今年のキノコ観察は終了したので、代わりに松山市を流れる石手川の散策をしました。石手川は元々湯山川と呼ばれており、しばしば洪水が起こる暴れ川でした。戦国時代から江戸時代初期かけて過度の森林伐採が行われ、森林率が30%まで低下したため森林の保水力も下り、洪水が起こり易くなっていました(現在の森林率は67%)。戦国大名には戦争の強さだけでなく、治水能力が求められました。1595年に松山入りした加藤嘉明は重臣の足立重信に暴れ川の湯山川の改修を命じました。足立は湯山川上流の岩堰で岩盤掘削を行なって別の流路