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621号車@瓦町小田急ロマンスカー由来のクーラーキセ元々は3100形NSEに取り付けられていたものだそうで…!
こんにちは。木更津東ロータリークラブは香川県の坂出市にある坂出東ロータリークラブと姉妹クラブ締結をしております。その坂出東ロータリークラブが創立55周年を迎えられたので、坂出東ロータリークラブと木更津東ロータリークラブの記念合同例会に参加してきました。合同例会は20日の夕方からですが、私は金曜日の夕方から高松に向かいました。いつものとおり木更津駅から羽田空港へ高速バスを使い、羽田空港から飛行機で高松空港に移動です。この日は食事をして終了です。20日は、まずこんぴらさんに行
1泊2日四国一人旅羽田から搭乗するのは20時15分発のJAL高松行き羽田から四国に向かう最終の便です。搭乗前の夕食は、まい泉のカツサンド&エビカツサンドエビカツサンドはよかったけど、カツサンドは万世のほうが好みかな。座席は特等席が取れました。クラスJのすぐ後ろ、普通席の最前列足元ひろびろ席です。この列、私だけ。クラスJも二人しか乗っていなくて、全体的に空いていました。▼高松空港までの飛
623編成@塩屋~房前志度線の有名撮影地へ晴れ渡ってくれたこの日、想像以上の絶景でした!
香川旅行記7.の続きです。朝食にうどんをいただいた後は金刀比羅宮へ。「こんぴらさん」と呼んでいましたが、「ことひらぐう」が正式名称なんですね。まずはレトロカッコイイことでんを見てください琴電琴平駅の外から。大学時代に友達と来たんですが、その時と観光案内図が同じでした(たぶん)。人の流れについていけば地図なしでも行けますが、一応駅で貰っておくのをオススメします。表参道。この時点で9:50。階段スタート昔は無料だったような??途中のお店でも貸し杖あります。同じ100円。数
車窓に飛び込んでくる志度湾の絶景高松近郊の通勤路線で見れる光景とは思えませんね。
こんにちは、いちこです旅行の為に働くアラサーフルタイムパート母の、3歳の息子きーくんとダンナとの毎日、子連れ旅行、2人目妊活をつらつらと書いてるブログです。自己紹介はコチラ過去の旅行記録です現在の情報とは異なる点があるかと思いますが、ご容赦願います。2018年7月*きーくん2歳9ヶ月前回の旅行記事→★の続きで夕食時のスタッフさんの対応について書くつもりだったのですが、よくよく考えてみると旅館名も出してしまっているし、何よりもプールも温泉もお食事も堪能でき他のスタ
香川県内に3つの路線を展開しているローカル私鉄、高松琴平電鉄(ことでん)が2025年度から新車投入による車両の更新を行うようです。2月12日の朝日新聞デジタルの記事によると、香川県が2月9日に発表した2024年度当初予算案で、ことでんの新型車両設計費の一部として9000万円を盛り込んだということです。なぜ香川県の予算に私鉄であることでんの車両新造の費用が計上されるのかというと、この車両設計の費用2億円のうち9割が国、沿線市町からの補助金で賄われるためだそうです。ことでんといえば、昭和の頃は
「ことでん」こと、高松琴平電気鉄道。香川県にある鉄道会社です。ことでんは高松築港から「こんぴらさん(金刀比羅宮)」のある琴電琴平を結ぶ琴平線を中心に、3本の路線があります。京急電車のお古が主力車両(志度線は名古屋市交通局のお古)です。100年の歴史を刻んできたことでんですが、2001年に倒産してしまいました。これは鉄道業の不振ではなく、副業のデパートの巨額の赤字によるものだったそうです。この時期、地元の新聞社が地域の人々にことでんは必要か?といった、ストレ
ことでんに新車導入ローカル私鉄「ことでん」が60数年ぶり新型車両26年度にも導入(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース香川県のローカル私鉄、高松琴平電気鉄道(ことでん)は28日、六十数年ぶりとなる新型車両を2026年度後半にも導入すると発表した。また、琴平線太田―仏生山間の新駅設置に伴い、26年には同線の複線区間news.yahoo.co.jpあのことでんに新車ですか❗
今日を逃すとお天気はどうもぐずつくらしい。お休みと花の開花具合がなかなかあわないけれど、今日は、行くべき朝早く起きて大洗濯をしたらLet,sgoやっぱり電車が好きなので、さくらとことでんの電車を撮りに行きました。ことでんは香川県唯一の私鉄で、琴平線、長尾線、志度線と3つの路線があります。三木町の白山神社へ走りました。白山神社はことでん長尾線白山駅からすぐ。ここは、お花見の隠れた名所だったのですが、最近SNSで人気が出て、結構人が多いのです。8時台の到着だったのですが、
こんぴらさん参りの途中の公園にある高灯篭です。途中といっても、ことでんの終着駅の琴電琴平駅の隣になります。公園の正式名称は「金刀比羅宮北神苑」です。日本一高い灯篭なので、「高灯篭」なのです。安易なネーミングですが、よくわかりますね。高さが27メートルもあり、当時は丸亀沖や丸亀港から見えたようです。1865年(慶応元年)に幕末に造られたようですが、船にとっては灯台の役割をはたし、金毘羅詣での人々にとって良い目印になっていたようです。高灯篭の奉納者は、