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1984年2月23日、蔵前国技館でのダブルタイトル戦にて、ニック・ボックウィンクルを破り、念願のメジャータイトルであるAWA世界ヘビー級王座に輝やいた、ジャンボ鶴田が最盛期のテーマ曲。このテーマ曲にはいくつかのバージョンが使用されているが、”究極のテーマ曲コレクター”である村田氏の解説によると、「この曲は、1984年に当時のプロレス中継担当スタッフから依頼を受けたプレイヤーズの鈴木宏昌氏が作曲、録音したもので、ニューテーマとして試験的にTV中継で使用されたものが始まり。ジャンボ鶴田
1973年4月20日の群馬県吉井町体育館の興行を最後に日本プロレスは興行を停止しました。事実上の崩壊だね日本プロレス社長の芳の里は崩壊を見考して残っている選手を力道山家を通して全日本プロレスで預かってもらおうと動いていたのだ。そして力道山家や日本テレビ等々の仲介で全日本プロレスへの合流が決まった。日本プロレス残党の受け入れはジャイアント馬場さんとしては迷惑な話しかなかった。しかし、日本テレビや力道山家のバックアップを受けている立場として渋々受け入れた。馬場さん、全然笑ってないね馬場
見ましたか!?プロレスクラシック~伝承~第32回の放送を!ビガロ、ゴディ、ブッチャー、シン、そしてウイリアムス!誰疑うことなきスーパーヘビー級の怪物たちが次から次へと登場し、眩いばかりのライトに照らされたリング上でまさしく人間離れした激しい戦いを次々と展開していく。これが我々が心底愛した真のプロレスであり、馬場王国の真骨頂といえますよね。ということでもう一度、今回の放送のラインナップを振り返ってみましょう!プロレスクラシック~伝承~第32回『1990.6.8小橋、試練の闘い』放送
ジャスト日本です。有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。今回のゲストは、「魂の絵師」連れてってくれ1000円さんです。(画像は本人提供です)連れてってくれ1000円小学生の頃にプロレスに心奪われ、中学生の頃に三沢光晴に命を救われたノアオタ。イラストや動画などを通じてプロレスの面白さ
ジャスト日本です。プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。プロレスとは何か?その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。有名無名問わ
こんばんは!!今日は仕事が休みだったのと、昨日ショップでバイクの定期点検をしてもらったので、富士山の周囲を1周するツーリングに出かけました!!まずは駿河小山、富士吉田を経由して笛吹市まで行きましたが、5月13日がプロレスラーだった故ジャンボ鶴田さんの命日だったので、山梨市の牧丘にあるジャンボ鶴田さんのお墓に寄っていく事にしました。国道140号線を雁坂トンネル方向に進み、牧丘フルーツセンターの交差点を左に曲がって坂を上った慶徳寺にジャンボ鶴田さんのお墓があります。この日は
はんでめためたごっちょでごいす!いつも同じような絵ですが南アルプス山へ行きてえなあ~今年は寒いけどあんま山が白くならんな。日本海側が荒れてたときは南アルプス、八ヶ岳も荒れてるように見えたけど雪が増えたようには見えんのよね。膝の骨折の治りがイマイチで。運動できんから太って困る。さて、お題目のお肉屋さん、長谷川精肉店山梨市牧丘町プロレスラー、故ジャンボ鶴田さんの出身地です。西沢渓谷や大弛峠(金峰山登山口)に行く道中にありますが旧々国道140号沿いにありますので登山者でも見たことな
NWA世界ヘビー級王者リック・フレアーの突然の来日キャンセル。その遠因はWWFにあったのです。WWFはこの頃、全日本プロレスと新日本プロレスの協力を得て日本で大会を開く計画を進めており、それはほぼ決定していました。WWFは、これ以前に単独で日本進出を計画していた事があります。因みにその時の日本遠征組のエースはリッキー・スティムボードとタイガー・チャン・リー(タイガー戸口/キム・ドク)。日本での大会なのだから東洋系の2人をエースにすれば大丈夫だろうという……リサーチ不足にも程がある計画でした。