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週の真ん中水曜日FMやつしろの日さらにはお世話になった方の告別式義母の準備を手伝って悲しいさ驚きと共に一緒に参列お供をしますので・・・急いで支度する高野歯科のスタッフごはん明太子パスタ大きな遠藤さんのお皿にササミボイルコールスローサラダブロッコリーのグリル豆苗紫玉ねぎのスライスで・・・半分のスペースに明太子パスタをのせてね
お通夜、告別式と無事終えることができた。告別式は晴天で桜の花びらが風で舞って、穏やかな春の日だった。お母さん、さすが晴れ女だな。喪主として、といっても告別式には、私の家族とお母さんの妹家族と父方の親戚のおばさん、そしてダンナさんのお姉さん3人姉妹だけだったので緊張することもなかった。お通夜はお母さんの妹家族と、お母さんの友達数名と私の友達が来てくれて、終わったあとはお母さんの話をしながら和やかな時間を過ごせた。ほんとにお母さんの友達にも、私の友達にも感謝。おばさん(お母さんの妹)はいい人
台湾在住16年目、台北パン教室ホメパン主催、腸活アドバイザーの筒井恵美子です。いつも読んでいただきありがとうございます!先月末、夫の祖母が100歳で天命を全うされたので、台湾の仏教系のお葬式に参加させて頂きました。私は学生時代に日本のお葬式スタッフのアルバイトをしていたので、少しは分かっているつもりでしたが、やっぱり台湾では何もかも違う…まずはお葬式関連の日程ですが、台湾ではご遺体を霊安室に数週間安置しておきます。台湾では海外に住んでいる親戚友人などもみんなが余裕を持って告別式に参
翌日、告別式。夫の大好きだったものと、手紙を入れて、夫が大好きだった、夜勤の会社の制服を上からかけてあげました。最期のお別れの時…お花を棺に沢山入れてもらって、その時に、担当のTさんが、「最後は、喪主様がお顔を撫でて、話しかけてあげてください」と言ってくださいました。ありがとうとごめんねと、私を親にしてくれてありがとうと言いました。泣くなよと言われていましたが、この時は、泣いてしまいました。荼毘に付される為、霊柩車が到着。弔問客に見送られながら、私は霊柩車の助手席に、私以外の親族はマ
こんにちは。明日は、長男の誕生日です。23歳になります。大学を辞めて、関東から地元に戻ってきて、2年経ち今はバイトをしています。のんびり、先の事は考えず、たぶんお金のない生活を続けています長男と次男は、小学生低学年までは仲良くて、二人でよく遊んでいました。長男が高学年になり、友達と遊ぶようになってからは、次男と遊ぶことはなくなりました。中学に入ってからはほとんど会話なくたまに会話したと思ったらケンカしてたような気がします。私は、長男にはいろいろ厳しかったです。その反動かどうか
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
こんにちは。お通夜が終わり、次男と最後の一晩を一緒に過ごしました。翌日は10時から告別式でした。午前9時に会場入口で挨拶高校のサッカー部中学の野球部地元の友達は2日連続で来てくれました。「今日は泣きません次男を笑顔で送ってやりますよ!」と言ってくれたので、私が「そしたら霊柩車に乗って出棺する時、何か声かけてな」って言うと「いいんですか」って聞いてきたので、「全然いいよ明るく出発したいしな」そういうと笑って「わかりました」と答えてくれました。告別式も終わり、いよいよ
お通夜は予想以上にたくさんの方が来てくださり、本当にびっくりしました。次男の病気を知ってた方も、知らなかった方も私達にどう声をかけていいかわからなかったと思います。私達家族は入口に並んで、参列者に挨拶するのですが、顔があったら一人一人に自分から寄っていって声をかけていきました。泣いておられる方もいましたので、こちらから、「大丈夫?貰い泣きしますやん」と言って明るく振る舞うようにしました。こちらから話かけないと、涙がでそうだったので、必死に明るい父親役を演じていました。ふと、横を見たら嫁
おはようございます。数日前に一年ぶりくらいになるでしょうか旦那が生前お世話になった方から電話をいただきました。私…思わず「嘘でしょう⁈」そう叫んでしまったくらい突然の訃報でした。そう旦那が愛してやまなかった皆川仁先生が亡くなったと…皆川先生と旦那が出会ったのは確か10年くらい前だと思います。「後輩なんだけど凄い奴なんだ!」そう言ってその時から毎週のように皆川先生のセミナーに参加するようになりました。それはまるでストーカーのように来る日も来る日も皆川先生を追
先月の”西宮原爆被害者の会会長武居勝敏氏を偲んで”の回はリスナーの皆さまから熱いお声をいただきました。ありがとうございました。まだまだ語りつくせない武ちゃんのことお聞きくださいね。今回の武ちゃんとの不意なお別れやお坊様も焼香も無い初めて尽くしの告別式は私の死生観をおおきく変えました。そして武ちゃんの存在感は日を経てますます膨らんでいく。。ある日武ちゃんを”畑の師匠”と呼ぶ方たちが中学生300人への平和授業の見学に入
3日の往路は、高速道路を使いました。出来るだけ早く、東京の実家に到着したかったですからね。にほんブログ村ブログ村のランキングに参加しています。上のバナーをクリックすると、現在のランキングを見られたりします。一日一回バナーをクリックして頂けると、ブログを続ける気力が生まれます。(^-^)この日は、2時間半ぐらいで到着出来ましたよ。午後は色々とあるので、直ぐに食事を済ませました。そして、13:30に葬儀社の車が来ました。お義父さんとお義母さんを葬儀場に運ぶためです。葬儀社の車
月曜日の午前中はお世話になった方の告別式に参列させていただきました。バイト先Dの社長。私が26の時に面接してくれた方。そしてその当時は店長ですぐ後にオーナーになられて・・9年前に私が復帰した時には社長になられてました。兄弟で経営されていて社長は弟さん。お兄さんが最初オーナーで後に会長という役職になられました。その会長も2016年の11月に亡くなられました。ちょうど私たちの夜勤中に救急車がきました。その後も救急車がくると嫌な予感がするようになりました。『お通夜。』昨日はお世話
息子は先に葬祭場に着き、控え室に入りました。家族と妹夫婦で、息子に会わせてもらえるのを待つ間に主人から初めて息子がどこでどうやって亡くなったのか聞きました。残されていた携帯の内容は初期化されていましたが誰が見てもわかるように、メモだけが貼り付けてありました。遺書でした。1つは、警察の方が見て事件性がないことがわかるように。もう1つは、家族にあてたメッセージでした。最後まで息子らしい周りを気遣う内容。息子の優しさに涙が止まらなかった。その道を選ぶしかなかったんだね。お母さん
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
2023年11月8日午後11時2才8ヶ月の小さな命が亡くなりました5日の夕方、熱を出し6日に病院で診てもらい7日の夕方、痙攣が始まり、救急車で運ばれ、そのまま入院8日の夜、11時に死亡急性脳症になり、多蔵不全で可愛い孫の命を奪った10日、通夜11日、告別式入院してから、告別式までは涙が枯れるまで泣いた長い長い5日間だった1週間に一度は、夜ご飯を食べに来てくれて食事の準備をしていると、ニコニコしながら、私の側に来てくれた可愛い子ご飯も、いつも、いっぱい食べてくれた子
14日通夜式15日告別式快晴の桜舞い散る中何事もなくおわりました今日はもう初七日何とか葬儀の片付けは終わりましたがばーさんの持ち物整理庭や畑のことなど手もつけてませんただ👧孫の為に植えたであろうイチゴ苗これだけは枯らすことが出来ないと思いばーさんの育てていた花と水やりは欠かしてません目立つ草だけひいたり次々とすることが。毎朝のご飯お茶のお供えと大好きだったコーヒーを日中に供えるばーさんのしていたこと全てのしかかってきたので休む間なく動いてますまだお悔やみに
昨年の4/12は、宮古島で娘の結婚式💒今年の4/12は・・・予期せぬ、姑の告別式となったインドネシア赴任前、同居してたけれど、私達がインドネシアへ行き、舅姑2人で留守番し生活してくれていた。舅は、病気もあり、少し人の手が必要な状態で・・・姑が、世話と家の事、全てやってくれていた。私達の一時帰国も喜んでくれて、美味しい料理作ってくれた。そんな姑が、舅より先になるなんて、誰しも想像すら出来なかった。舅は、元気な頃からも、家の事・自分の事を全て姑まかせの人。ひとりでなんて、
ブログをご覧頂いている皆様いつもありがとうございます。このブログは、私と同じ葬儀司会者や葬儀で司会をなさる皆様に向けて、少しでもお仕事の助けになればと思い、葬儀司会の台本や雛形・葬儀ナレーションの原稿や例文等をご紹介させて頂いております。よろしければご参考になさってみてください。今回は「葬儀司会で使える基本ナレーションという事で、告別式や葬儀の開式前に使えるアナウンス例をご紹介します。------------------------------------間もなく開式でございま
この日は関東の妹家族全員と私=9名様で告別式へ妹の義母(100歳)が亡くなり西尾方面へ電車で行ってました。告別式って家族の方々、色々な流れで忙しいですよね。コロナで火葬場も人数制限お葬式終わってから皆で食事葬儀場の方に聞いたらコチラのお店を教えてくれました。「たま川・・漬物バイキングがあるお店なんですよ」『あれ~以前、行った事ある・・』過去ブログですが・・見なくて良いんです↓この中に登場する方々が旅立ちました『★漬物食
告別式から出棺、火葬からお骨上げ、初七日法要から精進落とし。私と息子2人、精一杯勤め上げたと思う。まだまだ経験値の少ない私たちだが、皆さんに支えられて、何とか最低限の務めは果たせたと思う。息子たちが、がんばって母を支えていきますと、親戚の前で宣言してくれた。連日ふらふらヨロヨロして、危なっかしい私が心配で仕方ないんだろうなと思う。ご住職様から、ずっと寝れてないでしょ❓やらなきゃならない事の前に、まずは体を休めて、明日1日しっかり休みなさいと言われた。明日からまた
95才の祖母が亡くなり、家族のみ、一日葬にて葬儀が終わった。母方の祖母だが、母の弟夫婦が同居していたため弟(以下、伯父と記載)が喪主となったが、実際、あれこれ決めたのは伯父の妻(以下、毒伯母と記載)と、その長女が取り仕切った。まず、葬儀が始まる前に、伯父にこちらがわの参列者全員の香典を、母からまとめて渡したが、アル中の伯父は無言で頭を下げて終わり。隣で目を光らせている伯母が光の速さで取り上げ、無言で自分のカバンにしまった。挨拶の1つも出来ない恥さらし。そして本堂にて
呑みすぎて病院に運ばれたのではなく、細菌による食中毒によるものだったと、自分自身で私にLINEしてきた事を忘れているらしい・・・友人と食事に出かけた娘。食後体調不良で病院送り。しかし、保険証を持っていなかった為、実費精算となった。私に連絡があった時に、保険証は常に持参しておくように!と、お小言を言いました。娘婿と私のLINEのやり取り。しかし、この診断も謝りで、後日、一緒に食事に行った友達に聞いてみると、アレルギー
非常にショックであり、悲しくもある出来事。それは、大学時代の友人が亡くなったこと。先日、夜中に友人からLINEが送られてくる。その晩は、昔のことを思い出すなどしてしまい、寝られなかった。彼はほとんどお酒が飲めない。飲むとすぐに真っ赤になってしまう。しかし、飲み会の席は好きで、よく顔を出した。学部が異なったため、専門課程は別々になってしまったため、それ以降は滅多に会う機会がなくなった。それでも、学生時代はよく遊んだ。彼は大学卒業後、中堅ゼネコンに就職。そし
そして1年前4月17日は、告別式の日でした。実は告別式もどうしようか悩みました。旅立った後、次男と少しでも一緒にいたいので、直ぐに告別式するのはどうかと考えたあまり人も呼ばず家族葬にしようかいろいろ悩みました。正直、お金の事も頭を過りました。でも頭の中で、常にあったのが次男は闘病してから車椅子になり、ご近所さんや、ちょっとした知り合いに会うのは嫌がっていました。親も人と会うのを避けていました。学校と病院しか、次男の行動範囲はありませんでした。知り会いに会うと逃げるようにしていま
交通事故で亡くなった夫は別の病院で司法解剖されることになり、遺体が戻ってくるのは翌日夜との事だった。亡くなったのは日曜日の未明。遺体が自宅に戻るのが月曜日夜。木曜日は友引。友引にお葬式は出来ないので火曜日お通夜→水曜日告別式または木曜日お通夜→金曜日告別式の選択肢。こんなコロナ渦で、人が密集しないよう通夜、葬儀は家族葬で、ということになり、別日で一般弔問を行うことに。結果、水曜日一般弔問木曜日親族のみで通夜金曜日親族のみで告別式という流れになった。なので、ゆっ
いつもご訪問いただきまして誠にありがとうございます。エタニティ整体療術学院の相川高広です!昨日「令和6年4月18日」納棺、告別式を終えました。令和6年4月14日に、伯父が老衰で亡くなり永眠しました。享年90歳でした。いつも笑顔で元気な「こうちゃん」私の母親のお兄さんやはり別れは悲しいですね😭涙溢れました。こうちゃんはいつも元気で朗らかな人でした☺️内臓も丈夫で間違いなく100歳は余裕だと思ってました。しかし、ある日玄関先で転び股関節を骨折🩼それからはずっと病院施設でベッ
ブロ友の皆さま、温かいコメントをたくさん寄せて頂いて本当にありがとうございました。無事、昨日は通夜を、そして今日は告別式を終えることが出来ました。ここに皆様のご厚情に厚くお礼申し上げるとともに、謹んでご報告させて頂きます。先のコメントへの返信は、無理とわかり、これにて皆様へのお礼とさせて頂きます。本当にありがとうございました。<m(__)m>亡くなってからの翌日は、友引と言うことで、1日空いたのですが、結局そのおかげで、役所への手続き等や、長男一家の受け入れ態勢も整えることが出来、
49日法要が無事終わり自宅で御仏前の整理をしていた私。両親からの御仏前を確認したら告別式でもらった香典の金額の倍額が入っていた。(正確な金額の表記は止めておきます)御仏前を頂いた中でも1番の金額。この金額は受け取れないと母に連絡した。私「あんなに御仏前受け取れない。半額返すわ」母「何で?かまへんよ。気にせんとき」私「気にするわ!」母「だって御香典、○○円渡していた人いたやろ」その言葉を聞いた時、他の人より香典が少なかったから金額合わせ?以前聞いたお
中学時代の同級生で、バレエの先生をしているTちゃんのお母様が亡くなり、お通夜と告別式の受付のお手伝いを頼まれました。火葬場の関係で、亡くなってから1週間後のお通夜でした。1週間の間に泣きつくしたから、と言ってTちゃんは喪主として気丈に振舞っていました。最近は家族葬とか1日葬というのが多いので、ちゃんと2日間の葬儀に参列するのは久しぶりです。はじめは身内だけだから、そんなに人は来ない、と言ってたけど、結局バレエの生徒さんとかその親御さんなど、それなりの人数の受付をしまし
ゆきです私の住むところも雪解けが進んできました。桜はまだまだですが。先日、昔付き合っていた人と会ってもう少し人と会いたくなり来週高校からの友人と会います。彼女は結婚して遠方に住んでいますがご実家がこちらなので、帰省を利用して会ってくれることになりました。彼女にも夫の闘病は伝えてなかったので訃報のLINEをした際は驚かせてしまいました。そして葬儀にわざわざ飛行機を使い他の親しい友人と参列してくれました。葬儀中は慌ただしく、ゆっくり話すこともできず、申し訳なく思っていました