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明治150年は、とうに過ぎ昭和100年が迫っている。我が国の歴史の中で一番の激動の時であった。本日は、この中で不思議に思うことを述べてみたい。◆明治と蘭印の油田明治における蘭印の油田に関与できなかったのは、痛恨の失策だった。明治初頭、同じく君主制をとる日蘭両国にはさしたる障害は無い。何よりも幕末まで鎖国下でもオランダとは商いを持った。また、シェルの開祖ともいえるサミュエル・マーカスが我が国に縁があったとともに、後のサミュエル商会が本邦外債を数度に渡り引き受けた。これらを考え合
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。改めまして、みなさま。ブログへのご訪問、誠にありがとうございます。さて、今回は青森県八戸市博物館へ。(八戸市博物館)かつて南部藩と津軽藩は敵対してた仲。津軽藩初代の藩主、津軽為信公は南部藩出身の人物だったってご存知でしたでしょうか。-南部藩の成り立ち-時代は武士の出現による鎌倉時代に、源頼朝の家人である南部三郎光行の一族が奥州藤原討伐で功を上げ、青森県全土と秋田・岩手にま
都道府県別索引へモロラン陣屋は室蘭の町から国道37号を東の方へ進み、室蘭港を渡ってくる白鳥大橋が降りてくるあたりの北側の丘の縁にある。陣屋から白鳥大橋や海岸のコンビナートが見える。南部藩が蝦夷地沿岸の警護のために安政三年(1856年)に築き、藩士が常駐して任務にあたった。明治維新後の1869年、新政府への陣屋の引き渡しを拒んだ藩は、陣屋を自ら焼き払って撤収したという。その後は放置されていたが、昭和九年(1934年)に国指定史跡となった。整備の手が入ったのは戦後しばらく経ってからとのこと