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思い出のプロ野球選手、今回は「田野倉利男」選手です。1970年代前半から80年代後半まで、中日およびロッテで活躍し、主に準レギュラーから代打の切り札を主戦場にしていた選手で、改名を繰り返した事でも知られています。【田野倉利男(たのくら・としお)】※他に「正樹」「利長」「利夫」などで登録生年月日:1954(昭和29)年4月3日入団:中日('72・ドラフト4位)経歴:早稲田実高-中日('73~'84)-ロッテ('85~'88)通算成績:746試合打率.2373
広島・佐藤柳之介パドレス・松井裕樹に弟子入り「衝撃的だった」奄美大島で合同自主トレ(スポニチアネックス)-Yahoo!ニュース広島・佐藤柳之介投手(23)が24日、広島県廿日市市の大野練習場での選手会合同自主トレに合流し、MLBでフル回転中の左腕に金言を授かったことを明かした。3日から21日まで、鹿児島県奄美大島でパドレnews.yahoo.co.jp佐藤柳がパドレス・松井と合同自主トレのニュース、二俣はブルージェイズに移籍が決まった岡本と、大盛はソフトバンク・近藤、そして田
スポーツ選手は、脂肪がなく、筋肉ムキムキのイメージですよね。しかし、ちょっとぽっちゃりしているプロ野球選手もいます。実際、ある研究データによると、日本のプロ野球選手の体脂肪率の平均は14.4±2.4%だったそうです。14%といえば、普通の社会人にもいそうな体脂肪率です。同じ研究データによると、サッカー選手は10.8±1.49%、バスケット選手は11.5±4.6%だったため、日本のプロ野球選手は明らかに他のアスリートと比べて太っているといえます。野
↑↑↑いつもたくさんのクリックをありがとうございますw!(^^)!2024年9月21日(土)の記録です。本日は清里の有名物件をお伝えします。ホテルキャデラックハウス、バブル期の象徴的なリゾート宿泊施設であり、若者たちの社交場となっていたところです。プロ野球選手だった江夏豊氏の経営とか言われているが、実際のところはどうなのか???初秋だと盛夏と変わらず、草茫々です。外からは建物もよく見えない状態です。し
保谷・大泉学園のピアノ教室「木村ピアノ教室」です。ホームページはコチラ先日、読売新聞で読んだ記事のこと。プロ野球日本ハムの山県秀選手(23)の紹介が載っていました。そこには、小学2年生の時に始めたピアノの事が書かれていました。プロ野球選手になるくらいだから、野球一筋で、他のことをする時間も惜しんで練習に取り組んでこられたのかと思いがちですよね。けれども、小学生の頃にはピアノコンクールにも挑戦して、本選までの2週間は野球の練習と並行してピアノの練習を必死にされていたとか
思い出のプロ野球選手、今回は「青木実」選手です。1970年代後半から80年代中盤までヤクルトに在籍し、主に代走や守備固めとして出場した控え選手でしたが、1981(昭和56)年には盗塁王を獲得した選手です。【青木実(あおき・みのる)】生年月日:1954(昭和29)年6月20日入団:ヤクルト('74・ドラフト5位)経歴:横浜高-日産自動車-ヤクルト('76~'85)通算成績:558試合打率.229132安打2本塁打26打点79盗塁位置:外野手投打:右
本日の言霊2020.01.23広岡達朗氏は、万年Bクラスのお荷物球団だったヤクルトスワローズを初めて日本一に導き、創設まもない西武ライオンズを2度も日本一にしたことで、常勝軍団の基礎を作った名将である。王貞治氏も「日本一の知将」と称えるほど、勝つ気力がなかった弱小球団の選手たちの意識を変え、練習方法から戦い方、プロ野球選手としての生活の在り方までを徹底して指導した方である。そして、広岡氏は徹底的に「原理原則」を貫く。そこには「臨機応変」という言葉はない。だからこそ厳しく、一切の
通算成績(NPB・MLB合算)打撃成績打率:285本塁打:307打点:804安打:1291投手成績勝利:84勝敗戦:34敗防御率:2.74奪三振:1,249獲得タイトル・表彰MLB(メジャーリーグ)シーズンMVP:3回(2021年、2023年、2024年)本塁打王:2回(2023年、2024年)打点王:1回(2024年)新人王:1回(2018年)シルバースラッガー賞:3回(2021年、2023年、2024年)エドガー・マルティネス賞(最優秀指名打
朝8時起床。今朝は猫さんの調子が良いようで、私がトイレに起きたら「ゴハンかな?」と思ったらしく、炬燵から這い出てきてゴハンのお皿の前にちょこんと座って大欠伸をしていた。時間は7時前だったので、トイレを済ませて帰ってきた私は、猫さんの頭を撫でて「もうちょっとだけ寝かせてー」と言って逃げるようにベッドの中へ。で、1時間ばかり寝させてもらった、という感じです。テレビでは埼玉県で起きた道路の陥没の話題多めかな。やっぱり文春の訂正記事で、フジテレビ中居正広問題はターンダウンした模様。でもさ、な
元プロ野球選手である落合博満は1989年オフ、契約更改後の記者会見において年俸について記者から質問を受け「この前、言うって言ったもんね。165(いちろくご)」と、さらっと発表。「いちろくご」とは、年俸1億6500万円を意味し、数値を見るだけでも分かる大金をまるで、野菜の値段を言うかの如くなあっさりとした発言が、印象的でしたがこの発言が、後に渡ってもクローズアップさせるに至ったきっかけはバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした(現在終了)」の1コーナーであった、
沖縄出身のプロ野球選手による野球教室が27日、宜野湾市で開かれました。この「ベースボールフェス」は、スポーツを通した子どもたちの育成を目的に県出身の選手でつくる「プロ野球沖縄県人会」が2018年から毎年開いているものです。【写真を見る】オリックス・宮城大弥投手らが地元で野球教室「プロ野球沖縄県人会」が宜野湾市でベースボールフェス開催この日はおよそ100人が参加し、地元出身のオリックス・バファローズ・宮城大弥投手ら7人の選手が指導しました。子どもたちは投手と野手に分かれ、相手の胸に向か
輝く資格取得者輝く資格取得者その26|商工会議所の検定試験プロ野球選手から公認会計士の道へ(CPA会計学院講師池田駿さん)簿記資格を生かして、社会で活躍する方を紹介する本コーナー。今回は、元プロ野球選手で、現在はCPA会計学院講師の池田駿(いけ…www.kentei.ne.jp元々大学の商学部出身の方だそうです。私も、同じレベルにはなれないけれども、精進いたします。
思い出のプロ野球選手、今回は「永射保」投手です。記念すべき200回ですが、1970年代前半から90年代初頭まで19年間、ライオンズの激動期含め多くの球団を渡り歩いた左のサイドスロー投手で、中継ぎを中心に息長く活躍を続け、1978年のピンクレディー大ブームの時にリリースされたシングル「サウスポー」のモデルになった投手としても知られています。【永射保(ながい・たもつ)】生年月日:1953(昭和28)年10月3日没年月日:2017(平成29)年6月24日(63歳没)入団:
「やらされてる感から自分でやる👊😃」へこれがめちゃくちゃ大事なんだと思います。最初からやりたくてやるが理想なのは間違いありませんが、やりたくてやるを待っていたら、そもそもプロ野球選手になっていなかったかもしれません。これプロ野球の大洋ホエールズへドラフト3位で入団してからベイスターズで生涯過ごして活躍された<野村弘樹>さんの事です。YouTubeチャンネルの<ダグアウト>と言う番組でPL学園同期の<片岡篤史>さんと一緒に出
【広島】鈴木本部長「言えること何もない」オンラインカジノ問題申告者いた場合「法律的処分を受けてから」(スポーツ報知)-Yahoo!ニュースオンラインカジノ問題で日本プロ野球機構(NPB)が27日に新たに7球団で14人の利用が判明したと公表したことを受けて28日、広島の鈴木清明球団本部長は「自己申告者がいたか、いなかったか、言えることnews.yahoo.co.jpまぁ何とも歯切れの悪いコメントですね。日本ハムは居なかったと報告らしいし、山岡のいるオリックスを含めると8球団だと
XのメッセにてDoragonsさんからリクエストがありましたので綴ります清原和博氏の選手時代について語る時、多くの人が枕詞のようにある単語をつけます。育成失敗。これは勿論半ば冗談交じりではありますが、それでも本気度もまた少なくとも“半ば”では済まない程度に語られることが多いように私には感じます。勿論、“事実・成績・数字”に目を向ければ、本来失敗などとは口が裂けても言えません。歴代5位となる通算525本塁打を筆頭に、同6位の1530打点、2122安打は30位に位置し、OPSは7800打数を
色々なメディアでも報道されましたが、10/23プロ野球ドラフト会議が行われ、元中日ドミンゴ・グスマン氏の息子さんとして有名な幸福の科学学園那須本校のエミール・セラーノ・プレンサ君が、ソフトバンクから育成枠7巡目で指名を受けました\(^o^)/☆なぜ、幸福の科学学園野球部、そしてエミール・セラーノ・プレンサ選手は目覚ましい成長を遂げているのか。今回はその理由に迫った「ザ・ファクト」さんの動画をご紹介いたします☆※また、エミール選手と同じくプ
ドッジGO!GO!2002年7月27日公開ドッジボールに奮闘する小学6年生の女の子の姿を、韓国の少年少女との交流も交えて、ハツラツと描く。あらすじゆきこは“みなとドッジキッズ”というドッジボールチームの一員。しかし強敵“山手ドッジファイターズ”には、いつも負けてばかりだった。小学6年生のゆきこにとっては最後の大会が近付いてきたが、チームのみんなは早くもあきらめムード。次々とメンバーが抜けていき、練習場の取り壊しも決定してしまう。メンバー探しに奔走するゆきこに、運命の悪戯が。プロ野球選手だ
おはようございます昨日の大寒から一気に寒くなりましたねなので今日はほんわか温かい写真をね。私の孫です・・・・・いやいや長男ちゃんです。炬燵守りしながら数十年前のアルバム見てましたら出てきましたよ。このころはとても可愛い(親バカ)想い出一杯末はプロ野球選手か?プロゴルファーか?英才教育施しましたがなんせ親が運動音痴なもので大成せずに
今春、友達の息子君(27歳)が結婚した海外生活が長くて英語もフランス語もペラペラで国立大を卒業して、商社勤務。しかもイケメンそんな優秀な自慢の息子君友達、さぞかしハッピーと思いきや「なんか(息子を)取られちゃったって感じ。」とそっか。取られちゃった…か分かるような分からないような。ものすごくせつない気持ちが伝わってきて、ちょっと胸が痛んだ私、某プロ野球選手のママとお付き合いがあってそのママも同じような事言ってた。お弁当作って、毎週野球の送り迎えして、チームのお茶当番
思い出のプロ野球選手、今回は「木村広」投手です。1980年代前半に中継ぎ投手として活躍し、最初は同じライオンズにいて目まぐるしく球団名が変わり、最後の3年間はすべて所属球団が変わる渡り鳥人生を送りました。【木村広(きむら・ひろし)】生年月日:1953(昭和28)年8月17日入団:日本ハム('75・ドラフト5位)経歴:口加高-日大-太平洋・クラウン・西武('76~'83)-日本ハム('84)-大洋('85)通算成績:75試合4勝2敗3S140⅔投球回0完投0