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西武ライオンズホーム用1979年〜2003年ビジター用1979年〜1995年、1996年〜2001年略年表1979年《ホーム・ビジター共通》この年のみベルトレス。1980年《ホーム・ビジター共通》この年からベルト式に変更。カバー付きインナーベルトになる。1995年ビジター用はこの年まで。1996年ビジター用。ファン投票によりユニフォームデザインを変更。2001年まで。2001年ホーム用。NIKEのスウォッシュマークが左胸上につく。白いベルトはこの年まで。200
前回からのつづきです。ナゴヤ球場を一周し終えた私の最終目的地はレフトスタンド後方の球場外でした。伝説の一打と語り継がれたあの特大ホームランの追憶にふける為に。その伝説の特大ホームランとは、1988年ナゴヤ球場で行われた中日対西武の日本シリーズ第1戦。2回表に先頭打者として打席に立った清原和博が前年までの西武チームメイトであり、1988年セ・リーグ最多勝利投手に輝いた中日先発の小野和幸投手からレフト場外へ放った特大ホームランです。BBM2007年清原和博セット「輝きを忘れない。
★2018年10月24日(水)に掲載したブログのアップデート版です★(1979年西武ファンブックより)昨年の都市対抗で1試合17奪三振の記録を作った。独特のアンダースローからホップする球は威力がある。粘り強い性格が投球にも現れており、ローテーション入りが期待されている。口数も少なく地味なタイプだが内に秘めたファイトは誰にも負けない。アンダースローということもあって、ブラデントンではパイレーツの選手をはじめ、地元ファンの注目の的。大リーグとのオープン戦でもホップする球で真っ向から
(1981年西武ファンブックより)すっかりライオンズの一員になった。鋭いライナー性の当たりを左右へ打ち分ける技術は、さすが大リーガー。3年目を迎え、すっかり日本の投手のボールに慣れた。優勝を目指すバッティングをぜひとも披露してほしい。【1981年のタイロン】西武在籍:3年目(32歳)、背番号1一軍成績:開幕前に南海へトレード移籍の為、西武での出場成績無し開幕直前に名取和彦との交換トレードで南海ホークスに移籍。南海では125試合に出場。打撃では、打率.311、18本塁打
★2018年9月23日に掲載したブログのアップデート版です★(1981年西武ファンブックより)左右に打ち分けるバッティングのうまさは定評がある。3割を打った実績を生かせば、レギュラーポジションを獲得するチャンス。ファイトを外に出して、開幕からガンガン飛ばしてもらいたい。【1981年の鈴木葉留彦】西武在籍:3年目(30歳)、背番号6打撃成績:67試合、108打数24安打、打率.222、1本塁打、15打点、1盗塁【主な出来事】7月11日(土)対阪急・後期1回戦鈴木葉
西武OB戦翌日の3月17日(日)にMINTGAMES池袋店で行われたデストラーデ氏のサイン会&2ショットサイン会へ行ってきました。イベント2日前にはチケット予約も完売しており、当日会場には約60人のファンが集結。西武黄金期のユニフォームや帽子を着用したファンたちも10人位いました。ユニフォーム着用していたうちの一人は私です(笑)。オーレは前日のOB戦で右膝を故障していたのでイベント開催の心配をしていたのですが、松葉杖を突きながら来てくれました。今回書いて頂いたサインです。「H
(1980年西武ファンブックより)長身から投げおろすスピードボールが武器。まだまだコントロールは甘い面があるが、走りこんで下半身を鍛えれば、将来が楽しみな選手だ。【1980年の吉岡賢治郎】西武在籍:1年目(20歳)、※新人=戸畑商高からドラフト外で入団、背番号62成績:一軍出場無し(イースタンリーグ成績)投手成績:出場記録なし打撃成績:出場記録なし1979年オフに戸畑商高から、ドラフト外で西武に入団。入団一年目の1980年は、二軍での登板機会も無いままシーズンを終えた
【2006年の炭谷銀仁朗】西武在籍:1年目(19歳)、※新人=平安高背番号37成績:54試合、25安打、打率.181、3本塁打、14打点、0盗塁2005年高校生ドラフト1巡目指名で西武へ入団。BBM2006年ルーキーエディションNo.182006年は、高卒新人ながらキャンプから頭角を現し、オープン戦で打率.321、2本塁打、6打点、守りでも5割近い盗塁阻止率を記録した。2006年球団発行カードそして開幕戦となる3月25日対オリックス1回戦(インボイスSEIBUドーム