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「行動習慣で楽しい人生を~がんと明るく向き合う生き方」2022年6月いずみの会定例講演会ダイジェストみなさん、こんにちは。石川県の加賀市から来ました能瀬英介です。1954年生まれ、68歳になりました。がんを患ったのは12年前です。設立から32年という歴史ある「いずみの会」の皆さまにはどれほどお役に立つかわかりませんが、一緒に学ばせていただければと思います。私は菓子用の箱を製作する会社を経営しています。仕事も社員も家庭も、常日頃から「楽しい」を意識しています。今日も「楽しい」をテーマにお
すべて人任せにすると思考は停止する!自分基準で考えよう!14年前、46歳で膵臓ガンと診断された加藤一郎さん。担当医に、即刻の手術を申し渡され、看護師が手配のため電話に手を掛けようとした時、加藤さんは「待ってください。考えさせてください」と押しとどめました。脳裏に浮かんだのは、2つと同じものがない我が人体の貴重な内臓を、いとも簡単に取り除いていいのだろうか・・・?しかし、もし手術をしなかったら何年生きられるのだろうか?加藤さんが、担当医に率直に尋ねると、返ってきた答えは「単位がちがいます
<2025年1月5日・加筆修正>その1~その3は、前立腺がんと診断され、どの治療にするか、悩んでいる人向けに書いたものです。その4~その7は、私のトリモダリティ体験記です。<<<お願い(はじめに)>>>(1)このブログを立ち上げた動機は、2つあります。<1>動機の1つ目は、「恩送り」です。私ががん宣告を受けて、不安と恐怖にさいなまれているとき、HP「じじ..じぇんじぇんがん」の著者であるichiさんに励ましていただき、そ
「とにかく元気が出る講演会大阪」(2024年9月21日)にて、がんサバイバーリレートークに出演された金森正樹さん。当日は8分弱の短い持ち時間でしたので、この度フルバージョンで膵臓がん体験を取材させていただきました。◆膵臓がんが胃を圧迫して痛みが出ていた◆小澤お仕事から帰られてお疲れのところありがとうございます。早速ですが、発病からの経緯をお聞かせください。金森さん2018年の年が明けて間もなく(当時49歳)、胃の辺りが痛むようになりました。近所の開業医で何度か胃薬を処
<2025年1月1日・加筆修正>(17)プレプランプレプランのときは、『ヨウ素125線源永久挿入による小線源療法治療者カード』へのサインが必要なため、奥さん(または、保証人)を連れてくるように、と言われる。プレプランの内容は、私の師匠・ichiさんが「じじ..じぇんじぇんがん」の中で詳しく解説してあるので省略するが、私の場合、検査直後、お尻の穴から血が出たのにはびっくりした。だが、次の日には、治っていた。排便痛もなかった。ただ、プレプラン終了後の排尿痛は、きつかった
【お断り】*この記事は自然治癒を礼賛したり推奨するものではありません。あくまで一事例をご紹介するものです。体験されたこじまさんご本人も同様のお考えです。ガンの告知を受けた当初から人体をパーツのように扱うことに不自然さを感じていたこじまさん。主治医の勧める手術を選択せずに、2度とも自然治癒しました。「いま私の体に何が起こっていて、体は私に何を求めているのだろう?」…ガンはこじまさんを自己探求の道に誘(いざな)ったようです。◆「子宮、取っちゃいましょう。お子さん、一人いるんだし・・・いいで
私の経験が悩める人の行く道を照らす灯になれば熊野安芸子さん(右)「美と健康の仕事に携わってきた私が、なぜガンにならなければいけないの!?」当初はガンをまったく受け入れることができなかった・・・6クールの抗ガン剤で毛髪が抜け落ちた・・・何も食べたくなかった・・・熊野さんはそんな自身の経験を基に、昨年より「一般社団法人アピアランスケア協会」を設立して活動をされています。《病気やケガで外見を損傷した方の「一歩外に出る勇気」をサポートする》が協会のミッションです。熊野さん(
2度のがんでやっと自分と自分像が一致するようになった!20代での自殺未遂、2度の子宮の希少がん…それは、泰山さんの人生を進めて行くうえでどうしても通過する必要があったのでした。泰山理沙さん◆子宮を全て失うことで人生を進めて行くと覚悟した◆小澤東京のイベントで一度お会いしましたね。今日はオンラインで体験談を取材させて頂きます。宜しくお願い致します。泰山さんこちらこそ宜しくお願い致します。小澤ではまず、発病からの経過をお聞かせください。泰山さん2015年春の健康診断
<2025年1月1日・加筆修正>第二部<<<トリモダリティ体験記>>>(1)私は、cT2cN0M0、GSは4+5(solidpatternのある「5」)=9、生検の陽性率は59%、トリモダリティ治療直前のPSAは、5.052、硬結なし(ただし、生検前は、少し硬結あり)、移行域にもがんがあり、前立腺は、治療前は36cc(前立腺肥大あり)、年齢は、60代後半。NCCN分類によると、「5つ以上のコアで、グレ-ドグル-プ4または5に該当する」ため、『超高リスク』。
津波にのみ込まれたはずのこの命、何かしなきゃ!2018年6月がん治っちゃったよ!全員集合!(名古屋)講演より【松野三枝子(まつのみえこ)さんプロフィール】宮城県南三陸町在住。12年前、末期のスキルス性胃ガンと宣告され、食道、胃、胆管、胆嚢、脾臓、片腎を摘出。5年後、入院治療中に東日本大震災が起こり、津波に遭いながら九死に一生を得る。心身ともに変化が起こり、避難所で懸命に炊き出しを行い、再入院した病院でガンの消失がわかる。2014年1月、心の拠り所を作りたいと、夢であったレストラン「農漁
<2024年12月16日・加筆修正>(13)グリーソンスコアは4+4の高リスク2週間後、グリーソンスコアが判明した。低リスクか、せいぜい、中間リスクだろうと思っていたが、「3+4(1本).4+3(2本).4+4(7本)」だった。4+4が多いので、高リスクという判定になった。ショックだった・・・もうひとつショックだったことがある。それは、生検の陽性率が59%(10/17)もあったことだ。前立腺の広範囲にがんが散在しているということだ。「4+
<2024年12月27日・加筆修正>(8)治療群と無治療群で、死亡率に差がない?前立腺がんのことを調べているうちに、ニューイングランド・ジャ-ナル・オブ・メディスンという超有名な医学雑誌に、衝撃的な論文があることに気がついた。ミネソタ大学のWiltT.Jらは、2012年7月19日号に、早期の前立腺がん患者を「治療群(全摘)」と「無治療群」に分けて、10年間の死亡率を調べたところ、統計学的に有意差はなかった、つまり、同じだった、という報告をした。さらに、Wiltらは
<2025年1月5日・加筆修正>(8)前立腺がんを甘く見てはいけない。その1でも述べたように、世間では、「前立腺がんは、進行が遅く、おとなしいがん」と言われており、「前立腺がんは、かんたんに治る」「前立腺がんで、死ぬことはない」と思い込んでいる人は多い。たしかに、「85歳で死んだ人を解剖してみたら、前立腺がんが見つかった」という例は多い。これは、どういうことかというと、「前立腺がんは存在したが、死ぬまで悪さをしなかったので(前立腺がんが死亡の原因にはならなかったので
<2025年1月7日・加筆修正>---註:HDR(高線量率小線源治療)と粒子線治療の治療成績については、どうか、各自、調査してほしい。------註:非再発率のグラフを見るとき、気をつけなければいけないことがある。それは、ホルモン療法を併用している場合だ。たとえば、放射線や粒子線治療の場合、多くの患者が半年~2年のホルモン療法を併用しているが、真の非再発率を知るには、5年では足りないことがある(1年以内のホルモン療法なら、5年でもだいじょうぶ)。なぜ
運命の転地療法!九州在住の2009年、初期の舌ガンとわかり手術。その4ヶ月後、左頸部リンパ節に転移が見つかり顎下部の郭清手術。2013年春、ご主人の転職で新たな生活の地となったのが愛知県犬山市。そこでまさに“運命の転地療法”をスタートさせた紅葉さんにお話を伺いました。国宝犬山城◆口の中にもできるの!?◆小澤(紅葉さんとはすでに患者会で幾度もお会いしています)こんにちは。ご無沙汰してます。紅葉さんこちらこそ、ご無沙汰してます。わざわざお出掛けくださってありがとうござい
がんをきっかけに自分の軸で生きることにした!2020年11月いずみの会「体験談&交流会」にて祢宜田満代さん◆子どもたちに伝えるのが怖かった◆こんにちは。祢冝田(ねぎた)満代です。お話するのは不慣れですが、宜しくお願いします。簡単に自己紹介します。昭和48年生まれの47歳。家族は夫と子どもが4人います。上から21歳、19歳、18歳、11歳です。悪性リンパ腫が見つかったのが2015年2月で、当時は中学3年、中学2年、小学6年、年少でした。病名を告げられ、いちばん悩んだのが、
【がんと向き合うWORKBOOK】がんと告知されて、治療して、ともに生きるというジブンの「生き方」について、向き合うためのお手伝いをします!それが、「がんサバイバーコンサルタント」です。僕は、「がんサバイバーコンサルタント」として、一緒にがんと向き合います。<がんと向き合うWorkBook目次>はじめに-がんとともに生きるとは*この本の目的第1章:がんを理解する*がんという病気について*「がん」と診断されたときの気持ち*治療
がんは自分の魂とつながる旅!がん患者会NPO法人いずみの会事務所での講演収録より事情があって病院を受診したのは、しこりに気づいてから2年近く経っていました。2018年4月、進行性の乳がんは既にリンパや骨に多発転移し、診断はステージ4。医師からは延命治療しかないと告げられました。延命治療より自己治癒力で治すことを模索した渡辺さんは、広島から遠く離れた岐阜県の船戸クリニックに向かいます。そして、滞在型リトリート施設である「リボーン洞戸」に長期滞在を決意。環境を変え、自分と向き合い、スタッフに
私にとっての「良いイメージ」と「良い事」の積み重ねで肝臓転移は消えていった!2017年4月いずみの会ミニセミナー(名古屋市名東区)体験発表より要点をわかりやすくまとめて語られる伊藤奈津子さん2014年2月のある朝、目覚めたら右の乳房に激しい痛みを感じました。これは放ってはおけないと思い、会社を休んですぐさま婦人科を受診しました。前年の夏にも痛みを感じ、同じ病院でエコー検査を受けましたが異常はありませんでした。毎年欠かさず乳ガン検診は受けていましたから、何だろう・・・?と