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フォロワーの皆さんサワディーカップ。ジェイ(^^)です。もう10月も半ば。しかしまだ暑い日も有ります。パタヤに行かれてる読者さんもおられ、観光客が殆どいなくてモテモテだとか。また新人さんも多く入店されているようです。こんな時は絶好のオキニ探しが出来ます。楽しんで来て欲しいですね。ではブログの続きです。どうしても、チェンマイにいる妻と子供達が忘れられないのか?玉本は、空路がダメなら陸路とばかりに拠点をフィリピンから90年代にカンボジアへ拠点を移す。カンボジアでも当時、比較的安全
本日はトゥール・スレン虐殺博物館に行って来ました。※残虐な拷問死の写真多数あります名も無き人たちのお墓が出迎えます。もともとは高校の校舎でした。子どもたちの笑い声、静かな授業、マンゴーの木。『マンゴー学校』という意味の学校名でした。そこをクメールルージュ(ポル・ポト率いる政権)は拷問施設としました。秘密裏につくられた施設でS21と呼ばれ、このような施設がカンボジア中に多数ありました。窓に鉄格子を作りつけてました。各教室は拷問部屋でした。足を固定する器具と排便排尿用の缶がそのまま残
私は右翼団体に所属していた十代の頃など、軍歌もボリュームいっぱいな街宣車に乗り、共産主義撲滅など民族派、右翼団体としてのイデオロギーや主義主張に沿ったアジ演説をマイクを通して行っていたものです。(現在は特に政治思想などはありません)そんな中で、演説用に手渡された原稿には当時ソ連(ロシア)や中国、そしてこの映画の舞台でもあるカンボジアで行われた共産主義勢力による虐殺の実態なども書かれていたもので、この映画を観ている内に当時暗記の上マイクで演説していた内容がなぞる様に思い出さ
マンゴーの木が茂るトゥール・スレン博物館の続きです。《閲覧注意》残虐な拷問の絵があります美しいテラスのもと拷問施設、観光客がたくさんいます。ポル・ポト政権は1975年4月15日から1979年1月7日までの3年8ヶ月で自国民大虐殺を行い、当時人口800万人ほどのカンボジアにて300万人が亡くなったとされています(人数には諸説あるようですがキリングフィールド博物館では300万とあります)。この拷問施設S21に連れて来られた20000人中、生還者12人が確認されておりその中の7人の写真です。
まっとうな政治と宗教心永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)「(菅首相に対して)まっとうな国家観・歴史観を示せ」というタイトルの対談(櫻井よしこ氏vs加藤康子氏『月刊Will3月号』)の案内を見て、私も一文を書きたくなりツイッターで発信した。以下はツイッターの文章を少し敷衍したものである。世界はいま混乱の中にある。コロナ禍に見舞われそれに伴う経済的危機の中にある。このような状況下、まっとうな国家観・
⚠️ショッキングな写真あり。ご注意ください。カンボジアの負の歴史を学ぶためにこちらへ。トゥールスレン虐殺博物館·4.6★(9456)·博物館រាជធានី,សង្កាត់បឹងកេងកង៣ខណ្ឌចំការមន,St113,PhnomPenh12304カンボジアmaps.google.comトゥールスレンジェノサイドミュージアム。ここは元高校だったところだそうです。カンボジアでは1975〜79年の間に170〜200万人もの人々が虐殺されました。ここの