ブログ記事1,354件
東海道・山陽本線で約半世紀にわたって親しまれた寝台特急「あさかぜ」。けん引機には朝風をシンプルに表現した秀逸なデザインのヘッドマークが掲出されていました。今回は晩年に見られた4種類の個体差を探ってみました。EF6650に取り付けられた晩年の「あさかぜ」のヘッドマーク。長年の風雨に耐えた各個体からは風格が感じられました=2005年■あさかぜのヘッドマーク「あさかぜ」は1956(昭和31)年に東京ー博多間でデビュー。58年にブルートレインとなり、全盛期には1日3往復運転さ
ブルートレインとして長く活躍した24系25形。編成端に組まれるB寝台の緩急車オハネフ25形は基本的に三つのタイプがありました。このうち200番台は国鉄時代の東京発着列車では実質的に中間車として使われましたが、JR移行時にグレードアップ化された「あさかぜ1・4号」(東京ー博多)では編成端の14号車に組まれることもありました。オハネフ25形200番台は「博多あさかぜ」の24系25形化に伴い1977(昭和52)年に登場。品川客車区(南シナ)には201〜210の10両が配置されました。どちらの
記事があるのかわかりませんが、カニ24で見事に失敗して途中で放り投げた24系25型の金帯化。実車では内装が綺麗になってるのですが、模型では帯の色が金になるだけかもしれません。気が向けば、内装も手を入れるかも。前回のオハネ24-700カルテットで思いの外うまくできたので、気を良くして続けてます。今回はオハネフ25-100です。カルテットはTOMIXの24型だったのですが、これはKATOの25型です。基本的には24系25型はKATOで全部揃うのですが、24型はTOMIXしかないのでそ
ブルートレインの元祖として親しまれた寝台特急「あさかぜ1•4号」(東京ー博多)。国鉄末期以降は金帯を巻いた24系25形グレードアップ編成になりましたが、わずか8年弱で姿を消しました。1994年12月の運行終了から30年、その活躍と意義を振り返りました。国鉄末期にグレードアップ化が施工されたあさかぜ1•4号。金帯3本を巻いた外観は他の九州ブルトレにない特別感がありました=東京駅、1994年◾️特別感を取り戻した新編成東京—博多の「あさかぜ」は初代ブルトレ20系客車が使
【KATO】20系寝台特急「あさかぜ」(初期編成)<10-1725/1726>本当は「103系混色A(横浜線)」の前に記事を掲載する予定でしたが、写真不足で103系がどかないと撮影できなかったので、後になりましたorzこのたび発売された編成は、昭和34年(1959年)7月~昭和35年7月の12両(+カニ)と昭和35年7月~昭和38年12月の13両(+1)と、昭和39年(1960年)12月~昭和40年3月までの14両(+1)が再現出来るセットになります。同時発売の「EF61(茶)」が昭和
さて、オシも落ち着いたので、再び金帯化の続きです。金帯インレタも5両分のうち2両分しか使ってないので、残り3両分もやりたいというのもあるので作業継続です。ちなみに帯インレタの貼り方ですが自分のやり方を簡単に説明。写真の様にまず切り出す長さを決めたらこの位置で帯を切断する切り込みを入れます。くろま屋さんの説明では、ノリの付いてる面から帯を切ると書いてありますが、自分は保持フィルムごとおもて面から切ってしまいます。そして今度は貼り付ける帯1本分だけ切り出します。これで切り出すと先ほど
1990年代に寝台特急「あさかぜ3・2号」(東京ー下関)と「瀬戸」(東京ー高松)に連結されたラウンジカー・オハ25形300番台は、両ブルートレインのグレードアップのために90年にデビュー。12系客車のオハ12形を種車に301〜303の3両が用意され、個性派車両の一つとして注目されました。山側から見たオハ25形300番台。電源スペースがないため、外観上では同じラウンジカーのスハ25形300番台より窓が多く、冷房装置AU13Aも1基多い4基備えていました=1992年、小郡(現新山口)駅
ブルートレインの元祖として親しまれた寝台特急「あさかぜ1・4号」(東京―博多)。1990年ごろ、下りの1号は東京駅を19時5分に発車。翌朝、山口県の岩国駅(午前6時59分発)からは寝台券が不要となり、立席特急券(通称・ヒルネ)で乗車できました。立席特急券は列車ごとに利用できる区間が決まっていて、料金は自由席特急券と同額でした。浴衣姿でくつろぐ寝台利用の乗客に対して肩身が狭かったのは確かですが、ブルトレファンとしては、好きな列車に気軽に乗れる楽しみがありました。以下に防府—博多間で乗車
東京駅発着ブルートレインの一角だった寝台特急「あさかぜ3・2号」と「瀬戸」。24系25形客車は1990年に新編成となりましたが、計画で終わったとされる番台区分もありました。幻の「オハネフ25形350番台」を探ってみました。350番台への改番が計画されていたとされる、下関方への方向転換改造を受けたオハネフ25130(左端)=小郡駅(現新山口駅)1990年◾️2種類あった編成東京ー下関の「あさかぜ3・2号」(下関あさかぜ)と東京ー宇野(88年の瀬戸大橋開通後は高松)の
寝台特急「あさかぜ3・2号」と「瀬戸」で1990年から使われた24系25形の荷物用業務用室付き緩急車オハネフ25形300番台。従来の電源車カニ24形の代わり組み込まれた、静止形電力変換装置(SIV)を搭載した「ラウンジカー」スハ25形300番台とセットで運用され、他のブルートレインでは見られない専用車として注目されました。「あさかぜ」の1号車に組まれたオハネフ25形300番台。旅客用の乗降ドアを車体中央寄りに移して荷物用業務用室を設けたため、個性的な外観でした=本由良—厚東、2003年
ブルートレインの主力形式だった24系25形客車。緩急車オハネフ25形のうち100番台は方向転換できない、向きが固定された車両でした。しかし1990年代には、逆向きに連結された車両が寝台特急「あさかぜ3・2号」(下関あさかぜ)と「瀬戸」で見られました。東京駅に到着した寝台特急あさかぜ2号。2種類あった編成のうち電源車カニ24形が組み込まれた編成で、1号車のオハネフ25形100番台(写真右)は本来とは逆向きに連結されていました=1993年オハネフ25形100番台は1976年
模型の導入順に、当時の思い出を話しながら同時に交検(定期運転検査)を行っている「模型紹介シリーズ」。今回は「さよならあさかぜ」になります。さよならあさかぜは、2005年(平成17年)3月のダイヤ改正で消滅した「下関あさかぜ(上り)」がベースで、2006年2月にTOMIXより発売になりました。2005年3月というと、私は鉄ちゃんの復活はしていたものの、本格的に撮影し始めたのが2005年5月(鶴見線限定)でしたので、残念ながら撮影は出来ていません。また鉄道模型も始めていませんでした。こ
寝台特急「あさかぜ3・2号」(東京ー下関)と「瀬戸」(東京ー高松)のグレードアップのため1990年に12系客車を改造して登場したラウンジカー、スハ25形300番台とオハ25形300番台。特に前者は、従来のカニ24形に代わる電源車としての役割を兼ねていて、ブルートレインではカニ22形以来のパンタグラフを載せた姿となりファンに衝撃を与えました。営業運転前に小郡駅(現新山口駅)で展示されたスハ25301。PS16形パンタグラフ、AU13A冷房装置、大きな窓の組み合わせは従来の24系にはない特異
2005年まで走った寝台特急「あさかぜ」。東京ー博多間を走った往時の「本家」は13〜15両編成でしたが、下関止まりの「分家」が残った晩年は短い9両編成でした。それでも、年末年始やお盆などの多客時は4両を増結し、見応えのある13両編成で運転されてました。多客時に13両編成となった晩年の「あさかぜ」。後部に4両増えるだけでブルトレとしての貫禄がグッと出ます=厚狭ー埴生、2005年望遠レンズで撮影しても画面が引き締まりました=埴生ー小月、2004年晩年の「あさかぜ」は
こんにちは。先日中途半端に終わったあさかぜでしたが???沢山の方に見て頂いたようで…中途半端でごめんなさい。あまり進める時間が無いですが今日も。KATOの旧製品やねから外す模型が多いですがこれが結構難しい事で有名で妻面の窓からドライバー入れて外せみたいな事が昔書いてありましたがあれは上手くいかないですね。24系もこれどうやって屋根外すんだとバラした経験ないと大変悩みますが片方のクーラーを右手で抑えて反対側の側面を外側に若干ねじる様な感じで下に力入れると結構簡単にパかっと外れま
1977年(昭和52)年の24系25形化以来、B寝台車のみだった「あさかぜ」3・2号(東京―下関)。博多行きの1・4号に比べて大きく見劣りする編成でしたが、90年春にグレードアップ。共通運用の「瀬戸」(東京―高松)とともに、念願の1人用A個室寝台車とラウンジカーが組み込まれました。営業運転開始前、小郡駅(現新山口駅)で公開されたA個室寝台車、オロネ25形300番台。オハネ25形からの改造車で、通路はB寝台車と同じ海側でした。下関寄りにはA個室利用者専用のシャワールームが設けられましたオロ
(1096)「MayEachDay'」アンディ・ウィリアムスこんにちはあさかぜです今日の懐かしの洋楽ベストソング!は以前アンディ・ウィリアムスの「ディア・ハート」を紹介した際、彼の持っていたTV番組「アンディ・ウィリアムスショウ」のエンディングで歌う「MayEachDay'」がとっても良い歌ですと「のぶ」さんから声をかけていただきましたあさかぜも知ってはいたのですが、曲リストには載せてはなく今日改めて聴
(1238)「愛の賛歌」ブレンダ・リーこんばんはあさかぜです今夜の懐かしの洋楽ベストソング!は「愛の賛歌」IfYouLoveMeブレンダ・リーブレンダ・リー(BrendaLee,1944年12月11日-)はアメリカ・ジョージア州出身の歌手10歳でデビューし、14歳にて全国ネットの
(1149)「悲しき雨音」カスケーズこんばんはあさかぜです今日の懐かしの洋楽ベストソング!は「悲しき雨音」カスケーズこのカスケーズに関しての資料が、あまり無くて残念ですが1960年代初期にアメリカで一位になった彼らですが、結局この一曲のみでしたでもこの曲は僕の脳裏に焼きついてしまって永久に消えない曲となってました。突然の雷鳴と雨の音のイントロに続いて、甘いビブラフォーンの響きと、ジョン・ガモーによる柔らかく落ち着い
今日の懐かしのテレビ番組こんにちはあさかぜです今日の懐かしのテレビ番組は「少年ジェット」「ウー、ヤー、ター!」の掛け声で敵を一網打尽・・・『少年ジェット』は、雑誌『ぼくら』に連載された武内つなよし作の漫画作品つまり漫画のヒーローをテレビ化にした訳ですが、元祖とも言えますね名探偵船越宏の助手である少年ジェットこと北村健は黄色いマフラー姿(当時は白黒放送だったため画面では白、歌詞では黄色)でオートバイにのりシェパードの愛
「星を求めて」ビリー・ヴォーンこんばんはあさかぜです今夜の僕の好きなミュージシャンはビリー・ヴォーンビリー・ヴォーン(1919年4月12日-1991年9月26日)は、アメリカの歌手、マルチプレイヤー、指揮者。ポピュラー音楽イージー・リスニングのヒット・メーカーというかあの頃のマルチミュージシャンですよね~!ケンタッキー州のグラスゴー生まれ、3歳の時からマンドリンを学び初めて
(1146)「世界の果てまで」スキーター・デービスこんにちはあさかぜですこの音楽ブログはもう20年近く続けてきてますがこれまでにたくさんのコメントを皆さんからいただき感謝していますただ時の流れは残酷・・これまでのたくさんの方達に励まされたもののそしていつか終わりが来る・・そんな時期を感じざるを得ません今日はここのポップス全集を立ち上げるきっかけになった曲「世界の果てまで」スキーター・デービスを紹介しますあさかぜは
今日は気まぐれで、「20系あさかぜ」の整備の話です。タイトルがほとんど変わっていない(ナロネ20→22)のが笑えますが、今日は「ナロネ22」です。関連記事【入線整備】20系「あさかぜ」(初期編成)2内装編~ナロネ20の内装貼り付け~【入線整備】20系「あさかぜ」(初期編成)1紹介編~昭和34年→昭和40年頃の1号~何気にこの初期編成セット「ナロネ20」「ナロネ22」「ナロネ21」と三種類のA寝台が組まれているんですよ。やはり豪華な20系と呼ばれているだけのことはあります。
中古で機関車のエエ出物があったので購入しました。K社のEF58小窓・茶です。2024年最後の入線です。(予定)実はコチラの機関車、すでに前回ブログのラストにしれ~っと登場済みやったんですわ。整備・入線前の画像です。カプラー交換はされてるものの、他のパーツは未装着です。走行歴もほとんどないようです。レイアウト入線に際してはいつものカプラー交換の他にコチラのパーツを取りつけます。まずはライトユニットの交換その他、ナンバーや小物パーツを取り付けますナン
こんにちは。先日に引き続きあさかぜをいじっていきます。このロットはボディーマウントのTNカプラーが使えないのはみなさんご存知でしょう。。。このセットには最後尾用のダミー連結器が入ってます。実は2年ほど前にこのセットを所有していた時期がありました(汗)当時はほぼ気になりませんでしたが最近はJC6387が登場し、実際に見比べるとこちらが少し不格好に見えてしまいます。。。そこで!用意しました!なんかどこも在庫僅少で抑えるのがやっとでしたが(出だしが遅いだけ)なんとか確保しました。どう