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土津神社の御朱印土津神社奥之院の御朱印由緒書土津神社のご祭神である保科正之公は江戸幕府二代将軍・秀忠公のご落胤初代将軍・徳川家康公の孫三代将軍・家光公の異母弟🧐家光公と四代将軍・家綱公を輔佐し幕閣に重きをなしました🧐敬内義外の精神を中心に据え會津藩政、江戸幕政に臨み力によって押さえつける武断政治から信頼関係に基づく文治政治へと転換し二六五年に渡る徳川幕府の礎を築いた🧐参道入口社号標土津神社/奥之院全体図保科正之公に関する史料正之公は、寛文12年(167
昨日のブログで「現存三重櫓」12基を全てお届けしました。「弘前城丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓」「江戸城富士見櫓」「名古屋城清洲櫓(西北隅櫓)」「彦根城西の丸三重櫓」「明石城巽櫓・坤櫓」「福山城伏見櫓」「高松城月見(着見)櫓・艮櫓」「熊本城宇土櫓」以上12基は、下記URLをクリックしてご覧ください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.html本日は、番外編として、「会津若松城御三階」(福島県会津若松市)という
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。