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吉村昭愛読者の方が「吉村昭ゆかりの吉祥寺散歩」と題した動画をつくってくださいました。昨年『吉村昭と津村節子波瀾万丈おしどり夫婦』刊行前に、宣伝下手の著者を案じ、新刊プロモーションを兼ねた「大人の谷中・日暮里散歩谷口桂子著『食と酒吉村昭の流儀』から」を撮ってくださった方です。先月オープンした三鷹市吉村昭書斎に行かれると聞き、それならぜひ動画撮影をしてほしいとリクエストしました。こたえてくださり、うれしい限りです。願いごとがあれば、口に出していってみる。すばらしいダメもと精神!吉村さんが
昨日の新聞に作家吉村昭さんの書斎が東京三鷹に開館する記事が…昔のBOSSに勧められて読んだ、“ポーツマスの旗“は日露戦争の講和条約締結、外相小村寿太郎を軸にした歴史小説。ロシア全権ウィッテ、仲裁のアメリカ大統領ルーズヴェルト。講話成立への不満から巻き起こった東京の騒擾事件〜BOSS曰く、竜馬がゆく→翔ぶが如く→坂の上の雲(司馬遼太郎)と“ポーツマスの旗“を読めば幕末から明治維新、日清日露戦争〜明治の日本という国、時代が良く分かると…言われたとおり、とても勉強になったこの本は、かなり古びれたけ
昭和18年6月、瀬戸内海に停泊中の戦艦陸奥が原因不明の大爆発を起こして沈んだ。爆発の原因はいまだに謎のままである。戦時下に起きた不可解な爆沈事故を丹念に調べ上げ、爆発の謎を解き明かそうとしたルポタージュ。陸奥爆沈吉村昭新潮文庫陸奥は長門型の二番艦、一番艦の長門の姉妹艦である(戦艦は艦隊を組むため同型2隻がセット)。大和と武蔵が出現するまで帝国海軍最大の戦艦であった。大正16年に竣工して以来、爆沈するまで現役だった。戦闘中に死ぬと戦死扱いなのに対して、陸奥爆沈で亡くなった乗組員1
越後湯沢にある吉村昭さんのお墓の案内板。本の執筆の際、湯沢町役場の方が、送ってくださいました。自分の足で必ず現地に赴いた吉村昭さんにならい、わたしも湯沢に行こうとしましたが、雪が深いときいていました。わたしが行こうとしたのは、案内板も撤去されていた時期でした。人間の背丈以上の雪が降るこの地では、墓地も一面雪でおおわれ、案内板も保護のためしまわれるのだそうです。熱心な吉村ファンが、湯沢に行けば誰に聞いてもお墓の場所はわかると思って新幹線に乗ってくるが、誰も知らない。吉村さんの馴染みの店に
苗場から車を走らせて、清津峡までは約1時間です。その途中、湯沢の町の近くで、紅葉とは関係ないですが、ちょっとだけ立ち寄ってみたい場所がありました。作家、吉村昭の墓です。私が彼の本を読み始めたのは7年前。気に入ったので、今までに6冊読んでいます(読んだ順に、『三陸海岸大津波』『破獄』『羆嵐(くまあらし)』『漂流』『関東大震災』『星への旅』)。彼は湯沢を気に入り、この地を墓所にすると決めていたとのことで、それなら是非この機会にお参りをしよう、と思ったわけです。彼の墓は、関越自動車道湯
吉村昭の歴史小説の特徴は、何と言っても史実に基づいて書かれていることですね。吉村昭は、「事実はまさにドラマである」という信念で、多くの取材を重ねて歴史小説を書いてきました。特に、幕末の「漂流」ものや、「逃亡」ものを題材にした作品は吉村昭の真骨頂といえます。その「漂流」と「逃亡」の両方を味わえる作品が「島抜け」だと思います。とてもスリルのある物語なので、オススメです。文庫本「島抜け」には、「島抜け」の他に短編2作品が収められています。今回は、その中の一編「梅の刺青」の舞台を歩いてみること