ブログ記事265件
ほんなそんなで、サンハウスのファースト『有頂天』を24年振りに買い戻ししたよ。もち、帯付きでね。2000年秋の壊滅的な経済危機の時に処分してしまっていたのだよ。その後ゲットしたCDのボックスで音源は聴けたのたけど、やはし、オリジナルのアナログは欲しかったのでね。もち、1975年の発売時にちゃわんとゲットしていたのだよね。前年の渋谷公会堂のフェスで初めてサンハウスを観て、こりはヤバいよねと注目していて、自主制作シングルの「キングスネークブルース」もご購入はなさっていたけどさ。して、テ
※「UP-BEATとは何者か――Respectup-beat9月16日(月・祝)小倉FuseⅠ」からの続き門司から一駅、小倉駅は新幹線が止まるだけのことはある。巨大で近代的な駅舎で、駅ビルなど、様々な施設も隣接する。同所からはモノレールも出ている。モノレールの小倉線は、福岡県北九州市小倉北区の小倉駅から小倉南区の企救丘駅までを結ぶ北九州高速鉄道の跨座式モノレール路線。小倉城側に駅を出ると、目の前は大きなロータリーがあり、多数の商業施設、アーケードなどが伸びる。東京近郊だと、吉祥寺
『高塔山ロックフェス2019』の翌日、戸畑や門司、小倉など、北九州の街を巡ったことを書いた。実はその物語には続きがあった。若松から戸畑への渡船場に向かう手前に洞海湾に面して「旧ごんじり小屋」というのがある。同所の案内板にはこう書かれていた。“かつて日本一の石炭積出港として栄え、日本の近代化を支えた街、若松。石炭と港がこの街のシンボルであった。この街を力強く支えていたのは、石炭荷役人の陸仲士・沖仲士たちであった。明治中頃のより、主に西日本の各地から石炭ラッシュに沸く若松に集まってきた彼らは
※「続・高塔山伝説――ロックの神々が舞い降りたⅠ」からの続き大江に続き、登場するのはやはり北九州出身の広石武彦率いるRespectup-beatである。up-beatをリスペクトし、同バンドの珠玉の名曲を演奏するために集まったバンドだ。広石は1986年にup-beatでメジャーデビュー。その華憐なルックスと確固たる音楽性で瞬く間にスター・バンドとして、平成バンド・ブーム以前のバンド隆盛をBOΦWYやブルーハーツとともに牽引した。up-beatそのものは95年に惜しまれながら解散。同年に広石
PHOTOBYMARIKOMIURA随分前、1988年のことだった。THEROOSTERZの解散の際に“S”時代を含め、歴代のメンバーを取材し、彼らの軌跡をまとめる原稿を書いたことがある。勿論、大江慎也へも取材した。北九州まで飛び、彼に話を聞くと同時にTHEROOSTERSがアマチュア時代に練習スタジオとして使っていた小倉の楽器屋も訪ね、当時を知る方にも話を聞いている。多分、それが初の北九州行きだった(勿論、福岡はそれ以前、彼らを含め、“めんたいロック”なる言葉が誕生する前
2月25日(火)に東京・下北沢ガーデンで開催される〜KAICHO"69"BIRTHDAYSPECIALLIVE〜『九州音楽業界のBOSS福嶋会長を慕うミュージシャンが一同に集まりスペシャルバンドを結成し祝う夜』は福岡発のロックが好きな方は必見だろう。昨日から前売りが開始された。福岡の音楽にそれなりに精通しているつもりだったが、福岡の音楽界は奥が深い。知らないこともたくさんある。実は上記のライブを知ったのはTHeROCKERSの穴井仁吉のSNSだった。福嶋会長の69歳を祝うため、福
5.4@ゆぐどらしるちいさくてもあたたかい食と音楽の夜初の試みだったが目的通りで良かった!!唐津のみっちゃんもプレゼン出来た!!佐伯美智子出版に向けたクラファンは👇👇https://for-good.net/project/1000727/preview/Jn003MRvN3THEONEDROPワタスが初開催でまさかの休み取れず...運営代行ありがとうございました✨️これからもお互い高めあえる感じでヨロシク!!だじゃたまご(野崎さん)ステージギリギリ間に合っていきなり
梶浦雅弘との付き合いは長い。だからといって、個人的な交流などはないが、少なくともプロデビュー前、THEMODS以前の彼を知る貴重な生存者(笑)であると自負している。随分前、コロナ以前の2019年3月10日(日)に東京・下北沢「Club251」で行った彼のバンド、TheBluesOneNightsのライブリポートはいまだに多くの方に読まれているようだ。彼の名前で検索すると、同記事が度々、出てくる。彼がTHEMODSを脱退したのは15年以上前だが、いまだに彼のことを気にかけている