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精神科医からみた平安の才媛たちその人と作品。最後はこの人!源氏物語の作者である紫式部。源氏物語を読んだことがない人でも、紫式部という名前は知ってるのではないでしょうか。ちなみに、源氏物語みたいな大作、とても私は読めませんでしたので漫画「あさきゆめみし」と、さらに子供のために買った漫画で読んだレベルの知識です。林真理子が書いてる源氏物語の本も少し興味ありますが。前回の清少納言と和泉式部の記事で、紫式部が彼女達を自身の作品の中で、こき下ろしてたとは書きました
前回のブログではリストカットという生々しいお話をしてしまい申し訳ありませんでした。その後、心療内科で漢方薬のみを処方されて、時に鬱々としたり落ち込んだりもしながらも、元気に平穏に過ごしてました。二人の子供の高校受験・大学受験と時は流れていきました。私は当時勤めていた職場を任期満了退職し、大学の臨時職員として働いてました。3年程勤めましたが、家庭の事情で退職し1年ちょっと専業主婦をしてました。ちょうど娘の大学が決まり、私もまた仕事をしようと就職活動を始めてま
自分の断薬後に、何人かの断薬成功者さんと出会うことが出来ました。ほとんどがSNS繋がりの知人ですが、セミナーに参加して出会ったリアルな知人もいます。私が個人的に縁があり出会って、連絡を取り合う仲の人達なので、現実にはもっと多くの断薬成功者さんがいると思われます。Twitterでは1人。Facebookでは1人。LINEチャットグループでは1人。(ほぼ同時期断薬の人が1人)直接会った人1人。私より後に断薬成功した人の数です。角界に1人です。私より後に断薬された
今日は、実家近くの整骨院のk先生に久しぶりに会いに行きました。ついでに電気を当ててもらい、頭首肩をマッサージしてもらいました。電気と言っても、脳に電気ショックを流したわけではありません。脳に電気ショック怖いですね。知人の脳外科医がそれだけは絶対にやめた方がいい!と助言してくれました。取り返しつかないことが起きる可能性あると。実家で療養中、整骨院には毎日のように通いお世話になりました。離脱症状中は頭痛が本当に酷くて、頭が痛い痛いとよく訴えて頭をマッサージし
辛かった過去の日記を読み返して、泣いてしまいました。現在、回復してきて元気になった事実だけを喜べばいいと自分に言い聞かせてます。それでもやはり心の傷になってるのでしょう。嫌な記憶は蓋をして忘れて、日常を楽しいこと興味あることでなるべく満たして回復を図るのがいいのか、こうしてブログなどに整理して書いていくことが心の傷の癒しになるのか、どちらがいいのか正直わかりません。とりあえず今日は、私が何故向精神薬の断薬する決意に至ったかを書いていこうと思います。こ
自殺未遂してしまった翌日、目覚めた私は、2階の寝室から1階のリビングに降りて行きました。夫は仕事に行って不在でした。それ以外の家族は全員起きてました。何か異様な雰囲気を感じ取りました。子供が、お母さん疲れてるだろうから、もっとゆっくり休んでいなよ、と言います。本能的にこの場を立ち去り、一刻も早く実家に帰らなくては!と思いました。父親に、一緒に実家に帰ろう!と訴えると、父親は泣き出しました。そして「ごめんな、お父さんにはもう何もしてあげれない、
今回は自○未遂のことを書きますので、読みたくない人は読まないでください。4年前の2016年8月どうにか精神病院への入院を免れ、再び関西の実家で療養することになりました。この夏はSSRIのジェイゾロフトの処方がマックスになり、まさに副作用のアクチベーション状態マックスになっていました。精神科病院への強制的な入院から救ってくれた娘でしたが、娘にとっては私が病んでからストレスが強かったのでしょう。私は度々子供達や夫に、おそらく圧迫感を与えるようなLI
いつも読んで頂きありがとうございます。感謝Շ”ਭପ(꒪ˊ꒳ˋ꒪)ଓ。ෆ。今日は息子のうつ病克服体験のお話の続きです。過去記事はこちらです。👇①息子がうつになりまして薬について②くーちゃんが我が家にやってきた日★⓷自律神経を整えるカイロプラクティック★⓸アパートを引き払う旅⑤突然の解雇と父親の存在それからも相変わらず我が家は家族4人で週末にドライブ🚙に行きあちこちに散歩しに行ったりするうちにみるみる元気になって行った息子…💕(自然治癒力を高めるカイロプ
離脱症状とコロナについて感じたことです。コロナが1年早くずれて昨年にきていたら、つまりは、私の急減薬期間と離脱症状急性期に当たっていたら。考えるだけで恐ろしいですが、もっともっと熾烈な闘いになっていたと思います。私はとにかく、反跳性不安がすごく強く出ていて、当時、そのことをなんて表現したらいいかわからず「不穏だ、不穏だ」と表現してました。早朝に起きて一階に降りて行き、やはり早起きしてる父親に、「不穏だ、耐えられない、薬飲む」と、身体を震わしながら訴えてました。
変ちくりんな離脱症状の続きです。。。④聴覚過敏これは変ちくりんというか、割とこの離脱症状を経験されてる方は多いですね。地味に辛い症状です。私も出ましたね〜。異常に音が大きく聞こえる!!まぁ、聞こえないよりはいいですけど。親も、私がテレビの音をいつも小さくするので困ってました。それでなくても、高齢の父親は耳が遠くなってるので、大きな音でテレビを見たがるのです。音が大きく聞こえすぎるって、神経に触るんですよね。頭も痛くなってくるし。それでな
自律神経を整えるカイロプラクティックへいつも有難うございます😊💕今日は前回の続きです『息子がうつになりまして⓶犬のくーちゃんがやってきた日』いつも読んで頂きありがとうございます😊今日は前回の続きです❣👇『息子がうつになりまして10年前の話』こんにちは!副腎疲労(低血糖症)回復中のここち…ameblo.jpここちゃんは抗うつ薬を飲まさない代わりに何かしなくてはとネットで検索していて見つけたのが自律神経を整えるカイロプラクティックでした。藁をもすがる気持ちで電話
「減薬断薬に一番大切なことは?」これに関して私は、減薬中に読んだ情報の中で、断薬体験者達が共通して同じ答えを述べてることに気づきました。知ること!知識を得ること!だそうです。日本の精神医療の実態・精神病の知識・向精神薬の知識・精神医療の歴史など。そして、何故向精神薬を断薬したいのか?何のために断薬するのか?やめた後にどうなりたいのかなどをハッキリと自覚することが、大切らしいです。私も、振り返りやはり、やはり一番大切なことは、知ること=知識だと思いました。
高温注意報の出てる大阪に外出してしまいました!暑かったぁ💦💦3時間睡眠ですが、1日フルに行動してしまいました。今日は以前から行きたかった、大阪万博記念公園にある岡本太郎デザインの太陽の塔☀️☀️の入場見学予約がとれたので行ってきました〜太陽の塔、想像してたよりBigで圧巻でした。太陽の塔には3つの顔があります☀️黄金の顔塔の頂部にあり金色に輝き未来を象徴☀️太陽の顔正面にあり現在を象徴☀️黒い太陽背面にあり過去を象徴実は私は背面に顔があることを知りませんでした
depressionうつ病うつ病は辛い。気持ちが落ち込んで何もやる気力がなくなり、食欲もなくなる。全てが停滞してしまったような状態になる。思えば私はメンタルは強くはないのでしょう。人生の中で何度か「うつ状態」になったことがあります。最初は大学生になり、実家を出て一人暮らしを始めた時。寂しくて少し鬱状態になりました。でもそのうち友達もでき、大学生活に慣れ元気になっていきました。社会人になり、東京で一人暮らしをして働き始めた時も、寂しくて弱っていきま
ブログを書き始めた初期に投稿した記事の再投稿です。離脱症状は抗うつ薬でも気分安定薬でも抗精神薬でも出ます。個人的には気分安定薬や抗精神薬の方が、本当の意味で悪性度は高いと思いますが、今回はベンゾジアゼピン系薬の離脱症状に絞ります。わたしはかなり離脱症状は酷かったです。発狂レベルと言っても過言じゃありません。でも、多剤大量処方からの断薬なので、ここは超えなくては断薬は無理だし、精神科と縁を切ることはできませんでした。常々書いてるのですが、ベンゾの減薬断薬は一括りでは語
SSRIジェイゾロフト抗精神薬セロクエルベンゾのメイラックス・レキソタン・ユーロジンでうつ病の治療を改めて実家で再び開始しました。当時は自分が人一倍向精神薬(おそらく薬全般)に弱い体質とはわかりませんでした。様々な副作用に苦しみました。副作用が辛くても、うつ状態が治るならまだ納得いきますが、なんだかうつ状態も当初のうつ状態より酷くなってる気がしました。後で薬の副作用についてはまとめておこうと思ってますが、どうにも辛くて、主治医に、うつも治らないし
私が経験した変な?奇妙な?変ちくりんな離脱症状の続きです。③歩く感覚が変になりましたこれも強く症状が出ましたね〜。足が地面の下15cmくらいめり込んでるような感覚に襲われるようになりました。(筋肉の強張りが異常に強く出たのでそれが原因かもしれないです)実際には、側から見たらしっかりと歩いてたかもしれませんが、自分の感覚としては、地面がまず水平に見えなくなって、地面がうねって見えてますし、足がズブズブと地面にめり込んでいく感じで、気分的には歩くのも辛いという感じになり
落ち着いてたホットフラッシュが最近また出てきました。前より回数多くなったのは気温が上がったから?でも、旦那は暑くも寒くもないって言ってるけど、私は暑くて暑くてしょうがないって時間が増えました。長時間続くわけじゃないけど、お風呂上がりのようにのぼせるような暑さが急にやってきて首周りがしっとり汗ばむ感じ。で、数分間ハンディファンで涼む。あと寝汗をまたかくようになって洗濯物が増えてますすぐ乾くからいいんだけどさまだホットフラッシュとうまく付き合えていません(笑)もうちょっと仲良くやって
ベンゾ断薬で不眠になり、丸3ヶ月くらい過ぎた頃寝れるようになった!と思い喜んだのも束の間、メジャー・気分安定薬の断薬でまたまた酷い不眠となってしまいました。離脱症状はなんといっても、ベンゾジアゼピンが有名です。抗うつ薬もきついです。パキシルのシャンビリなど有名です。でも、気分安定薬でもあります。またそれは後述しますが。またまた酷い不眠になりました春からの不眠に耐え続け、季節は過ぎていき秋になりました。この頃は不眠で精神的に追い詰められ、私はノイローゼ状
今回は私が向精神薬を飲んできて、しみじみと感じたことです向精神薬は女をダメにする!!女としての魅力をほぼ大半失います。その理由を列挙していきます(笑)・まずは性格が悪くなる。穏やかなゆったりとした気持ちはなくなります・便秘と下痢などでお通じが乱れます・肌荒れします・生理が乱れます(私はメジャー飲んでる時止まりました)・目が虚になり生気がなくなります(魅力ある女は瞳が生き生きとしてなくてはいけません)・薬によっては太ります(私はオランザピンで16kg以上
2023年7月乳がん告知2023年11月上旬入院・手術2023年12月上旬タモキシフェン開始2024年1月放射線治療16回終了左胸乳房部分切除浸潤性乳管癌組織学的グレード1核グレード1ステージ1リンパ転移なし脈管侵襲なしミルナルAタイプエストロゲン受容体90%プロゲステロン受容体90%ki674.4%断端陰性放射線科へ放射線治療終了してから約3ヶ月後。診察へ行ってきました。放射線科に行くのはこの時以来。『㊳乳がん放
梅雨明けした8月1日、全向精神薬を断薬して丸1年経ちました。長かったようで、過ぎるとあっという間の1年間でした。酷い離脱症状に苦しみ、泣いた日々も数え切れないぐらいありました。精神症状も出たので、かなりヤバかった日も数え切れないくらいあります。まだ身体に症状は残ってますが、なんといっても1番嬉しいのは、精神的に落ち着いてることです。今月1日から、上高地白骨温泉旅行に来てます。そこそこ重いリュックを担いで、昨日も今日も歩きまくりました!平地を歩く分にはかなり歩ける
入院して翌日は一日中拘束されてました。保護室は、廊下を入るとちょっとした空間があり、更に鍵のついた引き戸の扉があり、その奥にベッドとトイレだけがある部屋がある。そんな部屋でした。鍵のかかった扉には、小さな窓がついており、時々看護師さんが覗いてるのがわかりました。扉に小さな窓がついている、まさに刑務所みたいな部屋だな、と思いました。入院した夜から、私は諦めの境地に達してたので大人しくじっと横になってました。食事は看護師さんが来て、ベッドを起こしてくれ
今回も引き続き自○未遂の話になります。苦手な人は読まないでください。。抗うつ剤で変になってしまった私でしたが、結局行き着くとまで行きついてしまいました。新幹線のトイレの中でショルダーバックの紐で首を吊ってしまいました。これからのことは、後日家族から教えてもらいました。自分の記憶はなくなってしまってます。トイレからなかなか戻ってこない私を、父親は心配して探していたようです。夫とも電話で話し、トイレに行ったようだが戻ってこないと。。。車掌さんに話したほう
「初診でも3分で患者を診断する方法」前のブログでも少し触れましたが、これはKindleで読める精神科医のお方が執筆された電子書籍のタイトルです。プロフィールを読みますと、簡潔!分かりやすいがモットー💊精神科医、投資家、作家。医師が書く小難しい書籍に風穴をあけるべく執筆に邁進中とあります。この医師は精神科分野以外の本も執筆されてますが、精神科分野の本としては他にも「精神科とりあえずどうする??」とりあえずなんとかなる!精神科医レジデントのための裏処方が多数
昨日の朝の電話では死にかけ声だったので、さすがに体を壊してまで仕事はしなくていいのかなと思ってしまいました。なので、ついつい「今のあなたにはこの仕事は向いていないのだと思う。体を壊してまでする仕事じゃない気もする」とちばしってしまいました。お昼過ぎに準備かかりつけの精神科クリニックに受診して、その報告の電話がありました。結局1ヵ月休職と言う話になったそうです。その時に旦那が医師に、妻が仕事を辞めても良いのじゃないのかと言ったと話したら医者も「私もそう思う」と言ったそうです。今か
奈良の実家に来てます。3年半近く、実家メインで療養生活を送ってました。その期間、気晴らしや具合悪いわたしを少しでも元気つけようとして両親がちょくちょくいろんなお寺や自然の場所に連れ出してくれてました。しかし、向精神薬がたんまり入ってた私は具合も悪く、頭もボーとしていてあまり記憶に残ってません。元気だった頃は外出や旅行が大好きでした。ジムに通い、ダンスを習い、山の会に入り登山をして、冬はスキー。海外旅行もちょくちょくしてました。そんな生活が「うつ病」とや
オランザピンに続いてエビリファイに物申します。前回と同様、私は薬剤師でも医者でもないので間違ってるかもしれません。(でも医者が薬に詳しいってのは案外違うような気がします。山ほど薬があるので、通り一辺倒の知識だけで深くは知らない医者が多い印象を精神科では受けました)私はオランザピンで調子が崩れていったので、途中で主治医にエビリファイに変薬されました。エビリファイは大塚製薬が開発した日本のお薬です。非定型抗精神病薬の一つ。適応は幅広く統合失調症・双極
危険を冒さなければ手に入らないものそういうものって必ずありますよね!命をかけて全うしなければいけないような場面が巡ってくることが人生にはある。それについて文句を言ってはいけない!とは曽野綾子さんのお言葉です。曽野綾子さんはおん年91歳。ある程度のことはご経験されてる年齢です。そして、このように仰ってます。危険を冒すのは自分ですからね。文句を言ってはいけません。危険を冒さなければ手に入らないものって必ずあるんです。危険というほどではないけど、人生の中では、失敗覚悟で
乳がんになってからキャンサーギフトと言う言葉を知りました。キャンサー=がんギフト=贈り物がんになってから得たもの入院・通院中に仲良くなった友達が出来てたらキャンサーギフトなのかもしれないけど、なりたくもないがんに罹患して得たものなんてないよ!って私は思うお金もかかる。通院・検査・診察時間もかかるし、手術などで体の負担もある。術後も検査に行かなきゃいけないし、再発の心配もゼロではない。キャンサーギフトがあったとしても、負担の方が大きすぎる捉え方の問題なのかもしれないけど、やっぱり