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昨日の(惚れ直し!楽曲同様カッコいい!大黒摩季さまが能登半島地震復興応援チャリティライブを主催!)の続報記事がでました.スポニチアネックス4/1421:48大黒摩季能登半島地震のチャリティーコンサートを実施「能登のことを忘れないで」-スポニチSponichiAnnex芸能歌手の大黒摩季(54)がこのほど、ZeppYokohamaで能登半島地震の被災
昭和の三大作曲家古賀政男服部良一古関裕而を比較してみました。古賀政男と服部良一は両巨頭とも言われ御三家でいえば尾張と紀州みたいで古関裕而が水戸になってしまい一段下のように思われがちですが果たしてそうでしょうか?古賀は明治37年生まれ服部が明治40年、古関が明治42年と少しずつ年がズレています。そして国民栄誉賞ですが、古賀服部は受賞しましたが、古関は決定しましたが、辞退しました。その理由は後で述べます。次にヒット曲の数を見てみましょう。古賀から。丘を越えて影を慕いて酒は涙か溜
💚上京〜淡谷のり子💚服部良一は、1933年に25歳で上京し、人形町のダンスホール「ユニオン」で、サックス奏者となり活躍する。1934年、ニットーレコードの音楽監督となる。服部良一は、最新のオシャレなジャズに日本語を乗せたポピュラーソングを目指していたが、この当時は、古賀政男を代表する民謡調の流行歌が大人気で、なかなか花が咲かなかった。しかし、作曲・編曲の実力が認められ、1936年、コロムビアレコードの専属作曲家となる。そして、歌手、淡谷のり子と出会い、華やかなスィングジャズの第1作「
《寸感》歌人・寺山脩司は「作詞家」でもあった。その作物に「浜昼顔」という佳作がある。詠って曰く「家のない子のする恋はたとえば背戸の赤とんぼねぐら探せば陽が沈む泣きたくないか日ぐれ径日ぐれ径たった一度の恋なのと泣いてた君は人の妻ぼくは空ゆくちぎれ雲ここはさい涯北の町北の町ひとり旅立つ思い出に旅行鞄につめてきた浜昼顔よいつまでも枯れるなぼくの愛の花愛の花」。なるほど、一語として無駄がない。まさに歌人が描く「不倫の世界」、現実とはうらはらに、どこまでも「さわやか」で「澄