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脚本は『半沢直樹(2013)』の八津弘幸美濃攻めの足掛かり――鵜沼城調略秀吉と小一郎が連れてきた鵜沼城主:大沢次郎左衛門ここまでは順調、さすが“お猿の口八丁”であるところが清州に着いた途端、荷から毒塗りの苦無が出てくるという急転直下空気が凍る信長の視線が鋭くなる。そして突きつけられる、戦国の理「秀吉を見殺しにして大沢を討てば、お前を取り立ててやる」ここで面白いのが、秀吉の立ち位置当の本人は人質。つまり命を握られてる側それでもきっと、「なぁに、なんとかなるわい!」
唐津での車中泊は、佐賀県唐津市鎮西町名護屋1859にある「道の駅桃山天下市」さんで休まさせていただきました。第2駐車場の近くに、前田利家陣跡があったので、見に行ってみました。名護屋城跡も近くにありました。その記事は別記事で。第2駐車場の奥に進んでいきます。いろいろと補修中のようですね。で、丘の上の方にありました。前田利家の陣跡です。以下、引用前田利家(1538年~1599年)豊臣秀吉と同じく尾張国愛知郡出身で、幼い頃よ
木蓮のいとおかし日記おまけの日記中川区荒子梅園へ子守がてらいってきました車は荒子観音へ姫ちゃんは押しボタン横断歩道お初でした呉羽梅はぼちぼち臥竜梅は満開お姉ちゃんらしくなってきたでしょ松ぼっくりまだ咲いてないうめがたくさんしだれは遅いおやつ持参荒子観音は前田利家さま出身地犬千代は利家様の幼名犬千代さま散策ルートもありまする押しボタン押しちゃったけっこう名古屋市のど真ん中にすんでるのでこんな横断歩道知らない姫ちゃんひゃあきゃあ喜ぶ!
合戦イベント「末森城の戦い」の開戦は6月16日(月)。双方の軍の陣容も固まってきたようですので、本日はその発表と参ります!以下をご確認ください!両軍ともに5名ずつ、計10名が部隊長となります。佐々軍には「佐々政元」が新規武将として登場します!一般にはマイナーなんだと思います、まだ「佐々平左衛門」の方が通りが良いかもしれません。前田利家との抗争においても一軍を率いて各所に戦った成政の腹心であります。なお、加藤重次については合戦中のみ「渋谷重次」に改名されます。※成
『信長と信勝(信長と濃姫の結婚①)』『秀吉・秀長兄弟の父について(筑阿弥とは?)』『秀吉・秀長兄弟の父について(弥右衛門とは…❓️)』『信長と信勝(父信秀の躍進と三河経略の推移について)』…ameblo.jpさてさて…本日の「豊臣兄弟!」新たな織田家臣メンバーとして…佐々成政(さっさなりまさ)が登場しました🆕前回放送で、秀吉・秀長兄弟が調略‼️味方に引き込むことに成功した美濃鵜沼城主の大澤次郎左衛門を信長に引見した際…大澤の家臣が手裏剣を隠し持
短期決戦にて開催された合戦イベント「末森城の戦い」が、本日13時終戦を迎えました!!その結果、勝利を手にしたのは前田軍でした!「末森城の戦い」は久しぶりに総攻撃の回数に差がある戦いでした。一方で、参戦人数は最終的に2,700人近く前田軍の方が多いという状況で、軍功が大幅に行ったり来たりする白熱のシーソーゲームとなりました。初日・2日目と人数に勝る前田軍が優勢となり約88万の差がある状態で佐々軍1回目の総攻撃へと突入。その日の終わりには佐々軍が約193万のリードを奪い、3日後
徳川大名となった「真田伊豆守信之」となります。伊豆守というのは「伊豆国(今の静岡県の一部)の受領(国司)」という、朝廷から任命される職務に対応した肩書です。しかしもちろん、真田信之は伊豆の国司でもないし伊豆に領地も持っていません。伊豆守は、実際の彼の仕事とは全く関係ない、つまり名目だけの肩書です。なぜ伊豆守という名前なのか、ですね。武士の名乗る「何とかの守(かみ)」は、多くの場合、本当の支配地や居住地とは関係ない地名になります。なんでか。これは室町、戦国時代あたりから本格的になった「
こんにちは。☆今日は衆議院選挙のため、NHK大河ドラマはお休みです。次回放送は2月15日となります。先週の豊臣兄弟!の5話「嘘から出た実」を視聴しました。↓前回はこちら「桶狭間」でした。『豊臣兄弟!4話』おはようございます。豊臣兄弟4話「桶狭間」を視聴しました。今から書くことは、ドラマの内容や台詞がやや異なる場合がありますのであらかじめご了承ください。↓前回は…ameblo.jp桶狭間の戦いに敗れた今川軍…。指揮を執っていた松平元康(後の徳川家康)は岡崎城へ帰りました。その戦
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。前回は加賀藩の藩祖・前田利家の兄弟姉妹を取り上げましたが、今回は利家とおまつの方の系図を見ていきたいと思います。前田利家は織田信長に仕えて出世、豊臣政権で五大老となり、外様大名の大藩・加賀藩の祖となりました。おまつの方(芳春院)はその正室で、佐々成政の末森城急襲時に援軍派遣に慎重な家臣たちを激励するなどした女丈夫で、利