ブログ記事117件
朴正煕パクチョンヒ大統領と車智澈チャジチョル警護室長を殺害した金載圭キムジェギュは、1980年5月24日にソウル拘置所(現:西大門ソデムン刑務所歴史館)で絞首刑に処せられた。処刑場に向かう金載圭12・12クーデターで、反乱軍に逮捕された陸軍参謀総長鄭昇和チョンスンファは、クーデター後の軍法会議で懲役7年の刑が宣告され、大将から二等兵に降格されて予備役に編入された。1981年に特赦で懲役刑の執行が停止され、1987年には階級を大将に戻された。1997年になって、再審請
「ソウルの春」全斗煥の十八番おはこ令夫人李順子女史「ソウルの春」朴正煕パクチョンヒ大統領の殺害から12・12クーデターまでを「ソウルの春」と呼んだのは、日本のマスコミだった。1979年の12・12のクーデターが起きた後の12月14日の『朝日新聞』と『毎日新聞』がヘッドラインに「ソウルの春」と書いた。『読売新聞』は、「ニューズウイーク」の金大中キムデジュンへのインタビューを紹介する記事のヘッドラインに「ソウルの春はまだ…」と書いている。だが、記事の中で金大中は「ソウ
映画「ソウルの春」の元ネタの12・12クーデターの背景について整理しておこう。朴正煕暗殺事件と鄭昇和参謀総長12・12クーデターが起きる1ヶ月半前の10月26日夜に起きた朴正煕パクチョンヒ大統領と警護室長車智澈チャジチョルがKCIA部長金載圭キムジェギュに撃たれた事件。その事件現場となった青瓦台のそばのKCIA施設「安家アンガ」は、今は「ムグンファ公園」になっていて当時の建物はない。事件の当日には、金載圭と約束があった鄭昇和チョンスンファ陸軍参謀総長が安家の本館に来てい
12・12クーデターの現場はソウル市内各所に広く散らばっている。クーデターの発生からすでに45年。当時からそのまま残っている建物や施設もあるが、1979年当時とは全く違った姿になっている場所も多い。旧朝鮮総督府だった中央庁庁舎は撤去されて久しく、クーデターで「ハナ会」の拠点だった30警備団の駐屯地も、保安司令部や首都警備司令部も全て移転して当時の面影はない。45年前の当時の現場を、今のソウルの地図と照らし合わせながら、エリアごとに見てみよう。漢南洞公邸エリア保安司令部の憲兵隊が、鄭昇
皆々様、ごきげんよう、いとっぺですレイトショーで鑑賞して帰宅後もなかなか寝られなかった寝ても夢の中でずっとリピートしてて久しぶりに胸の高鳴る作品でした書きたいことが山ほどあってそれこそたまさん『たまさんのおすすめ新韓国映画!「ソウルの春」は初日に見たのに事実を調べ出したらどんどん時間が、、』「はーい!この夏はプライムでドラマをたくさん観たたまです。夏休みだからスマホで寝転んで見てて、首が筋肉痛!!映画だと、ちゃんと座って見るのにドラマだと気が緩む…ameblo.jpと同じくあと3
ユナイテッドシネマ橿原にて札幌から戻って来て、初の映画館での鑑賞札幌では週一で映画を見ていたので、とても幸せだった尾花deキネマでも見ているが自分が見たい映画ではないさて、ソウルの春1979年12月に起きた朴正熙大統領暗殺後に起きた軍事クーデターその様子を時間で刻みながら、こちらに息をもつかせない2時間20分悪が勝つという、皆が知っている歴史的事実ファンジョンミンは凄いと思うが全斗煥はもっと凄いと思わされたこのクーデターから8年後にはソウルオリンピックが開催された事
1979年12月13日の朝、つまり全斗煥らが12・12クーデターを起こした翌日。朝刊各紙の一面や社会面には、前夜に首都ソウルで漢江ハンガンの橋が遮断され市内に軍隊が展開するという事件が起きたことが大々的に報じられた。『東亜日報』の社会面の記事(右上)はこんな内容だった。(手動でスクロール)漢江の南北遮断5時間漢江の橋、車両通行禁止に会社帰りの市民が歩いて橋を渡る路肩の車の中で徹夜も帰宅できなかった人は旅館の相部屋で12日午後7時、ソウル龍山ヨンサン区漢南洞ハンナムドン
1982年11月、鈴木善幸の後を継いで総理大臣に就任した中曽根康弘は、翌83年1月に就任後初の外遊先となる韓国を訪問した。1月12日の全斗煥チョンドゥファン主催の晩餐会の挨拶で、中曽根首相は冒頭部分と最後の部分を韓国語でスピーチした。共同通信の記事には、「会場からは”日本人でこんな上手な発音は聞いたことがない”との賛辞」とあるが、この当時は日本人が韓国語を話すわけがないと思われていた時代。取材する日本側取材陣にも「韓国語で取材ができる記者」はほとんどいなかった。「アンニョンハセヨ」と
トラック、運転したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあれ?今日は北朝鮮工作員が当時韓国の大統領だった全斗煥大統領一行を殺害しようとしたテロ事件、いわゆる「ラングーン事件」(「アウンサン廟爆破事件」とも」が起きた日じゃなかったっけ????byご主人様で、この人が北朝鮮テロリストによってぶっ殺されそうになった当時の韓国大統領・全斗煥(チョン・ドゥファン)・ラングーン事件とは北朝鮮工作員がビルマを訪問中であった大韓民国(韓国)の全斗煥大統領
禹範坤(ウ・ポムゴン)は、1982年4月26日から翌日の27日にかけて、韓国南部の慶尚南道宜寧郡宮柳面において、わずか一晩で、民間人57人(56人、61人など諸説ある)を殺害し、35人に重軽傷を負わせるという事件を起こした。禹は犯行当時27歳で韓国の警察官だった。この禹による57人殺しは、2011年に「ノルウェー連続テロ事件」が起きるまで、短時間における大量殺人記録としてギネスブックのワールド・レコーズに公式認定されていた世界でも稀に見る殺人事件であった。禹範坤は1955年、釜山市に生まれ
1979年、韓国⼤統領暗殺――独裁者の座を狙う男と、国を守ろうとした男国家の命運を懸けた9時間の攻防が幕を開けるソウルの春第17回アジア・フィルム・アワード最多6部門ノミネート2部門受賞第22回ディレクターズカットアワード(韓国映画監督組合主催)監督賞・脚本賞の2冠達成第60回百想芸術大賞3部門受賞『パラサイト半地下の家族』を超える韓国歴代級大ヒット『アシュラ』キム・ソンス監督作品『哭声/コクソン』ファン・ジョンミン『私の頭