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さてと本日はちょっと間が開きましたが、川崎市幸区の政令指定都市ぽくない風景のお話。神奈川館川崎市の発祥は現在の川崎國(川崎区)と横浜市鶴見区の鶴見川東岸(現在の平安町等・後に横浜市に編入)と幸区で、後に現在の中原区や高津区等が合併したのが1933年(昭和8年)で、江戸時代の宿場町として名を馳せた『川崎宿』が明治時代に衰退した後は、川崎大師参拝客の鉄道輸送や現在の『京浜工業地帯』のベースとなった海岸地区に工場を誘設していくのでありますが、当然ながら人が増えればそれなりに色々な問題を起こす人間もこ
<伊賀トーチカ裏に高低差のあるU字横穴壕が>先月、拙著読者で近代化遺産(主に戦争遺跡)研究家でもあるアメブロガー、pearlwhite氏が徳島市の眉山山中で陸軍のトーチカを発見した。その場所は、陸軍第155師団第450連隊第二大隊第五中隊が徳島空襲時まで、陣地を構築していた所である。具体的な陣地範囲は、そのトーチカ(仮称:勢見1号&2号トーチカ)のある尾根から北の青眉霊苑下方のダムが連続してある水路付近までである。因みに徳島空襲後は、竹林院東方に本陣地、北方に予備陣地を造営していた。そちら
前回、ご紹介した坂本少佐操縦機のB29撃墜への体当たりについて、今回はB29側の搭乗員慰霊碑についてご紹介致します。坂本少佐の慰霊碑は遺体発見現場の山中でしたが、B29搭乗員の遺体は機体が墜落した有明海沿岸に複数漂着しており、慰霊碑はその有明海沿岸にある小長井小学校校庭に鎮座しております。B29撃墜と機体及び遺体収容からその後の経緯等について、前回同様、諫早市HPにその詳細が載っておりますので、こちらをご紹介致します。小長井港沖米軍機B29引き揚げ子どもたちへの伝言
前回ご紹介した広島電鉄株式会社千田車庫の裏側に年季の入ったレンガ造りの建物が目に入ります。この建物は広島電鉄の前身である広島電気軌道が開業した1912(大正元)年、今の広島電鉄の千田車庫(広電本社前)に残っているレンガ倉庫(右)と、隣接する鉄筋コンクリート造りの建物(左)の2棟です。当時は煉瓦造の地上1階地下1階の2棟で「広島電気軌道火力発電所」と呼ばれておりました。1934年(昭和9年)老朽化と能力低下のため発電所は廃止となり、発電機棟が変電所、ボイラー棟が資材倉庫となりました。変電所
東京都の港区札の辻にはかつては処刑場があった。徳川家光の命令で札の辻で多くのキリシタンが処刑された。有名な宣教師をはじめその中でも武家で中心的役割をした原主水佐(もんどのすけ)もいた。※キリシタン弾圧の舞台川口の回参照その札の辻も今はどんどん変わって行くこの辺りに処刑場があったのだがちょっと歩いてみるとこの三田ツインタワーの中にその遺跡はあったそれもしっかりとど真ん中に公園のような中庭の階段丘の上で、街道を歩いている人から良く見える