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2022年4月がん遺伝子パネル検査では、がん組織や血液からDNAを取り出し、がん関連遺伝子に変異があるかどうかを解析し、その後の治療に役立てることを目的としています。また、遺伝子変異が見つからないこともあります。変異が見つかっても、適切な治療法が限られる場合もあります。検査を行うことができる病院とできない病院があるそうです。全国の「がんゲノム医療中核拠点病院」や、「がんゲノム医療拠点病院」「がんゲノム医療連携病院」で受けることができるそうです。娘の初発から気になっていた検査。
2022年4月担当医から、『〇〇ちゃんを、緩和ケアの先生に定期的に診てもらうように、緩和ケアチームを付けてもらうように依頼しました。痛みのコントロールは緩和の先生の方が知識も経験も豊富だし、頼りになると思う。』と、言われました。看護師さんから、『緩和ケアって聞くと、終末期のイメージがあるかもしれないけど、そうじゃなくて、痛みや不快だったり、少しでも不安を取り除いて、少しでも普通の日常を送れるように、一緒に考えていこう。とするチームだから、緩和ケアの先生に気になる事や困っ
2022年4月治療再開の為、名古屋へ向かいました。戻ると、先生や看護師さんから、『ディズニーランドどうだった?』と、聞かれ、嬉しそうに話をしていました。そして、CLSさんがガチャガチャを持ってきてくれました。『〇〇ちゃんが一時退院してる間にガチャの日があって、とっておいたよ〜』と。4月なので、イースターのガチャでした。採血結果は特に問題はありませんでしたが、WBC4.3好中球1.9HGB10.7PLT505AST26A
2022年3月院内学校で、産まれた時の様子や、1歳、2歳、3歳の頃の自分はどんなだったか。と、「小さいころの自分」を振り返る内容の授業がありました。担任の先生から、『小さい頃の写真を年齢別に何枚か持って来て頂けますか?』と言われました。なんとなく、元気だった頃の写真は切なくなるのであまり見ないようにというか、見れずにいました。久しぶりに0歳や1歳、2歳、3歳の頃の写真を眺め、どの写真を持って行くか決めていました。色々複雑な感情が湧きましたが、『この写真を使ってポスターにす
2022年2月シンチでの再発がわかり、念のため全脳全脊髄のMRIも撮っておこう。となりました。結果、脳や脊髄には転移や再発は見られなかったのですが、右前頭葉に髄膜播種の疑いがありました。…。中枢神経は一番転移してほしくなかった場所。3年前に全脳全脊髄には21グレイ照射済み。中枢神経には抗がん剤が行き届きにくい。そのために、アメリカまで行ってオンブルタマブの治験に参加した。もうこの場所は打つ手がない。教授からも、『骨転移だけなら、GD2とケモの交互をと考えていたけど、中枢神
2022年6月前回の記事の続きです。娘が急に激しい痛みを訴えるので、看護師さんを呼びました。すると、『とりあえず、今、手元にあるアセトアミノフェンを飲みましょうか。』と言われました。え??今めちゃくちゃ痛がってるこの状況、この腫瘍からの痛みはアセトアミノフェンなんか絶対効かない。以前もそうだったから。痛がって内服薬なんてとても飲める状態じゃないのに、娘は痛すぎて我慢出来なかったからなのか、どうにかしたかったからなのか、言われた通り、この状況で頑張って飲みました。しかし、
2022年4月ディズニーランド当日。前日の大雨のお天気とは、うってかわって、空は快晴でした。朝食をホテルのブュッフェで軽く済ませ、メイク・ア・ウィッシュの担当の方とロビーで待ち合わせをし、ディズニーリゾートラインへ乗りました。娘は、初めてのディズニーランドに目をキラキラさせていました。念の為、車椅子を手配してもらい、ガイドブックでチェックしていたリゾートラインの形をしたポップコーンバケツを買い、一番乗りたかった「美女と野獣」へ行きました。娘も私も、ディズニープリンセスの中で
2022年1月翌日、担当医に呼ばれ、シンチの画像をパソコンで見せてもらいました。やはり、多発骨転移がみられ、骨髄も微量に陽性、放射線科の読影も出ており、再再再発が確定しました。先生は、娘の治療歴が載ったカルテをみながら振り返り、『〇〇ちゃんは4年以上前からずっとよく頑張ってるね。2回も臍帯血移植して、2回も寛解までもっていける子って本当に稀で、そういないと思う。これだけの治療歴があって、腎機能が落ちてない事もすごい。アメリカまで行って治療もして、本当によく頑張ってる。』と、普
2022年1月シンチの結果を待っていましたが、誰も来る様子がなく、いつもなら、フェローの先生がふらっと来てくれて、『まだ放射線科の読影は出ていないですが、小児科医で確認したところ、特に異常ありませんでした。』と、言いに来るのがお決まりなのに、今回はそれがなく、何かあったんだろうな。と察していました。教えてくれそうな先生を見つけ、聞きました。すると、『まだ読影が出てないんですけど、今回のシンチで数ヶ所骨転移が見られました。娘さんは画像上ずっと病変は消失していたし、直近のNSE
2022年3月次の治療まで一時退院をしました。今やっているケモのIRECは、インターバル日数が本来21日なのですが、21日で治療を進めると、家に帰れる時間が少なくなるので、家に帰れる時間を少しでも長くする為に、今までみたいな詰め詰めで治療をするのは、やめてインターバル28日で治療をする事にしました。そうすると1週間程家に帰れます。しかし、治療までの期間が開いてしまうと、その間に腫瘍が悪さをし出さないか、痛みが出ないかというのも心配なので、バランスがとても難しいのです。しか
2022年5月一時退院をしている間、ピックのヘパロックは、毎日、親がする事になっています。娘は、腕にダブルのピックが入っていますが、入院中、片方が調子良かったり、詰まって調子悪かったりしていました。家に帰ってる時に詰まらないといいね。と、心配されていました。一時退院中のある日の朝、ヘパロックをしようとしたら、片方が、逆血もフラッシュもびくともしませんでした。腕を上げたり、あくびをしたり、深呼吸をしたり、何をしてもダメでした。この日はこのあと出掛ける用事があったので、
2022年2月病室に戻り、娘に伝えました。『また、悪いのが体の中に出てきてるから、お薬でやつけないといけない。足、痛かったでしょ?やっぱり足にも悪いのがいてる。』と。『えーー。また髪の毛が抜けるの?』と、娘は言いました。『薬の種類によっては抜けるけど、また生えてくるから大丈夫。』と、正直、次はいつまで続くかわからない治療。いつ髪の毛が伸びてくるかもわからなかったけど、そう、答えてあげました。やっぱり、そこが一番辛いんだね。髪の毛の事は、気にしていないようで、気にしている
2022年3月難病と闘うご家族の方なら一度は耳にした事があるかと思いますが、「メイク・ア・ウィッシュ」という、ボランティア団体があります。「メイク・ア・ウィッシュ」とは、英語で「ねがいごとをする」という意味のボランティア団体で、3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢を一つ叶える為にお手伝いをされています。生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されたそうです。夢の内容は無限大で、例えば、ハワイに行きたい。ディズニーランドに行きたい。好きな芸能人に会
2022年4月治療再開の為、再入院しました。この頃、また名大病院周辺の桜がキレイに咲き始めていました。この桜を見るのは何度目だろうな。隣接している鶴舞公園では、屋台やキッチンカーが来ていました。付き添いのお母さんと一緒に行ってみました。お花見に来ている人で賑わっていました。みんなが楽しそうに見えて仕方なかった。こども達も連れて来てあげたかったなぁ。と、世間との温度差に、なんだか切なくなりましたが、お土産に娘の大好きなわたあめと、いちごあめを買って帰ろう。大好きなポケモンの袋
はじめまして✨ブログ初心者現在34歳、主婦です。夫と娘6歳と愛猫と生活しています。30歳で舌にがんが見つかり、舌癌サバイバーとなりました😭現在、再再再発しています。先ずはここまでの経緯を簡単に書きます…。2017.08…舌がんステージⅠで見つかる(右側部分切除術)2017.12…舌がん再発ステージⅠ(右側部分切除術)2020.10…舌がん再再発ステージⅡ(左側部分切除術)ここまで再建なく、3度部分切除してきました。さすがに残っている舌は歪な形をしていて…舌がかなり
2022年6月翌日、泣き叫ぶ程の痛みは落ち着いたのですが、フェンタニルを1時間置きにフラッシュしている状態でした。すると、緩和ケアの先生が来てくれました。痛みのコントロールが上手くいっていない事を伝えると、『フラッシュの回数も多いから、フェンタニルのベースの量を増やしましょう。お母さんは、増量する事を躊躇うかもしれませんが、今まだ全然少ない量だし、フェンタニルに上限はありません。痛みを取り除いてあげる事を優先しましょう。増やしてもまだ痛みが勝っているなら、フェンタニルが足りてい
2022年4月ディズニーランドからホテルに戻り、ホテルの中のレストランで夕食をとりました。今日は疲れてすぐ寝るかな?と思っていたけど、興奮してずっとホテルで大暴れしていました。二段ベッドがかなり楽しかったようです。本当に病気なのかなと思うぐらい、病気の事なんて忘れられるぐらい、元気いっぱいでした。翌朝、関東は、また雨が降り始めていました。ディズニーランドに行く日だけ見事に晴れてくれました。ホテルで朝食をとり、介護タクシーへ乗り、東京駅のホームでメイク・ア・ウィッシュの担
2022年2月ある日、娘の受け持ちの看護師さんが、クッキーの材料を持って病室に来てくれました。私は、どうしたのかな??と思っていると、『この前、一時退院する前に、〇〇ちゃんに、何かやりたい事ない?って聞いたら、クッキーを作りたいって話していて。戻ってきたら、一緒に作ろうねって約束していたんです。』と。道具も材料も全部、揃えて持ってきてくれて、娘と看護師さんは一緒に作り始めました。(受け持ちさんは、夜勤前だったのにも関わらず)生地から作り、型抜きをし、焼いて、デコレーション
2022年6月チームリーダーの先生と初めてICの場を設けてもらいました。今、このような状況なので、今後の治療の事や、ケモを続ける意味、するならどのケモがいいのか。という相談をしました。まず、先生は、『〇〇ちゃん、目標にしていた院内学校のコンサートに出場出来て良かったですね。』と、言ってくれました。続けて、『一時退院の間は元気に過ごせていますか?家に帰れる時間もあって、元気な時間が出来ているのなら、まだまだ治療を続ける意味はあると、僕は思います。抗がん剤をする事で、ダ
2022年2月おばあちゃんが娘の為に、一生懸命千羽鶴を作ってくれていました。昔、娘が、自分も千羽鶴がほしい。と、言っていたのを覚えていたそうで、3ヶ月程前から作っていたそうです。そして、娘の幼馴染のUちゃんからもステキな手作りのプレゼントをもらいました。「ラッキースター」です。千羽鶴のように、1つ1つの星に願いを込めて折り紙で折っていく小さいお星さま。お星さまに願いを込めるということから、「幸運を招く」「幸せを呼び込む」と言われているそうです。たくさんの人が娘の為に、良く
現状、手術を控えている状態ですが、日程は9月上旬の予定です。他の形成外科などとの合同手術になる為、少し先になってしまいます、とのことでした。了承の上ですが、少し先なので不安です。7/21のMRI検査では陰性だったのに、8/3の生検で、再発宣告されました。僅か1週間ちょっとで目で見てわかるぐらい腫瘍は大きくなってきています。それに伴って、痛みもつよくなってきて、食事の時間が億劫になっていて、話すのも辛い…黙っていても滲みる😭右側が痛いので、寝る時は必ず左を下にして寝ま
2022年3月3日娘は8歳になりました。3歳から闘病し、今は8歳。あの頃は、8歳なんて、想像もつかず、今年もお誕生日を迎えられた事に、とても嬉しく思いました。病室をお誕生日仕様に装飾し、サプライズで、大好きなユニコーンのバルーンをプレゼントしました。お昼ご飯は、病院からのお祝い御膳。そして、病棟のお友達からも沢山プレゼントとメッセージカードをもらい、院内学校の担任の先生からもメッセージカードを頂きました。そして夕方、たくさんの看護師さんが来てくれて、バースデーソングとみなさ
2022年6月娘が楽しみにしていた院内学校のコンサート。(娘が描きました)その頃は、抗がん剤の副作用はまだ完全にスッキリはしていませんでしたが、痛みもコントロール出来ていて、無事に参加することができました。昨年も、ここで初めて見たコンサート。あまりにもこどもたちが一生懸命で、感動したのを覚えています。今年も娘は参加したいと言っていたし、親も観に行ってよかったので、私も、娘の参加している姿を見たかったのです。小中学部による、となりのトトロの合奏。(娘は小太鼓担当)中学部に
現在お世話になっている病院について。約4年程通っていて思うこと。やっぱり大学病院だから、先生や看護師さんの入れ替わりが結構あります。。1度目、2度目の手術をしてくれた主治医はもう居なくて、、3度目の主治医は今もいますが、今回4度目の主治医、執刀医が誰なのかまだ聞かされていません。ずっと同じ先生に診てもらいたいけれど、受診日も毎回先生が異なるので親身になってくれる先生が居ないように思っています。。どこの大学病院もそうなのでしょうか…。とはいえ、どの先生も何度も診てもら
ずっと書けなかったなーでも、忘れっぽい母なので書き留めることをしないときっと後悔もする下書きして、下書きしてちゃんとyuちゃんのこと残したいすごーーく遠い前のことのよう*******最後の日、前夜からの続き結局、夜もあのまま呼吸が苦しそうなのは変わらず間隔は空くものの1〜2時間ごとポータブルトイレに便意で移動していた前日、旦那さんと交代して泥のように家で寝たのもあり日を跨いで2時くらいまでは起きていられた夜勤ナースはyuちゃんの初発のときからいるナースと