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AdieuRomantiqueNo.711『僕は喫茶店とコーヒーと雑誌が好き』~冬の陽だまりの喫茶店にて~植草甚一の名エッセイ『僕は散歩と雑学がすき』のタイトルを引用し、シリーズで書いている『僕は喫茶店とコーヒーと雑誌が好き』の続きで。季節は極寒の冬。僕自身は夏の生まれなので、いくら暑くても手が千切れそうになる冬よりも夏の方がずっと好きだ。休日の冬の朝は
かなり時間が過ぎてしまいましたが大好きな女優さん、いしだあゆみさんが先日逝去されました。。年齢的には私のかなり上ですが美しいだけでなくとにかく上品。立っても座っても品がある✨️喋り方もハスキーなのに品があってアンニュイで⋯私は勝手に「日本のカトリーヌ・ドヌーヴ(若かりし頃)」的な憧れの目で拝見しておりました。時代を作った歌手でもあったことは訃報で改めて認識した私⋯幸せだったわ、ありがとうこの言葉、1974年のリサイタルタイトルだったのかな。でもこの言葉こそ、あの世に逝かれた
一昨日の建国記念日(紀元節)の夕方にNHKで放映された第20回NHK紅白歌合戦は、1969年(昭和44年)の大晦日の生放送の完全版とか、、、昭和歌謡ファンとしては、見どころ満載でしたねこの日については、1999年にNHKが紅白50周年記念のガイドブックがあったのですが、、、やはり映像を音声で確認したかったところなので、うれしカルカルでしたね、、、第20回NHK紅白歌合戦をウィキレばカラー本放送は、放送用ビデオテープ(2インチVTR)に収録されたとされているが、放送終了後
このことは、一度書いているとばかり思っておりましたが、私のブログに「梅宮辰夫」と、「前略おふくろ様」で検索をかけても、出てこなかったので、もし重複していたらごめんなさい。年末年始に、弟のところにお邪魔したとき、YouTubeで、私に見せたいものがあるといって、タブレットで見せられたのが、「前略おふくろ様」のワンシーンでした。兄弟とは恐ろしいもので、このドラマのなかで、私が最も好きなシーンでした。萩原健一扮するサブは、チンピラに怪我をさせたことで、その兄貴たちに呼び出され、喫茶店で賠償金を払
1975年日本テレビ東宝株式会社渡辺企画(渡辺プロダクション)監督児玉進(東京バイパス司令、太陽にほえろシリーズ、傷だらけの天使、華麗なる刑事、乱れからくり、大空港、裸の町、ザ・ハングマンシリーズ、愛のホットライン、ザ・ハングマン6)脚本市川森一(仮面ライダー、太陽にほえろ、傷だらけの天使、山河燃ゆ、モモコシリーズ、寂しいのはお前だけじゃない、異人たちの夏、往診ドクター事件カルテ、長崎ぶらぶら節、精霊流し、生きる、TAJOMARU)音楽井上堯之、大野克夫
3月26日はショーケン兄さん(萩原健一さん)の命日すっかり忘れていましたが、2019年で齢68歳だった、、、唐突ですが、やめられない、とまらないのは、かっぱえびせん河童がえびせんが好きなのか、よくわかりませんが、、、限定版があって、関西だししょうゆ味、桜えび100%関西だししょうゆ味も美味しかったが、、、やはり、この時期、桜えびで100%には、心惹かれて、食すれば、美味しかったですよぉぉぉ安売りスーパーでは、通常のかっぱえびせんよりも少し価格は高かったが
原作:連城三紀彦『戻り川』監督:神代辰巳出演:萩原健一、原田美代子、藤真利子、加賀まりこ原作を読んだので、映像でも見てみました。いや、原作の文章が見目麗しく、文字を絵の具にした絵画をずっと見せられているような作品だったので、それをわざわざ映像にするって相当勇気あるな、と思いました。贔屓目で評価していると思いますが、1980年に文章で描かれた絵画と1983年に銀幕で映された画像では、前者の方が圧倒的に鮮明です。1983年といえば小生は高校生になった頃。思い返せば、映像の世界は
僕のあるサイトへの投稿名台詞ベストテンは反響けっこうあって、募集してないのに勝手に自分の思う名台詞コメントして来ています。ベストテン圏外だった「宇宙戦艦ヤマト」沖田艦長「地球か何もかみな懐かしい」僕なら入れるな☆「ルパン三世」なら峰不二子「裏切りは、女のアクセサリーよ」がいいよね。五ェ門「まだつまらぬものを斬ってしまった」も入れとこ☆「八つ墓村」「祟りじゃあ!」はダメかな?☆「悪魔の手毬唄」金田一の「磯川さん、あなたリカさん愛してらしたんですね」.これは名台詞だよね☆「柳生一族の
先日、商談や打合わせのため久しぶりにメンズビギの本社に行った。実は㈱メンズビギは今年の4月に㈱ビギと合併したので、厳密には㈱ビギの本社である。もともと今から50年前に㈱ビギから独立したのが㈱メンズビギだから、元の鞘に収まったかたちだ。1970年、稲葉賀恵氏をデザイナーに原宿表参道の小さなブティックでレディースからスタートしたビギだが、その後徐々にビギのメンズ版を企画するようになる。当時はまだ“ビギメンズ”と呼ばれ、デザイナーは菊池武夫氏。ちなみに当時お二人はご