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\Areyouhavingfun?/3月3日、みなさん、おはようございます言うまでもありませんが、「きょうは、たのし~い、ひなまつり~」。うちから歩いて10分ほどの場所にある神社に、特大のひな壇が飾られますが、古~いひな人形って、怖いと思う人も多いんじゃないですか私が、むかしそうでした。中学生くらいまで(笑)。なんというか、冷え冷えとしたような独特の感じがして、怖かったですね私は、あの人形たちからは、楽しいひな祭りという印象は持ちませんでしたが、みなさんはどうさて
Hello♪♫♬♩ロンドンのなおこですなあこの世ってなんか不思議やと思わへん?この人ってほんまにいるんやろか?…….???えっそしたらこの人もあの人も産んでくれたって思てるお母さんとか気難しいけど最近は丸くなってきたな〜ってお父さんとか娘らも…みーんなみーんなほんまはおらんのんとちゃうやろか?人だけやなくて地球とか宇宙とか何もかも…なんもなかったらどう?あるんは今目に見えてるそれや聴こえてる音や漂ってくる匂いや舌で感じてる味や
これまで、5日間に渡って、私の体験をもとに、悟り、いわゆる覚醒の段階に合わせて、真我探求の流れを書いてきました。悟り、覚醒については↓『覚醒と何か』こんにちは。私は真我探求を終え、あるがままに生きている者です。このブログに到達した方は、おそらく真我という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。真我とは…ameblo.jpここで、もう一度まとめておきます。悟り、いわゆる覚醒には段階があります。つまり、浅い悟りと深い悟りがあるわけです。徹底的に覚醒した状態、真我実現まで達するには、ひとつ
一瞥体験というと非常にレアな神秘体験のように聞こえますが、実はそうではありません。今回は、私(この肉体)に起こった2回目の一瞥体験について書いていこうと思います。これは、まだ私が悟りの道(真我探求)に入って3ヶ月程しか経っていませんでした。(因みに1回目の一瞥体験は、真我探求を知らないときに起こりました。)その当時、家族に問題が起こり、そのことで非常に私自身が苦しんでいました。あまりにも苦しみが付き纏うので、これはまずいと本気で思っていたある日のことです。自宅のソファに座って、この苦
こんにちは、Midoriです。2022年5月1日の記事を加筆しました本質は言葉、理屈、理論、ストーリーの中には無いのですが、どうしてもそこに留まってしまうのが私達人間です。理屈、理論を突き詰めたいという欲を満たすならそれで充分です。ですがそうではなく、本質を明らかにしたい、いのちそのものとして生きたいとなるとそれでは無理です。ただ在るという事でそこから沢山の本当の学びが訪れます。ただ在るというのは個人として今まで何十年も生きてきた私達にとっては非常に難
今回は一瞥体験について書いていきます。一瞥とは、ちらっと垣間見るという意味です。したがって、一瞥体験とは、一時的に覚醒を体験するというものです。近年、一瞥体験をブログに書いたり、動画で配信したりしている方々が多くいます。しかし、それらを読んでみると、一瞥体験を神秘体験と間違えている方が見受けられます。そもそも、覚醒とは、本当の自分が真我、つまりすべてを認識する者であると深く理解することです。あるいは、真我そのものになっている状態をありありと感じることです。これから外れた体験は一瞥(覚
こんばんは^^今日は、覚醒一瞥体験後に悩んでいた、夢や願望の扱い方、、、先日までお伝えしてきた、2回の覚醒の一瞥体験。覚醒体験にいたった原因で共通しているのは、まず、とおっても嫌なことが起こったのがきかっけだったということ。で、一回どん底を味わったのは同じ。違っていたのは、1回目の体験は、「感謝のエネルギー」が1番のキーで、2回目の体験は、「絶望」「限界」「降参」「認める」「恐れと不安の滅亡」、そして、無‼️😂がキーでした。