までそんな嫌がらせのようなことはないだろうと思いましたが、気になってネットで調べてみました。それによると「癌細胞は高分子化しているため火葬後黒く残る」と書いてありました。ただ、今調
2023年7月18日(火)今日のこと今日も外は暑くていいお天気でした。3連休が終わり、家は静まり返っていた。朝はゆっくり起き、息子にお線香を上げて、花の水を変える。供えていた夕飯のお肉が乾いている。チョコパンの消費期限も切れている。減らないお供え物を見て、悲しくなるけれど仕方がないね。スーパーにも行きたいけど、何を作ればいいのか何を買えばいいのか分からない。1人で外に出る勇気がまだ出ない。いつも息子のリクエストでご飯を作っていた。パート帰りにLINEをして、「スー
告別式告別式の日のこと。お通夜の後は、夫と2人でそのまま親族の控え室に泊まりました。最後の夜、息子の側で過ごせました。翌日の告別式にも親族だけではなく、先生やお友達、お世話になった方々が見送りに来てくださいました。平日の昼間でみなさんお仕事や学校もあったと思います。足をお運びいただいて、嬉しかったです。棺の中にはたくさんのお花と手紙、好きな物を入れました。ジュースを入れてあげたかったけど、ダメだったので、みんなで口をジュースで湿らせてあげました。それぞれお別れを言って、最後は私
さて、前回、弟のお葬式を「音楽葬」でまでは書きましたが、その続きです。結局、お通夜と告別式の2日に分けて、やることになりまず、湯灌(ゆかん)でも曲を流せるということで弟が入浴中も音楽を聞いていたというスピーカーに入っていたエンヤのOnlyTimesを髪を洗ってもらっている時に流し、あとはオルゴール系の曲を選択して、私がSpotifyでスマホから音を出して、かけました。最初は、葬儀屋の人に伝えたらやってくれるのかと思っていたら、CDならスタッフができますが、配信の場合は
少し眠って朝が来る。今日は昼から告別式。告別式では私と義母は着物なので会場の着付けの人に着せてもらう。40歳で自分のダンナのために和装の喪服を着ることになるなんて。「未亡人」っぽいなぁと鏡を見て思っていた。告別式会場の確認に行く。昨日のお通夜会場よりさらに広い部屋。供花が昨日より更に増えていて祭壇の周りに飾られていた。親戚、シンゴの会社、私や義父の会社、シンゴの友達、私の友達。みんな本当にありがとう。立派な祭壇。たくさんのお花。
さてさて、今日のおばあちゃんのビューイングとお葬式の流れとは・・・午後12:30からビューイングが行われた。これは、故人と最後に会いたい人たちが、綺麗にメイクアップされてキャスケット(casket=お棺)に入れられた故人に会いに来る。日本のように通夜などは無くて、このビューイングは大体告別式の直前に行われる。時々事故などで遺体が痛んでいる場合は、クローズドキャスケットと言って、お棺を閉めたままの場合もあるけれど、通常はお棺が開いていて、最後の姿を見ることができる。斎場の入
やっと太郎🧒が到着し、一目散にに会いに行き、しばらく号泣していました到着してすぐにに挨拶しなかったからのご機嫌が悪くなりました。🧒が喪主としての打ち合わせに行こうとしたら、に呼び出されてました。「どうしたの?」🧒「【今からかし子ちゃん😈の旦那さんが来るから駐車場まで迎えに行け!】て言われたわ。」「え〜、無理よ、今から決める事いっぱいあるのに。」やっと到着した助っ人にしょうもないこと指示するクソ何もしないけど口👄は出す。【ふるさと納税】<先行予約受付中!2023年11月29日
先週末、無事にお通夜・告別式を終えました。息子の大好きなマイクラの絵を焼き付けて作ったお供え用のクッキーを斎場に持ってきてくれた優しい甥っ子。裏にはメッセージまで書いてありました。私の予想を遥かに超えるたくさんの方々が息子に会いに来てくれ涙涙の中にも笑顔のある2日間でした。同じクラスのお友達吹奏楽部のメンバー赤ちゃんの頃からのお友達他県で寮生活をしているお友達小学校は同じで違う中学校に通うお友達病院で一緒に闘った仲間たちやご家族いつも見守ってくれていた明るいママ友たち
交通事故で亡くなった夫は別の病院で司法解剖されることになり、遺体が戻ってくるのは翌日夜との事だった。亡くなったのは日曜日の未明。遺体が自宅に戻るのが月曜日夜。木曜日は友引。友引にお葬式は出来ないので火曜日お通夜→水曜日告別式または木曜日お通夜→金曜日告別式の選択肢。こんなコロナ渦で、人が密集しないよう通夜、葬儀は家族葬で、ということになり、別日で一般弔問を行うことに。結果、水曜日一般弔問木曜日親族のみで通夜金曜日親族のみで告別式という流れになった。なので、ゆっ
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me演歌歌手の北島三郎(81)の次男で作曲家の大野誠(おおの・まこと)さんが東京都調布市の自宅で、3日に遺体で発見されていたことが7日、分かった。病死とみられる。51歳。東京都出身。通夜は7日、都内で営まれた。8日に近親者で葬儀・告別式を行う。喪主は北島三郎こと父、大野穣(おおの・みのる)氏。北島はこの日夜、都内で会見し「我が子が先立ってしまった」と声を詰まらせた。
日にちは過ぎてしまいましたが、先日、義父のお通夜、告別式がありました。義父は義母とともに、私達とは離れて暮らしていました。去年の年末から、がんの手術を経てからというもの、体調が思わしくなく、最期は病院で亡くなりました。GWに突入した日に突然の訃報。バタバタと旦那の実家に出向き、兄夫婦とともに葬儀の準備に追われました。施設にいる義母に、義父がなくなったことを告げた時の様子。私までもらい泣き。仲の良い両親で、愛情深い義父でした。あまり付き合いのない親戚の方々とも、会うことが出来て、お葬式
2023/5/21今日旦那さんの告別式が無事に終わりましたお通夜と告別式で思ったより会社関係の人が来てくれて泣いてる人がめちゃめちゃ多くてほんとに旦那さんは愛されてたんだなーとしみじみわたしの友だちも駆けつけてくれてこの年になるとほんとに持つべきものは甘えられる友だちもし友だちが困ってるときは今度はわたしが力になるからねねえ、パパママはがんばったよね?えらかったねっていっぱい褒めてよーいっぱい泣いちゃったけど今日はいいよねてかきっと明日も明後日も泣くけど
昨日、3ヶ月検診だったんだけど癌研で予約とれなかったので近所のクリニックで撮ってきました。もともと前回(6月)の受診日に2回分(9月と12月)の予約をとったんですが、6月↓『CT結果報告』今日は仕事の前に癌研へ。先週のCTの結果を聞きに行ってきました。診察室へ入って3ヶ月ぶりの主治医と再会😳結果は、クリアでしたー😂😂😂実はほん…ameblo.jp「癌研は今年は一杯で空きがないので提携先のクリニックに行ってください」なんてことを言われCTの枠がない?んな訳ないでしょ
こんにちは。明日は、長男の誕生日です。23歳になります。大学を辞めて、関東から地元に戻ってきて、2年経ち今はバイトをしています。のんびり、先の事は考えず、たぶんお金のない生活を続けています長男と次男は、小学生低学年までは仲良くて、二人でよく遊んでいました。長男が高学年になり、友達と遊ぶようになってからは、次男と遊ぶことはなくなりました。中学に入ってからはほとんど会話なくたまに会話したと思ったらケンカしてたような気がします。私は、長男にはいろいろ厳しかったです。その反動かどうか
幼なじみKooのブログより④Kooといっちゃん。保育園の遠足でいっちゃんが旅立ったあの日後にいつメンやそのmama達から「いっちゃん、ウチにも来てくれたと思う」って話をいくつか聞きました「いっちゃんが行ってまう·····待ってーや····」とベッド?から起き上がって手を伸ばしてたとかいっちゃん家から帰って自室に閉じこもったいつメンそのまま寝たのかと思ってたら夜中に急に起きて玄関に向かって歩き出したらしくmamaさんが「どこ行くねん!」と止めたら∑(ºωº`*)
お通夜は予想以上にたくさんの方が来てくださり、本当にびっくりしました。次男の病気を知ってた方も、知らなかった方も私達にどう声をかけていいかわからなかったと思います。私達家族は入口に並んで、参列者に挨拶するのですが、顔があったら一人一人に自分から寄っていって声をかけていきました。泣いておられる方もいましたので、こちらから、「大丈夫?貰い泣きしますやん」と言って明るく振る舞うようにしました。こちらから話かけないと、涙がでそうだったので、必死に明るい父親役を演じていました。ふと、横を見たら嫁
いつもありがとうございます。これから何回かに分けて、妻が亡くなった5/10未明からのメモを記載したいと思います。箇条書きです〜5/10(当日)・0:50病院から連絡あり。急いでタクシーで向かい1:30到着。残念ながら間に合わず…・看護師さんのお話だと連絡後数分で天国へ向かったとの事・私の到着を待ち、私立ち会いの元、1:41死亡確認・大号泣。涙止まらずとても安らかな顔をしている。痛みと苦しさから完全に解放されたんだね…・泣き止まぬ中、病院側からすぐに葬儀社の手配を依頼
確認後早々とCVカテーテル抜いてもらいました。ちーちゃんから嫌な物早々と取って欲しかったから一度私達はデイルームに行く。処置後先生達から最後の話。死亡診断書見ながら大学病院の為に検案をどうしても言わなければならない。即答で拒否しました。私達の意思もわかってくれていたから主治医からすぐ忘れてくださいと。ちーちゃんは忘れられない患者さんと言ってもらいました。約4年間ありがとうございました。と伝えました。エンジェルケアや片付け等いろいろ終わり、ちーちゃん家に連れて帰って来ました。ちーちゃん小さ
告別式の前に火葬場に同行する車🚙の台数確認しました。「私は火葬場行きません。親は子供の火葬場には行ってはいけないんです。ここで待っています。」という事はもお留守番なので、葬儀場の方に連絡しておきました。今だけ送料無料奥野晴明堂「和花」6種アソート桐箱ご注文者様へ同じ香りをプレゼント贈答お線香進物線香新盆見舞喪中見舞御供御霊前お盆お彼岸ギフトお悔み法要帰省土産喪中はがき供養贈答用お線香お悔やみセット楽天市場楽天市場で詳細を見るAmaz
通夜と告別式、無事に終わりました。ただ、母がお骨になってしまっても、まだ私は母がいなくなってしまった事が実感出来ないのです。家に帰って来て、いつも母に無事に着いた報告の電話をしていました。母の葬儀から帰って来たのに私はまた電話をしようとして、愕然としてしまいました。未だ心のどこかで信じていない様で、さっきまでの出来事は現実では無い、夢だよねと思いたい自分がいます。まだ、私は泣けません。どうしても、信じられない。母がこの世の、もうどこにもいないなんて。遺影写真は、母が自分で選んで作って
夜が明けてしまった。告別式の朝を迎えてしまった。11時半から始まる告別式。式が始まるだいぶ前,バイク仲間お二人が、娘に会いに来てくれた。娘が持っていたスズキの旗と同じものを、棺の中に入れてくれた。それから続々とバイク仲間が、告別式が始まる前に、一目娘に会いたい。最期のお別れを言いたい。最後にお礼を伝えたい。そう言って親族控室に会いに来てくれた。御礼を伝えたいのはこちらの方だ。もちろん本人が一番伝えた
残念なお知らせとなります。一桁台の卒業生には特に縁があると思いますが、東野高等学校開校時より勤務をされ、音楽教諭であり、当時の文化祭「東野村祭り」の実行委員会担当をされていた、望月雅枝先生が一昨日お亡くなりになりました。御年72才でした。まだまだ空に昇られるには早いご年齢ですし、来年の大同窓会でお会いしたいと望んでいた卒業生も多いと思います。とても残念でなりませんが、この場をお借りし、謹んでお悔やみを申し上げます。雅枝先生のご主人であり、元東野高等学校の数学教諭であった望月秀和先生よ
2024/03/05(火)病院で家族みんなが看取りに間に合い母の死亡が確認されたのが18:29看護師による死体(もう患者ではない)の拭き取りなどをしてもらっている間私たちは隣の部屋で1時間半ほど待ちました。母は点滴をしていたので体から水分が結構出てきました。それを手際よく処置してくれているようでした。その間、私と二女(私、三姉妹の長女なんです)は葬儀屋へ電話。各々の職場へも休みをいただく連絡。少し前に父が葬儀屋に連絡をしていたこともあり20:30には母を引き取
コロナ過で会食はなくなった。以前は、通夜と告別式は、参列した親戚はもちろん一般の方にも方全員に会食してもらっていたはず。一切なくなった。告別式は火葬して骨上げをしてからの骨葬式となった。亡くなってから一週間後のお式も、全てお寺様の都合だった。だから一週間父はずっと家にいた。関西では、現在会食は普通にしている。通夜は、遺族のみか親戚でお寿司やオードブルの会食。または助六を渡しお帰り頂く。告別式は、遺族と親戚のみ、又は無し、または火葬場からレストランに行く。だから食事の個数は
夫たっての願いによりシンプルそしてミニマムでしたがとてもよい式でした。亡くなってからの3日間は自宅で過ごすことができたので通夜として十分な時間もありました。今日のこと。黙祷と焼香後は夫を囲んで語らいの場になりました。BGMは好きなジブリシリーズのオルゴールバージョンです。皆で夫に触れ涙をながしながら、時には笑いもありあたたかい時間をすごすことができました。出棺のときの兄、弟、甥二人と仲人さん(大学時代の部活の先輩)達に運んでもらう様子をみていたら妻はもちろん上も感謝と嬉しい気持ちで胸が