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⭐️三共のフィーバー機(1989年~1993年)⭐️三共大好きオジサンを自負する甚之丞です。と言っても90年代までの台なんですけどね。中でも三共のお家芸であるドラム式パチンコには目がありません。三共と言えばフィーバー。フィーバーと言えばドラム式。(絶対)パチンコ打ちなら頭にFと略されているだけですぐフィーバーと分かりますね。日常生活でも数字が3つ揃うと思わず「フィーバー!!」と叫んだりします。これはブラボーやエキサイト、パニックには無いもので、
どうもぱちんこ特許チャンネルです。皆さん、あけましておめでとうございます。本年も当ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。…はい、というわけで2024年一発目の記事なのでしっかりと年始の挨拶からスタートさせて頂きました。まだブログ書きはリハビリ中なのでダラダラ前置きはせず本題に入ります。内容は表題の通り。みんなが大好きなスマートハンドルの起源について新情報を掴んだので今日は緊急でブログを書かせてもらってます。(この、緊急で動画を〜、て言う人
どうもぱちんこ特許チャンネルです。遊技機の研究開発費の話は一旦横に置いて、年末なので今年の振り返りを少し。テーマは「2023年の各社の販売台数とその傾向」について。まあ販売台数は研究開発費の延長線上にあるものなのでセーフ!(何が?)前回の記事はコチラ↓『遊技機メーカーの研究開発費』どうもぱちんこ特許チャンネルです。今日は、自分がTwitterに投稿したものに対して少し反響があったので、それについて補足しようと思います。ちなみに私は…ameblo.jp
どうも、パチンコ特許チャンネルです。今日はパチンコ業界ネタをひとつ。テーマは「音量調整」です。駆け足でこれまでの流れを見てみましょう。ソースは私の記憶です。(信じるか信じないかはアナタ次第。でも人に話すときは自己責任で)①~2010年頃・ホール側は「大・中・小」、「1~5」といったように、複数段階の中から好きな音量を設定できた。・遊技者が音量を調整するという概念はまだなかった。(後半にはチラホラ出てきたかも)②2010年頃~2012年頃・ホール側は①
どうもぱちんこ特許チャンネルです。みなさんお久しぶりです。エンペラーロードを爆進中のためブログを更新するヒマがありませんでしたえ?今日は「質問には真速でAnswerすべし」の第2弾です。(質問されてないけど勝手に答えよう、という例のアレ)今回はみんな大好き『スマートハンドル』に関する質問に(勝手に)お答えします。大半の人が少なくとも一度は触ったことがあると思うので詳細は省略しますが、右手でも左手でも操作できるスマートなハンドルですね。そし
「80年代パチンコベスト10」昭和からの長い期間、パチンコの方も数えきれないほど沢山打ちました。そこで1980年代後半の羽根モノに限定し、自分的ベスト10を決めたいと思います。これを使ってしまったら、歩いて帰るしかない。明日から学食が食えなくなる。そんなヒリついた数々の勝負を繰り広げた名機たちのトップに輝くのは果たして…10位ウォーリアー(三共)1989思いっきりランボー。ランボーが無ければ存在しない台。Vゾーンが変形する。完走時の悲しい音楽を聞くと家に帰り
どうもぱちんこ特許チャンネルです。今日は、自分がTwitterに投稿したものに対して少し反響があったので、それについて補足しようと思います。ちなみに私はまだTwitterをXに更新していません。(誰も聞いてない)では早速それを貼り付けて、と。・・・あれ?更新をサボっている間にアメブロの仕様が変わったのか、Twitterの貼り付けが出来なくなってる。仕方ない。スクショして貼り付けるか。まずこれを呟いたきっかけは『メーカーの体力(≒資金力)が低下した場合、
「90年代パチンコベスト10」昭和から平成になり、パチンコは新要件の時代を迎えました。大衆の娯楽から一大レジャーへと進化のとき、どんな台を打っていたのでしょうか。そこで今回は、1990年代前半の羽根モノで自分的ベスト10を選びたいと思います。連チャンデジパチやパチスロに勝負を挑んでこっぴどくやられると、また羽根モノへと戻ってくるのでした。そこは、やはりパチンコの原点いつからだろう、玉の動きに一喜一憂できなくなったのは…それではいってみま