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検体をしました。組織を取るだけと主人も私も簡単に考えていたのですが、手術のようでした。処置後、モニターをつけたまま4時間はリカバリールームで安静にしていなければなりませんでした。長い時間、病院になったため娘のお迎えに間に合わず、再度、急遽お友達のお母さんに娘を預かってもらいました。病院を出る時は車椅子に乗せられ、車寄せに運ばれてきました。帰宅後は湯船に入れないため、カウチで休んでいました。生検の4日後に、胃、腸カメラ検査がありました。経験されている方も多いと思いますが、検査準備に腸
父の容態が悪くなって、慌てて北海道の実家へ駆けつけた日から今日で3年。あの日すぐに飛んでいって本当によかった。大したことは出来なかったけどそれでも家で過ごした最後の日に一緒にいられたこと、翌日病院まで行き、入院を見届け自分なりに寄り添える時間を過ごせたので看取りに関する後悔は少ない。命の終わりに向き合ったかけがえのない数日間は宝物です『父のこと12』2週間前に会った時から一気に悪化してすっかり変わり衰弱した父の姿に動揺した。水を飲むために起き上がるのもしんどそうで、ストロ
救急病院では、肺に血栓の心配があるかもしれないとのことで、再度CTを撮られました。CTを撮るまで、検査結果を聞くまで、、とにかく待ち時間が長く主人も私もグッタリでした。子供のお迎えの時間も間に合わず、学校のお友達のお母さんに連絡して、子供を預かってもらいました。ようやくCTの確認ができた救急医の先生は、「肺は問題ない。今日は帰っていい」「でも、お腹は別の課で見ないといけない、総合内科にリファーした、1週間後に予約が取れたので行ってください」と、言われました。朝9時には病院に行き、
CTスキャンを受けました。翌日、かかりつけ医から電話が決ました。何か腹部にある。すぐにイマージェンシーに行くように、状況は自分がデータを送ると。急な展開でしたが、すぐに動くしかないと、救急病院に向かいました。CTを撮った総合病院での治療は避けたいという主人の希望で、別の病院のイマージェンシーに行きました。そこは、私たちの娘が生まれた病院でした。主人が亡くなる2ヶ月と少し前のことです。
昨日は何もできませんでした。私は専業主婦です。10歳の子供がいます。家にいる大人は私1人です。仕事探し、掃除、食事作り、しなきゃいけないことは山ほどあるのですが、娘が学校から戻るまで、主人に会いに行った以外は、ただぼーっと過ごしてしまいました。買い物も行っていないので、家にあるもので夕食は作りました。こんな自分を怠け者のようで嫌に思う自分と、気力が全く出ないので仕方ないと思う自分と。どうしたらいいんでしょうね?主人が亡くなってまだ4ヶ月、もう4ヶ月。時しか癒してくれるものはない
今日も主人に会いにいってきました。主人を訪ねている時と、ブログを書いている時が心が穏やかになる気がします。今日お墓にコヨーテが出てきました。私はカナダ在住です。ブログに記している事は、ここカナダでの事なので病院の事情などは日本と異なる事も多いと思います。中皮腫がどちらの国でも、いえ、世界中でいつか完治できる病気になることを、心から願っています。お墓にコヨーテが出た事を知人に伝えると、こんな話をされました。先住民の言い伝えで、お墓を訪れているときに動物がやって来たら、それには意味が
かかりつけ医に会いました。血液検査などをしました。先生から特に注意をされることも、もっと詳しい検査を勧められることもありませんでした。主人は元々、お腹がゆるく、しっかりとした大便が何ヶ月も出ていないと言っていました。それで何となく、問題があるなら大腸かもしれないと思っていました。先生に伝えたものの検便での検査となりました。先生はカメラは不要と判断されたようです。血液検査、検便、診察の結果、何も問題は見つかりませんでした。主人がなくなる4ヶ月前のことです。
最近、とある患者さんから、「労災の休業補償が切れそうになっていて・・・」というご相談がありました。渋谷労基署からも「〇〇さん、お仕事できるんですか!?」と問い合わせがあったとのことでした。その患者さんの経過を少しは承知していたので、まさかそんな状況ではないと思っていたので、「また誤ったことをする職員がいるものだな!」とやや怒りを持って渋谷労基署に電話しました。「トンチンカンなこと言われたらビシッと言わねば!」と電話を力強く握りしめて電話をかけました。担当者が出てきて、「〇〇さんの件、〇
中皮腫。診断がでました。病名を聞いても何かわからず、困惑しました。主人と目を合わせました。主人が「それは、、癌ですか?」と先生に聞きました。先生は「1%の希少癌」続けて、さらっと仰いました。「なにも治療しなければ生存率は、統計的に2年5ヶ月」その時、どうやって息をしていたのか、主人の手を取ったのか覚えていません。強い痛み止め、ヒドロモルフォンを処方され専門医の連絡を待つようにと、病院を後にしました。この日から、2ヶ月後も経つ前に、主人はいなくなってしまいました。
診断が出るまでの記録を書いていこうと思います。旅行から戻ったあと、、主人は旅行中の体調不良で病院へ行くことを約束していましたが、すぐにはいきませんでした。その後、旅行中に起きたような不調がなかったからだと思います。やっと主人は旅行から戻った翌月に、かかりつけ医に予約を取りました。予約を入れたあとに自慢げに、カレンダーに病院の予定を書いておいて!と連絡してきたことを覚えています。私もやっと予約入れてくれた!と嬉しかった事を覚えています。Goodjobと子供を褒めるように主
病気の1番最初のサインはいつ、なんだったのだろうか。覚えているのは主人が亡くなる半年前に行った家族旅行中。主人は、「なんだか調子が良くない、体の真ん中あたりに何かある感じがする、胃かいようかな」と、数時間横になる時間がありました。心配して帰宅を早めようかとフライトを調べ始めましたが、そのうちに「大丈夫」と。主人の言う通り、横になった数時間以外は良く食べ、良く飲み、良く遊び。体調をくずすことはありませんでした。崖に立つ宿泊先で、下へ行くにも上に行くも相当な段数でしたが、娘と楽しそ
総合内科の先生に会いました。先生は、お腹に腫瘤がある。良性なものなのか悪性なものなのか生検をして調べないとわからない。胃、大腸カメラ検査もした方が良い。今すぐにでも検査をして欲しいとお願いしましたが当日の空きはなく、生検は4日後、胃、大腸カメラ検査は8日後の予約となりました。先生からは検査をしなければわからないが、もし悪性だった場合は治療がある。体力をつけなければならないと、なるべく食べ、なるべく動くようにとアドバイスされました。しかし主人の体調は悪くなる一方で、動くのが難しくなってきま
かかりつけ医が、レントゲンの検査もいれていた為、後日、指定されたクリニックで検査をしました。採血も再度したと思います。今回の検査の結果も何も悪いものは出ませんでした。その後、激しい症状ではないものの、食べたものが通りにくい感覚があり、食欲が減っていました。と言っても日によっては多く食べれる日もあり、「なんだか調子が悪い」という日々が続きました。そのうちに、お腹が膨れてきている事に気づきました。かかりつけ医には、お腹の膨らみはヘルニアのようだと言われました。調子が一向に良くならない事
待ちに待った治療。初めての抗がん剤投与。抗がん剤治療が進んだら、手術ができるようになるのか、それまでに何度抗がん剤を入れるのか。わからない事だらけのまま、たった1回の抗がん剤で、主人の体調は悪くなり、いなくなってしまった。抗がん剤が体に入っていくのを見ながら、湧いてくる希望と祈る思い。そこに絶望はなく、別れがそぐそこまで近づいてるとは本人も、誰もわからず。主人が亡くなって、もう4ヶ月。今だに悪い夢を見ているのではないのか、ふらっと戻ってくるのではないのか。と思う気持ちと、自分が主人
自分のかかりつけ医に会ってきました。(主人のかかりつけ医とは別です)今年は考えもしなかったバタバタで、健康診断を受けなければいけない項目の期限を過ぎていたので、色々予約のために行きました。先生と話していて主人の事をきかれ、実は、、と近況を伝えました。主人の病名を伝えると、先生は、何か建築系で働いていたんだっけ?と聞いてきました。主人はその職歴はないのですが、ただただ私はこの質問に感動すら覚えてしまい、、泣いてしまいました。主人の病名を伝えて、1度で、深掘りした質問をされたのは初め
主人をなくしてから4ヶ月になろうとしています。主人の病気で経験した事、主人との思い出、家族の思い出、記憶が劣化する前に残しておきたいとブログを書き始める事にしました。主人がいない生活を、もう4ヶ月も過ごしているのに、まだ頭の一部が主人がいないことを受け入れられないようで、混乱します。娘がいるので踏ん張っていますが、娘が学校に行っている間に主人がいるお墓を訪ねて、主人と会話をするのが日課となっています。その時だけが泣ける時間です。主人が使っていたものはそのまま、整理する事はできません。歯
国がちまちまと、せこいことをしています。石綿被害救済基準の変更、被害者側に周知せず救済範囲狭まる(毎日新聞)-Yahoo!ニュース「工場型」のアスベスト(石綿)被害を巡り、国が2019年に被害者側と和解する条件を見直し、賠償請求権が消滅する除斥期間(20年)の起算点を早める基準変更をしていたことが国への取材で判明した。救済範news.yahoo.co.jp結局、大阪高裁で逆転。当たり前の判決ですが、大阪アスベスト弁護団のみなさんの並々ならぬ奮闘があってのこと。どこぞの人名を冠し
●概要2026年1月から、工作物の石綿有無の事前調査についても有資格者による調査が義務付けられます。本講習は、炉設備、電気設備、配管及び貯蔵設備の解体又は改修の作業における、石綿等の使用の有無の事前調査で必要となる資格です。私は(公社)神奈川労務安全衛生協会のBコースにお世話になりました。受講資格:受験資格を得るためには複数のルートがあります受講料:39,720円+テキスト代:6,160円=45,880円(税込み)受講形式:①講義11時間<2日間>②筆記試験受講免除:「石綿作業主
中皮腫をはじめ、がんの患者さんやご家族にとって、心強い味方となるホテルがあります。国立がん研究センター東病院の近くにある、三井ガーデンホテル柏の葉パークサイドです。こちらのホテルの宿泊支配人、遠藤保則さんに、がん患者さんをサポートするための様々な工夫について、がん相談支援センターの坂本はと恵さんがお話を聞かれています。がんと生きる|がん患者をサポートするホテルの「今」三井ガーデンホテル柏の葉パークサイド宿泊支配人遠藤保則さんを迎えて|AuDee(オーディー)今回のテーマは『がん患者
ご訪問いただきありがとうございます😊今日は朝から雨☔️のんびりテレビ📺2週間分位は勝手に全部録画されているので、お出掛けした金曜日の夜の番組をいろいろと観てました🛋️『坂上どうぶつ王国』普段は観てない番組だけど、7日のタイトルで気になって…🐶『余命2ヶ月…ガンと闘う妻…苦しむ家族を救った奇跡の保護犬物語』なんか自分と重ねてみてしまう部分もあって、泣きそうでした💦いや、、、泣いた…😭この家族は、奥様の病気が進行して余命半年と言われてから、余命2ヶ月の時に保護犬を迎え入れて、前向き
がんサバイバーの皆様、抗がん剤治療を頑張っている皆様、治療は辛いですが、頑張っていきましょう。福岡は、小春日和で風も無く穏やかな陽気でした。昨日、診察日だったのでS医科大学病院に行き、血液検査&CT撮影を行いました。結果先月(前回)よりも腫瘍マーカー(CA125、CYFRA)の値がかなり悪くなっています。💦CRP(炎症)も3.5となかなか高い。CTの画像を主治医と一緒になって10分ほど眺めましたが、一瞥して原発部位の腫瘍が増悪したような感じはありません。とりあえず、年明け早々PETー
国立がん研究センターの初診もしかしたらエコーや造影剤CTなどの検査があるかもと思ったので、朝食抜きで6時半に出陣。我車のバカナビのせいで首都高を遠回りしてしまい、ハラハラドキドキ2時間で到着。ホッ築地って銀座の近くなんですねーー病院の向かえ旧市場跡は、更地になっていました。読売球場や本社ビルが建つとか!さて診察ですが、呼吸器内科の新しい担当先生が「オプジーボ再チャレンジと遺伝子パネル検査の段取りを組む為にプランを考えましょう。他に治験もあるし…」と、言ってくださり今までのモヤモ
今日は前からずっと行きたかった地元のお宮さんに病気のお祓いに行ってきました♪夫と子供達の4人で行きましたが外は寒かったです🥶朝11時に受付をして拝殿に上がると中も結構寒かったですがストーブを置いてくれていたのでなんとか耐えれました😅お祈りの間子供達はじっと待てるかなと心配しておりましたが行く前にお母さんのお腹を治してくれるように神様にお祈りに行くと言っていたので2人とも静かに椅子に座っていました。玉串を捧げる時もすごく真面目にお祈りをしてくれていてその姿を後ろで見